四時半に起きてもそもそ支度をする。ねむい。寝癖を直して着替えて、荷物を持って家を出た。外は、冴えた空気で満ちていた。胸に、キンとした空気がはいってくる。少し目が、覚めた。門扉をとおって、蛭魔の家にはいる。玄関に、蛭魔が走り込みで使うシューズがなかった。もう行っちゃったんだ。早くお弁当を作ろ、とキッチンに行く。ご飯はお急ぎモードで炊いて、この前スーパーで買ったものでおかずを作る。定番のだし巻きたまごは切ってハート型にピックで留めて、いつものポテサラに、ちくわにチーズときゅうりを詰め込んだものと、カニさんウインナー、骨を取って冷凍になっているサバの切り身をみそで煮詰めて、ついでに味をつけていた鶏ももに衣をつけて揚げる。サニーレタスで仕切りながらお弁当箱に詰めれば、二人分完成だ。蛭魔、いつ帰ってくるかな。玄関に行く。外を見に行けば、人影。太陽を背負って、蛭魔だ。門扉に手をかけたまま、じっと見つめる。ああ、蛭魔だ。
「おはよー」
「ハヨ」
近くまできてから声をかける。蛭魔はいつもどおりだ。家の前で走るのをやめた蛭魔と並んで家に入る。なんとなく、話しかけにくい雰囲気。
「お弁当、できたよ」
「わりーな」
「ううん。好きでやってることだから」
「そーかよ」
蛭魔は、指先で私の頬を撫でた。この距離で良いって、自分で決めたはずなのにな。蛭魔がこうも優しいと、忘れそうになる。シャワーに行く蛭魔を見送って、パンを焼く。コーヒーをいれて、待つ。たった一日こなかっただけなのに、なんだかとても懐かしい気持ちになる。髪のセットも終えた蛭魔がでてきて、いつもどおりを装った。私は所詮友だち、それを忘れちゃいけない。
「朝食できてるよ」
「…おう」
「…?」
特に会話もなく朝パンを食べて、お弁当を渡す。玄関でいつもどおり蛭魔を見送ろうとしたら、口数が少なかった蛭魔が手を伸ばした。片手で引き寄せられて、ぽすん、と胸にしまわれる。予想してなくて、固まる私の髪にほおずりをした蛭魔は、そっと私を離した。蛭魔が、自発的に私を抱きしめた。その事実が信じられなくて、目だけで蛭魔を追う。
「…さみしかった?」
「…べつに」
「…今日は泊まってくよ」
「…おう」
手を伸ばして、蛭魔のほほに触れた。やめてよ。勘違いしちゃうよ。蛭魔。なんか、私のこと大好きみたいじゃん。いってきます、にいってらっしゃいをして、見送る。胸があたたかったけど、混乱してもいた。蛭魔の気持ちが、見えない。
*
ハートのたまご焼きについてはノーコメントだった蛭魔も、夜ご飯を食べているときはそれなりに口数も多く、三回戦くらいまでは敵なしと思われていた柱谷が新進気鋭の巨深に倒されたことを教えてくれた。三回戦を勝ち進めば、デビルバッツは巨深か賊学に当たる。巨深の新戦力は公式戦にでていないため情報が少なく、蛭魔もデータ収集に苦戦しているようだ。でも、その前に独播戦が待っている。負けたら終わりのトーナメント戦、まずは目の前の敵だ。
「そっかあ。毎日部活お疲れさま」
「…毎日わりーな」
「大したことしてないよ」
「いや、助かる」
「そんなこと言うなんてめずらしいね。だいじょうぶ?」
「…ああ」
ふー、と蛭魔が長いため息を吐く。蛭魔が背負っているもの、少しでも一緒に持てたら良いんだけど、残念ながら私は無力だ。夕飯を食べ終わった蛭魔の食器を洗いながら、ソファーにかけてビデオと向き合う背中を見つめる。頑張ってね。負けないでね。そう念じることしかできない。
「なまえ、」
「なあに」
「…俺が寝るまで待ってろ」
「…うん」
