今日は試験前ですべての部活動が休みなはずなのに、アイツが見つからない。いつものことだけど、嫌な予感がして友だちに片っ端から声をかけて探していたら、女の子との目撃情報を得てしまった。
廊下の窓から西日が強く差す。横から差しているだけなのにひどく眩しい。目がチカチカする。目を細めながら、音を立てないようにけれど早足で歩く。
友だちに聞いた教室、ドアの窓からそろりと中を覗き見る。教室の後ろ、窓際に向かい合って座る、アイツと見知らぬ女子。俯いて泣いているようにも見える女子と、頭を撫でたりと励ますような素振りを見せるアイツ。オイオイ、と思いながらも様子を伺おうとドアを静かにゆっくりと、ほんの少しだけ開ける。そのすぐそばにしゃがんで耳をそばだてた。
女子はうにゃうにゃ言っているようにしか聞こえないが、僅かに聞こえるアイツの声、言葉から想像するに、女子の彼氏が浮気していてその相談、のようだ。彼女のいる男とふたりきりでそんな相談をするような女には、浮気男くらいがお似合いだと思いながら、聞こえないように溜息を吐いた。
あの女子よりも深く深く俯く。立てた両膝にまっすぐ伸ばした両腕を乗せて、その真ん中に顔を埋める。
知らなければ、幸せでいられるのだろうか? けれどアイツは、隠そうという素振りも、そのための努力もしない。
気持ちだけで、ぐっと顔を上げた。まっすぐ前を見る。西日を正面から受けて、眩しい。目を閉じても暗くならない。赤く見えるのは太陽光だからなのか、それとも私の目蓋の血管が透けて見えるのだろうか?
目を閉じたまま、深く息を吐く。そして、長く長く吐き出す。両足に力を込める。立ち上がれ、私。負けるな、私。立ち上がれ。だんっと、床を蹴るように立つ。音が立ったって気にするものか。これから私はこのドアを勢い良く開けるんだ。

「浮気ですか?」

さっき少しだけ開けた隙間に指を差し込んで、勢いをつけてドアを滑らせる。大きな音が響いて、跳ね返りそうなドアを、離さなかった指で押さえる。
目の前には、ぽかんとした清純と知らない女子。私は顎を上げたまま黙って返事を待つものの、ふたりとも何も言わないので上履きで床を三回叩く。イライラしたのだ。取り替えたレースの靴紐がふわふわ揺れる。

「違うよ、なまえちゃん、ちょっと相談に乗ってただけ」
「そ、そうなの、彼氏に浮気されて、」
「ヒトの彼氏とふたりきりでメソメソするような性格だから浮気されたんじゃなくて?」

先に我に返ったのは清純の方で、いつものように焦ることもなく軽薄な態度で軽薄な言葉を寄越す。
私の言葉に、見知らぬ女子が一瞬だけ、私を睨んだ。でも小さい声で、そんな、とか、ちがう、とか言いながらまた俯いて手を顔にやる。

「女の子の友だちいないわけ?」
「なまえちゃん、もーイイじゃん、」
「何が良いって? この浮気者」
「浮気じゃないって、」
「浮気したカレシから、浮気させたヒトのカレシに乗り換える? 浮気者同士、ちょうど良いんじゃない?」

手が震えているのが分かって、ドアを強く強く握り締める。声まで震えたらカッコつかないから、気を確かに持ちながら、とりあえず清純を睨みつける。私は強くいなくちゃいけない。あの女子みたいに、メソメソグズグズするのは性に合わない。あれができたら、もっと生きやすいことは、私にだって分かるけれど。そんな私にはなりたくない。それだけが、いまこの瞬間の私を突き抜けて支えている。
女子は相変わらずメソメソを続けていて、きっとバカな清純には、私が女子を強く非難していじめているように見えていることだろう。
でも清純は相変わらずヘラヘラしてやがる。殴りたい。

「なまえちゃん、落ち着いてよ、こんなのよくあることじゃん」
「よくある? 私はないけど」
「なまえちゃんは強いからないかもしれないけどさ」

清純は立ち上がって、そう言いながら女子の頭をポンポンと撫でる。この後に及んでまだそういうことをするか、と呆れた。呆れたし、私の心にひゅうと風が吹き込んで、流れていった。
そう、私は強いから、私を大事にできないやつを、好きだからと許したりしない。
肩にかけていた鞄から、清純に貰ったお揃いのキーホルダーを外す。震える指先が情けなくて、喉の奥が痛んだ。外したそれをぶん投げる。

