彼は私に時間を取られていることに苛ついているようだった。これでも私、まだ彼女なんだけどな。そう思っては胸が締め付けられる。それと同時に私が常々感じていたことは間違いではなかったことも悟る。私はずっと彼を見ていたから分かる。彼はもう私を見てはいない。時間が、こんなにも遅く、重く感じられるのは、もう私たちに終わりが近づいている証拠だ。楽しかった時間ももう終わり。どうにか彼をもう一度振り向かせられないか、苦心した日々もいまは昔。ずっと秘密にしていた関係を、隠していなければなにか違っただろうか。でもきっとこうなっただろう。どうあっても、彼は彼女に惹かれてしまっていただろう。どんなに私が彼を好きでも、それはどうにもならない。私の気持ちだけでは、もうどうにもならないところまできてしまった。
彼の輪郭。陽の光を浴びて浮かび上がる。もう二度と触れることは許されない。この恋はもう終わり。
「そんなに、あの子のことが好き?」
彼はゆっくりとこちらを見た。やっと、目が合ったね。鋭い眼光は、付き合う以前に向けられていたのと変わりない。いや、それよりもきついかもしれない。ひどいな。そう思いながら、私は笑う。どうして、別れたいって言わないのだろう。全部気づいてるよ。もっと嫌われる前に、別れを切り出してあげれば良かったのかもしれない。少なくなっていく連絡を、会う機会を、言葉数を、気づいていながら、行動に移せなかった私が悪いんだね。
彼はなにも言わない。ずるいよ。はっきり言ってくれれば良いのに、いつもその目で見つめるだけ。
「もともと、お前の好きにしただけだろ」
やっと開いた口からは、残酷な言葉しか出てこない。一緒にいたら好きになってくれるかも、だなんて淡い期待は脆くも崩れ去って、ただ終わりがきただけ。それだけ。彼は優しいから、誰も好きな人がいないなら、付き合っている人がいないなら彼女にしてほしいという私の願いを聞き入れただけ。それは、彼に、本当に好きな人ができたら終わってしまうことでもあった。私のこと好きになってくれないかな、なんて思っていたけど、優しい彼に勘違いしそうだったけど、私には彼の心を奪うことはできなかった。ただ、それだけ。
「…そうだね」
「…俺は」
「見てれば分かるよ」
あの子が好きなんでしょう? その言葉は喉に詰まって出てこなかった。勝手に舞い上がって、勝手にズタズタに傷ついた私の心をさらに傷つけることなんてできやしない。
「じゃあこれはもう終わりだね」
「…悪いな」
「謝らないでよ」
こんな惨めなことって、ない。ごっこだったかもしれないけれど、恋人らしいことはそれなりにしたのだ。でもやっぱり私はそれになれなかった。唇を噛む。彼はもう、それをやめろとは言ってくれない。俯くと涙が出そうでどうしようもなかった。
窓の外には、タオルやドリンクを用意する彼女。遠く小さな姿が忙しなく動いているのはここからでも見えた。きっと彼には、彼女こそ青天の霹靂だったのだ。
この時間に耐えかねたのだろう。彼はすぐに立ち上がる。短い昼休みの時間、彼にはもう着替えて練習するような時間はなく、ただ様子を見たり、指示を出すために、彼女のそばにいるために、向こうへ行きたいのだ。もう、放してあげなくちゃいけない。
「別れても、マネージャーとして頑張るから」
「…ああ」
「なまえちゃんとお幸せに」
私の、せいいっぱいの強がりを、聞くこともなくヒル魔くんは部室を出て行った。良かった。ドアが閉まって、ようやく私は泣くことができる。