これは、たぶん、お誘いだ。昨日、拗ねて家に帰っていたから、蛭魔も拗ねたのかな? なんて考える。朝はめずらしく甘えるような仕草を見せていたから気になった。何時に寝るつもりなのか分からないから、とりあえず、炊飯器を五時にセットして、明日のお弁当のおかずを仕込む。ロースハムとチーズを巻いてピックでとめたものを何個か作ってお皿に並べる。ハンバーグも目玉焼きも、ブロッコリーとにんじんを茹でるのも明日やりたいので、冷蔵庫の中を整頓して、コーンと枝豆を交互にピックに刺してみた。蛭魔の弁当にしてはかわいすぎるかな? と少し笑う。
「コーヒーおかわりする?」
「いや、いい」
「はーい」
この季節は水だしコーヒーを常備だ。輸入雑貨店で買ったイタリアーノという商品がお気に召したらしく、ためしにひとくち貰ってみたらびっくりするほど苦かった。水だしドリンクボトルに細挽きのコーヒー粉をいれて抽出するもので、時間がかかるから、寝る前に用意している。この季節はキンキンに冷えているのが良いようで、水だしコーヒーを凍らせて、氷がわりにしてみたらいたく気に入っていた。今日残した分を製氷皿にいれて、明日の分を用意して、私もソファーへ向かった。隣に座る。データを取りながら、真剣な目でテレビを見つめている。テレビの中には、やたら背の高い選手たち。無言で、ぼーっと眺めた。テレビの中から歓声が聞こえて、試合が終わったことに気づく。蛭魔寝るかな? と隣を見た。その真剣な眼差しが鋭くて、熱くて、切ない。姉崎さんは、アメフトにかなり詳しそうだった。蛭魔とも、ゴリゴリの専門用語で会話していたのを聞いたことがある。中学のときにルールはざっくり覚えたけれど、ざっくりどまりの私とは大違いだ。
「終わった」
「…もういいの?」
「ああ、待たせたな」
「ううん」
パタン、と勢いよくファイルを閉じた蛭魔は、それをあしもとの鞄に詰め込んで立ち上がる。寝る支度をして、二階にあがれば蛭魔が後ろから抱きついてきた。きゅう、と腕に力がこもって、そんなことをするつもりはなかったけど、抜け出せない強さだった。それでも、加減しているのだと思う。腰に手の跡がついていたことだって、あったのだ。
「ひるま…?」
私のちいさな声が、部屋の暗闇に溶ける。蛭魔はなにも言わない。首を動かしてふりかえってみたら、首を曲げた蛭魔がキスをしてくる。触れて、離れて、触れて。そうしているうちに、体をまさぐられる。今日は大きいTシャツをワンピース代わりにしていたから、その下はショーツしかない。胸を揉まれながら、太ももを手が這う。期待に、体が震えた。
*
アラームが鳴っている。倦怠感に包まれながら、体を起こした。薄い掛布を剥ぐと、まくれあがったTシャツの裾から覗く太ももには、赤い跡がいくつもついている。昨日、しつこく舐められたときにつけられたのだろう。誰にも見られることはないけど、なんだか嬉しいのに恥ずかしい。起きて、お弁当を作ろう。
そんなふうに日々を過ごしていたら、あっという間に日曜だ。今日はデビルバッツの三回戦目。私から見れば、難なく勝利を掴んだデビルバッツは四回戦へ駒を進める。次に行われる試合を勝ったほうが、四回戦の相手だと聞いて観戦することにする。そのまま座っていたら、鞄が震えた。電話だ。
「はい…蛭魔? どうしたの?」
「おー、次の試合、見てくのか?」
「うん、そのつもり」
「じゃー合流しろ。場所はー」
「え、え、待って、部員みんなと見るんでしょ? 大丈夫、ひとりで見てるよ」
「良いから。言うこと聞け」
断りきれずに言われた場所に行くと、デビルバッツのみんながいた。気づいたなんにんかが、私の名前を呼ぶ。みんな揃いのTシャツだ。
「こ、こんにちは…」
「ちわっすー!」
「揃ったな。行くぞ」
後ろから着いていこうとしたら、ふりかえった蛭魔に指先で呼ばれる。みんながふりかえって私を見て、恥ずかしいけど、仕方なくそれに従った。銃を持って歩いていく蛭魔の隣で、声をひそめる。
