「なまえちゃーん、宿題見してくれん?」
「やってきてないの?」
「ピヨ」
「わざわざ昨日の夜、メールしたじゃん…」
「まぁくんはテニスでお疲れさんナリ」
「それ言い訳」

そう言いながらも私は数学のノートを仁王に渡す。仁王は周りの女子を意識したよそ行き用の笑顔を私に向けた。付き合って、一年強。結構早いうちにバラしちゃったけども、仁王は思ったより一途なタイプで、思ったより私のことが大好きだった。
クラスメイトたちが、私たちを見てヒソヒソする。仁王は見た目通り、とてもモテる。私と付き合っているけれど横恋慕している女子はたぶん数えきれないほどいる。
私だって最初の頃は、やきもちを焼いてばっかりでどうしようもなかった。女の子と話さないで!とまで言ったことも、ある。

「相変わらずツンだね〜」
「いつもこんなんだよ」
「デレたりしないの?」
「ん〜、どうかな…」

友達の追及をはぐらかして、私が解いてきた宿題を写す背中を見つめる。同じクラスで良かった。いつも観察していられる。別々のクラスだったら、私は嫉妬で狂っていただろう。
視線を感じたのか、仁王が振り向く。私は目をそらす必要もないので、まっすぐ私を見てきた仁王としばし視線を合わせて、少し首を傾げる。なに? というそのジェスチャーに、仁王は口角を上げながらのウィンクで返した。
女子の静かなざわめきを肌で感じながら、私は平静を保つ。どうしてだろう。人目があるからなんだろうか。むしろ、私が好きなことを隠しもせず、観客に見せつけようとしているふうにも取れる仁王の態度はすごいと思う。恥ずかしくないのだろうか。

「仁王くんて、ほんとなまえのこと大好きだよね〜」

頬杖をついた友達が、呆れたようにも言う。ねー、と私も人ごとのように相槌を打った。たぶん、仁王のファンは私のこういう態度も気に食わないはずだ。でも当の仁王が私にやたら甘いので、どうにもできずにいるのだろう。
友達と昨日のドラマの話なんかをしながら、伸ばしている爪をわけもなくいじっていたら、友達が不意に口を噤んだ。その顔を見て、友達の視線の先を追ったら、仁王が私のほうに向かっているところだった。

「ありがとさん、助かったき」
「はいはい」
「お礼に〜、ピヨッ」

ノートを受け取って、そのままだった仁王の手がグーパーグーパー、握ったり開いたり。見ていたら、ある瞬間、ぽんっとその手のひらに可愛い包装のチョコレートが現れた。仁王がよくくれるやつ。ずいっと手を寄せられたから、受け取る。仁王はグーパーをやめず、私は結局そのチョコレートをみっつ貰った。
ありがと、と言うと仁王は目を細めながら、なまえちゃんは特別じゃ、と笑う。
そんな仁王を、私は、はいはい、と軽くあしらう。早く戻りなよ、と言えば仁王は機嫌の良いまま席に戻る。
女子たちの、嫉妬と羨望の視線をなんとなく感じながら、チョコレートを一粒食べた。

「なまえはさ、良いよね」
「そう?」
「あんなイケメンな彼氏がいてさ」

しかもなまえにデレデレ、と友達は言う。私は、友達も仁王を少なからず好きなことに薄々気づいているから、肯定にも否定にもならないような適当な返事をした。
そっけない私と、いつも好き好きしている仁王。観客にはそう見えている。本質がそうでないのは、ふたりだけの秘密だ。いまのところ。
貰ったチョコレートを、友達にもあげようかと思ったけれど、やめた。きっとたぶん、すごく残酷なことだと思った。







☆★☆









私は私の部活動を終えて、さらに遅くまでやっている男テニが終わるのを待つのが日課になっている。コートのまわりの人だかりは暮れていくに従って減り、私が来る頃にはもう殆ど人はいない。端っこの定位置に立って、フェンスに指をかける。気づいた柳生くんがたぶん視線だけで、私が来たことを仁王に伝えた。きっと仁王は誰よりも早く気づいているんだけど、それでもいま気づいたかのように私に手を振った。もうすぐ、男テニも終わる時間だ。
部室棟の近くで仁王を待つ。ドアが開いて、ほとんど反射的にそちらを見た。一番乗りで出てきたのは、仁王だった。

