中間テストと模試を終えて、修学旅行から帰ってきたらもうすぐに盤戸戦だ。蛭魔たちは修学旅行をパスしたので、たくさんお土産を買って帰ってきた。盤戸といえば、去年の東京MVP選手擁するチームだ。エースを欠いていた盤戸はロースコア戦でここまでやってきたとはいえ、この試合も大苦戦を余儀なくされることは分かっていた。そして、セナくんが、ついに正体を明かすとも聞いた。気づかなかったことに落ち込む姉崎さんを、きっと分かりづらくも励ますんだろうな、という予想は当たって、入場のときの仲睦まじさをまざまざと見せつけられた。あの場所に、いたかった。きっと、なんの役にも立てないだろうけど、私も肩を並べていたかった。そんな思いがぐるぐるぐるぐる、私をがんじがらめにしていく。
ぎりぎりまで続いた攻防を、僅かな差で勝ちきったデビルバッツが、関東大会出場を決めた。私は観客席でただ泣く。喜ぶみんなの姿を見ながら。良かった。ほんとうに良かった。嬉しい。ほんとうに嬉しい。ほんとうに。その気持ちは嘘じゃない。あの頃、三人で誓った夢が、現実になっていく。三人だけの夢じゃ、なくなって。
関東大会のトーナメント抽選会が終わるのを待っていたら、遅れてきた神龍寺の選手たちが前を通った。私は金剛弟が嫌いだ。気づかないふりをしてやりすごす。少ししてから、終わったらしく選手たちがぞろぞろとでてきた。
「みんなー、どうだった?」
「初戦は神龍寺とだ」
蛭魔がそう答えて、私は顔を歪ませる。関東大会十連覇を狙う覇者が初戦の相手なのも運がないというか、逆に良いというか。けれどもう、金剛弟が、顔も見たくないほどに嫌いなのだ。そんな私の心情を汲み取ったらしい蛭魔が、いつものように笑う。とりあえず、その場で解散、今日は自主練で済ますらしく、蛭魔とみんなを見送って、ふたりで帰る。トーナメントについて話しかけようとしたところで、後ろから声が飛んできた。
「やっぱりなまえちゃんだ」
顔を見なくても分かる。この、取り繕った軽薄そうな胡散臭い猫撫で声。私より先にふりむいた蛭魔が、さっきぶりだな、と言葉を返す。私の大嫌いな男、金剛阿含だ。
「お前には話しかけてねーよ、カス」
「なまえはお前と話したくねーってよ、糞ドレッド」
「つれないなあ」
仕方なくふりむいたら、サングラスを外してさわやかそうな表情を私に向ける金剛弟。本能的に、蛭魔の後ろに隠れる。私が猫なら尻尾をボンボンに膨らませていそうな目つきに、阿含がきょとんとしてからサングラスをかけ直した。
「なんだ、カス。もー手出したのか?」
「お前に言われたかねーよ、糞ドレッド」
「俺も狙ってたのになあ」
なんの話? と蛭魔に小声で聞くと、金剛弟が、お前らヤってんだろ? と代わりに答える。見ただけでそんなこと分かるはずがない。また尻尾をボンボンにしながら、金剛弟を睨みつける。
「ちょっと見ねーうちに、体が女になってんな」
「…はあ?」
「なまえがそこのカス以外にやらせるわけもねーだろうしな」
「糞ドレッドには永遠に関係ねーことだよ」
思わず反応した私に、金剛弟が核心をつくようなことを言う。絶句していたら、蛭魔が笑いながらかばってくれた。本格的に蛭魔の後ろに隠れて、顔を少しだけ覗かす。蛭魔はこんなやつと、少しの間とはいえ組んでいたのか。分かっているけどメンタルが強すぎる。
「おいカス。俺にその女ちょっと貸せ。どんなもんか味見してやるよ」
「ハッ、お断りだな。誰にも貸すつもりはねーよ」
「なんだ。お前がご執心てか? よっぽど良い女らしいな」