「私、本当にきて良かったの?」
「別に良いだろ。糞チアだって他校生だ」
「私、チアじゃないし…」
「良いんだよ。気にすんな」
困って、少しうしろを歩いていた姉崎さんを見てみた。すぐ目が合って、困ったように微笑まれる。どういう、意味か分からなくて困った。
びくびくしながら試合を見る。蛭魔や先生がいろいろと解説してくれるのを、部員のみんなと一緒に聞く。難しい。蛭魔が何度も見ていたビデオの中の選手が目の前にいた。本当に、大きい。巨深の前に戦意喪失してしまった賊学が敗北を喫し、帰り際、蛭魔はちょっと待ってろ、と私の頭をポンポンして離れていく。遠目で見ていたら、葉柱くんとなにか話しているらしい。みんな頑張っている。勝つために。それでも、優勝は一校のみだ。開会式のときに偉いひとが言っていた。敗者に敢闘賞はない、と。複雑な思いを抱えながら、蛭魔を待つ。次は、あの大きな選手たちを擁する巨深と、戦うのだ。蛭魔。負けないで。悲痛な気持ちを、隠せない。
戻ってきた蛭魔に、冷えたココア缶を貰った。明日の朝練の確認をして、駅に向かう。みんな同じ方向だ。電車の中ではいつも、私を隠すように立ってくれる蛭魔の癖は健在で、特に会話もないけど、目の前に蛭魔が立っている。中学のときに比べて、本当に大きくなったなあ、と思う。みんな、それぞれの最寄駅でおりていって、私と蛭魔となんにんかだけが残って、最寄駅に着いた。不安さを隠しきれずに、みんなと別れる。
「なんか…」
「?」
「すごかったね、巨深」
「そーだな」
貰ったココア缶をもてあそびながら、蛭魔を見上げる。蛭魔も私を見て、でもふたりとも、なにも言わなかった。
*
いなくなった小結くんを探したり、作戦カード覚えテストの問題を作ったり、十月の模試と中間テストの範囲を確認したりしていたらあっという間に土曜だ。作戦カード覚えテストの丸つけに協力することになって、そのあと、よく分からないが地域の相撲大会で優勝したらしい小結くんがたくさんの花火を持ってきて、みんなですることになった。みんなが、思い思いに花火を楽しむのを少し離れて眺める。
「なまえさんもやりましょうよ」
セナくんが声をかけてくれて、輪に入る。気まずい。とても気まずい。ちなみに、私はセナくんがアイシールドくんであることを知っている。ぱちぱち、火花を散らす花火。今年は、夏らしいことをなんにもしなかったな、と感傷にひたる。
「明日は、」
「?」
「泥門チビーズで頑張ります。だから、なまえさんも応援してください!」
「! もちろんだよ。応援してる。頑張って、負けないでね」
「ぜってー勝つ!」
モン太くんがふりあげた拳に、小結くんが同意する。蛭魔、良い仲間を持ったね。そう思うと、不覚にも泣けてきそうだ。しばらく上をむいて、涙をやり過ごす。
「蛭魔に…」
「?」
「こんなに仲間ができて、本当に嬉しいよ。みんなありがとう」
「…なまえさん、」
「蛭魔もさー、すごい頑張ってるんだ」
「ヒル魔先輩が…」
「体格に恵まれてないのは、蛭魔も一緒だよ。それでも、ああやって頑張ってる。だから、みんなも気持ちで負けないで」
三人が蛭魔を見る。その視線に気づいた蛭魔が、面倒くさそうな顔をした。たぶん、私がなにか言ったのだと勘づいたのだろう。名前を呼ばれたから三人に別れを告げて蛭魔の隣に座る。夜闇の中、ぱちぱち光る花火に照らされるその横顔。いつまでも見ていたいな。ずっとずっと。
「蛭魔」
「あん?」
「明日、勝ってね」
「言われなくてもな」
「だいじょうぶ、応援してるよ」
「…おう」
よりかかりたかったけど、我慢した。もっと、蛭魔を感じていたかった。絶対なんてない。なにが起こるかなんて分からない。それでも、信じることはできる。蛭魔。私のだいすきなひと、ずっとずっと。