「おまたせナリ」
「まぁくん、お疲れさまー。今日早かったね」
「なまえちゃん待たせとるき、急いで来たんじゃ」
「ありがと」

仁王が出した手と躊躇いなく手を繋ぐ。後ろからひやかす声がしたけど、私は首だけ振り向いて軽く会釈だけをした。私は出しゃばらない彼女なのだ。そういう、ふうになりたくて、そうふるまう。
恋人繋ぎで手を繋いで、肩が触れ合う近さで歩く。猫背の仁王がダラダラ歩く速さと、私の歩く速さはぴったり合うように感じるけど、やっぱり仁王が合わせてくれているのかもしれない。

「まぁくん…」
「ん?」
「友達に言われたんだけど、私、ツンツンしてるかな?」
「確かにガッコだとツンツンしとるのー」
「だってさー、」
「まぁくんスキスキーてするの恥ずかしんじゃろ。仁王って呼ぶしな」
「うん、だって別れたとき辛くない?」
「またそれ言うとる」
「だって私、なんでまぁくんに好かれてるか分かんないし」
「なまえちゃんはそういうトコが可愛いんじゃ」

そういうトコ、がどういうトコなのかもよく分からないし、そういうトコがなくなったら私は仁王に可愛いと思われないのだとすると、怖くてたまらない。
赤信号で立ち止まる。見上げた仁王はそんなことを知ってか知らずか、いつも通り優しい目で私を見下ろす。
だってさ、仁王がいつまでも私を好きかなんて、分かんないじゃん。私はいつもこう言う。それは、私が、どうしようもなく仁王を好きで、好きで好きでたまらないからだ。
だから仁王は、いつでもどこでも、私を特別扱いして、甘やかして、それをすべての観客に見せる。他のどの女の子より、私が特別だと、誰でもない私に、知らしめて見せつけるために。

「まぁくんのファン、いっぱいいるしさ」
「なまえちゃんのトモダチとかじゃろ?」
「分かってんじゃん、ヤな奴」

自分のカッコ良さとか甘ったるさとかをトモダチにアピールして私にヤキモチを焼かせる嫌な奴、なのか、自分に憧れているカノジョのトモダチに、カノジョ待遇を見せつけて嫌な思いをさせている嫌な奴なのか、私には分からない。
青信号、先に踏み出した仁王に手を引かれながら白い部分だけを踏もうとして、できなかった。

「仕方ないじゃろ」
「どこがー」
「俺、なまえちゃんのこと大好きなんじゃもん」

女たらしな顔で、仁王は私に笑いかける。人もまばらな歩道で、仁王は器用にも歩きながら私にキスをする。
それだけで、私は仁王にメロメロで、クラクラして、フワフワしてしまう。そのへんの、女の子のように。いや、たぶんそれ以上に。
だから私は、どうして私だけが特別になれたのかがさっぱり分からなくて、分からないから不安でたまらなくなる。
ずっと、私だけ見ててよ。
ずっと、私だけ好きでいてよ。
ずっと、私だけに優しくしててよ。
他の女の子のことなんて、その目に見ないで。気にしないで。それが例え、私の友達だとしても。

「私のが好きだよ。まぁくんのこと」
「俺も負けとらんナリ〜」
「ううん、ぜったい、そう」

言い切る。そんな私の横顔を、仁王が見つめている。そんな気がする。
だって、だってばっか言ってるけど、だって仁王はほんとにカッコ良くて、優しくて、意外と頭も悪くないし、スポーツなんて超得意だし、なんで私のことが好きなのか分からないし、キラキラしているから。
いつか、他の女の子を好きになって、そっちに行っちゃうんだろうなって、いまから考えて、いまから恐れて、いまから備えている。どうしたら傷つかずに済むか。傷つかないなんてこと、絶対ないんだけど、人前でツンツンしているのは、たぶんそれだ。
別れても、捨てられても、平気な顔してさっぱりしていられる。そんな気がしている。

「なまえちゃん」
「…うん」
「なまえちゃんが、安心できるよーに、まぁくん頑張るきに、」
「…いーよ、別に」
「ダーメ」
「もー…」
「まぁくんはなまえちゃんのこと大好きなんじゃ」

そう言って、つむじにキスされる。
嬉しくて幸せで胸がいっぱいで、だからこそ失うことが怖くてたまらなくて、でも、信じられないことにも、申し訳ない気持ちで、どうしようもなくて仁王を見上げた。

「…なまえちゃん」
「…うん」
「その顔、可愛いから、ヤメテ」

恥ずかしくて、ぱっと顔をそらしたけれど、仁王が小さく笑う声が聞こえて、やっぱり幸せで、やっぱりどうしようもなく仁王が好きでたまらない。そう思って、上の方にある肩にもたれた。