「おー、お前にはもったいねーくらいにはな」
「ちょ、ちょっと! もう良いでしょ! 帰ろ!」
「だそーだ。わりーな」
「俺がカスども、プチッと捻り潰してやるからよく見とけよな、なまえちゃん」
「捻り潰されるのはアンタのほう! いこ、蛭魔っ」
もういたたまれないにもほどがあるというくらい、嫌な会話だった。でも、蛭魔が金剛弟の、貸せ、という言葉にはっきりノーをつきつけたのは、嬉しかった。袖を掴んでいた手がいつの間にか握られている。
「モテモテだなあ、なまえちゃんは」
「やめてその言いかた。それにモテモテじゃない」
「ほー…気づいてねえならそれでもいーけどな」
「? なにに?」
「そんなことより、どっかでメシでも食ってくか?」
「賛成! お腹空いた!」
近くのファミレスにはいって、メインのほかにいろんなサイドメニューを頼む。しめにはパフェだ。食べきれないけど、パフェ以外は蛭魔が全部食べてくれるから問題ない。抽選会どーだったの、と聞いた私に、蛭魔はあやしい男がいたことや金剛弟がセナくんに向けて抽選で使われたボールを思いきりにぶん投げてきたことを教えてくれた。ほんとうに、こわくて嫌なやつだ。金剛弟とは、蛭魔と一緒のときにしか遭遇していないけど、ひとりのときに遭遇したらどうしようと思う。
「私ほんと、あの男キライ」
「糞ドレッドも嫌われたもんだな」
「ずっと、やらせろてきなことばっかり言ってくるんだもん」
「…ふーん」
片肘をついた蛭魔が、ポテトを口に運ぶ。守ってよね、とポテトを一本、蛭魔の口にやる。ぱくりと食いついた蛭魔が、仕方ねえなあ、と目をふせて笑った。でも、それも蛭魔に彼女ができるまでだ。こんなふうに、していられるのも。そう思うと、やっぱりいまを満喫しなきゃなと思う。
「ついに、ここまできたねえ」
「?」
「関東大会かあ」
「そーだな」
「三回勝ったら、クリスマスボウル!」
「簡単に言うけどな、」
「すごいよ」
「…」
「すごい、嬉しい」
蛭魔が、ジンジャーエールを飲む。二年になって、蛭魔のまわりは目まぐるしく変わっていった。私だけが、置いてけぼりだ。蛭魔の夢に、私はいない。観客席でいつも、そんな疎外感にさいなまれていた。あの頃はいつも、なんて、ずっと私だけが取り残されたまま。
ファミレスをでたあとは、ふたりでショッピングモールにはいるお茶専門店に寄る。好きな紅茶とフレーバードティーを買ってもらい、スーパーに寄って家に帰った。
「…なまえ」
「んー?」
「ずっと浮かねえ顔してんな」
ソファーに座って、買ったばかりの茶葉をミルクティーにして飲んでいたら、隣でアイスコーヒーを飲む蛭魔が口を開いた。してないよ、とごまかそうとしても、してる、と断言されてしまう。
「…蛭魔には」
「…」
「なんでもお見通しなの?」
「…俺は心が読めるんだよ」
「読まないでよ。プライバシーの侵害」
「はぐらかすな」
「…」
ことん、とローテーブルにアイスコーヒーをいれたグラスが置かれる。くしゃりと頭を撫でられた。私は泣きそうで、顔を上げられない。嬉しいはずなのに、誇らしいはずなのに、どうして私はこんなにむなしくなるのだろう。蛭魔。分からないよ。
「わたしも」
声が震える。
「そこに、」
蛭魔の手が、髪をすべって頬に触れた。
「いたかったなあ」
泣き出した私からグラスを受け取った蛭魔が、それをローテーブルに置く。泣きたくなかった。笑っていたかった。蛭魔の夢を応援できるなら、それで良いはずだった。そこに私がいなくても。どんなに距離ができても。もうあの頃のようには戻れなくても。それで良いって思っていたのに。
ぐい、と肩を引き寄せられる。倒れる、そう思ったけど蛭魔の胸にとじこめられた。
「ベンチになら、俺がねじ込んでやる」
「だめだよ。だめ」
「どーして」
「キャプテンが、私情をはさんじゃだめ」
「…」
「いいの。仕方ないの。どうしようもできないんだよ」
「…なまえ」
「いいの」
それでも、涙は止まらない。蛭魔の胸にもたれて、さめざめ泣く。ぎゅうと抱きしめられたけど、涙は止まらない。どうしたら止まるのか、自分でも分からない。
「どーしようもねえことばっかだな」
ぽつりと蛭魔が言う。ムサシが、いなくなったときの、あの切ない、やるせない、そんな表情の蛭魔を思い出していた。蛭魔が、ムサシと同じくらい、私がいないことに感情を動かされていたら良い。そこにいるのに、いるのに手が届かないもどかしさを。
「泣くなよ…」
「私だって、泣きたくないよ」
「慰め方なんて、たいして知らねーし、」
「…なになら、知ってる?」
蛭魔の目の色が、変わった。まだ、明るいリビングのソファーの上で。蛭魔が、やさしく私にくちづける。見上げた蛭魔は私をそっと押し倒した。倒された私に、もう一度キス。
「…これしか知らねー」
「…シャワー、浴びてな、」
「…気にすんな」
そう言ったら、言葉尻を食べてしまうように蛭魔が唇を合わせる。うっすら開いた隙間から舌がもぐりこんできて、私のそれと絡まる。ねっとり動くそれに、ぞわぞわと快感が引き出されていく。まつげに涙の粒がのったままなのを自覚しながらも、きゅうと目を閉じてそれを堪能する。
「ひるま…」
押しつけるように唇が触れて、すぐに首筋を舐められる。蛭魔を見たら、もう一度キスをされた。服を脱がされて、下着を外されて、空気にさらされた胸が震える。体をまさぐられながら、蛭魔は胸にかじりついて、私は小さく喘ぐ。まだ明るいし、汗をかいてないわけじゃないし、お手洗いにだって行ったのに。そんな羞恥心も、蛭魔の与えてくれる甘美な時間の前では無力だ。胸の輪郭をなぞるように舐められて、背筋が痺れる。太ももを撫でまわしていた手がスカートの中に潜りこんだ。下着をずらした指先が濡れた場所をしつこく撫でる。腰が浮くのを自制したくて、しきれなくて、それでも蛭魔はぢゅうぢゅう胸に吸いつくだけ。ワックスの馴染んだ髪に両手を差し込んで蛭魔の頭を抱えながら、せめてもと吐息をこぼして、あとはもう、夢のなか。
*
蛭魔の背にもたれながら、一緒にお風呂に浸かる。倦怠感に、なにか話す気にもならなかった。ただただ、寄りかかって、腹にまわされた大きな手に手を重ねる。
「…なまえ」
「…ん、」
「いまだけ、耐えられるか?」
「…?」
「同じ大学に行けば、今度こそ傍に置ける」
「…うん」
「…わりいな」
ただのセフレにかける言葉じゃなくて、混乱する。蛭魔は私のこと、どう思ってるのだろう? 好き、だったり、するのだろうか? 私を? そう考えると、自信がない。身近に、あんなにきれいで、聡明なひとがいるのに、わざわざ私を好きになる? 分からない。分からないけど、この腕を、離したくはなかった。私のものにしておきたかった。誰にも渡したくなかった。蛭魔、私のこと、好き? そう聞くだけで、すべて解決するのに。でも、全部終わるかもしれない。そんな恐怖が私の口をつぐませる。
「ひるま…」
「…」
「ありがと」
「…ああ」
「ごめんね」
お風呂からでたら、またすぐ元気になるから。笑って、蛭魔! て、言うから。いまだけ、少しだけ、充電させてね。