「やっぱり、私、清純とは価値観が合わないみたい」
「、なまえちゃん」
「これからどこでナニしても浮気にならないよ、良かったねー」
「いやいや、だから浮気じゃないって、」

キーホルダーをばっちりキャッチしたけれど少しだけ声が焦った清純に、女子が顔を上げる。ここから見える範囲では、泣いているふうではない。したたか過ぎて笑える。
女子は立っている清純を見上げてから、私を見た。最初一瞬見せたあの睨んだ目で、また私を見てくる。顔を隠していた手を完全に下ろして、私を睨んだまま口を開いた。

「清純くんと付き合ってるからって、調子乗ってんじゃない? ブスのくせに」
「本性そんなんだから浮気されんじゃない? そもそも本当に浮気されたのかすら疑わしいわ」
「うるさい、ブス!」
「言い返せないからって、ブスブス言うの、バカに見えるって分かんない?」
「ていうかさ、」

本性を現した女子と私の、女同士の諍いに清純が水を差した。清純が、ちょっとマジな目をしていて、私は二対一になるのかと少しだけ怯んだけど、ぐっと堪えて女子から清純に視線を向ける。
清純の冷たい目は、私じゃなくて女子に向けられていた。

「キミよりなまえちゃんのほうが可愛いんだけど」
「、」
「俺の彼女のこと、ブスブス言うのやめてくれない」
「え、あの、清純くん、」
「やっぱなまえちゃんの言う通りだね、そんなんだから浮気されるんじゃない?」

今度は私が蚊帳の外で、清純は女子を見下ろす。その目が、見たこともないような温度で、少しだけびっくりした。女子は言い返せず、そして無言の空間にも耐え切れなかったのか、足元の鞄を取ってこちらに走ってくる。逃亡するつもりなんだろう、と、立ちはだかっていたところから避けてやったのにすれ違いざまに睨まれた。

「あーあ」
「ファンが減りそー」
「いーよ、なまえちゃんと付き合ったときにいっぱい減ったもん」
「なにそれ嫌味?」
「なまえちゃんだけは、ずっと俺のファンでいてよね」
「さっき別れるって言ったじゃん」
「別れるとは言ってないじゃん」
「じゃー、別れる! はい! サヨナラ!」
「嫌だって、別れないってば」
「もーうんざりなの!」
「本気なのはなまえちゃんだけだって」
「当たり前でしょ!」
「ならイイじゃん」
「もー嫌、清純が他の女の子に優しくするとこ見たくない、」

しつこく食い下がる清純が腹立たしくて、なんの悪びれもないのが悲しい。言い切ったその言葉を許せなくて飲み込めなくて、痛む喉からはか弱い声しか出なかった。
俯いて歯を食い縛る。そうしていたら清純の上履きが見えて、息を飲んだと同時に頭を撫でられた。途端にさきほどの情景が浮かび上がってきて、私はそれを強い力で払う。

「いった…」
「あの子に触った手で触らないで」
「なまえちゃん、」
「あの子にしたのと同じことなんかしないで!」

いま、とんでもなく醜い顔をしている気がして、俯いた。堪えきれずに迸った言葉は、私の悲しみや憎しみ、苦しみを反映して清純を叩く。私だって結局、その他大勢の女の子と同じなんだ。カノジョという特別なんて、存在しないんだ。そう思うと悲しくて苦しくて、でももう好きな気持ちを捨てたくて、滲んだ涙を、これ以上増やすまいと唇を噛んだ。

「うん、なまえちゃんの言う通りだよね。ごめんね、泣かないで」
「泣いてないし!」
「あ、ホントだ」

ムキになって顔を上げる。根性で引っ込めた涙に、清純が笑う。そのまま清純は、私がぶん投げたキーホルダーを手のひらの上で眺めて、私を見る。たじろいだ私を無視して、それをまた鞄に付けた。反抗しようと前を向いたら、そんな隙もなく清純が私を抱き締める。逃げなきゃ、と思うも、清純は男の子の力でそれをねじ伏せた。

「俺は男だから、女の子はみんな大好きだけど」
「いますぐ死んで欲しい」
「でもなまえちゃんが一番好きだし、なまえちゃんだけが特別な女の子だから」
「そういう問題じゃない」
「分かんないよ」
「この世に特別なのは私だけじゃなくて、この世に私だけじゃないと許せない」

どうにか抜け出したくて、清純のペースに巻き込まれたくなくて、どんなうまいことを言っても良い顔をしても、取り返しのつかないことがあることを分かって欲しくて。
私は清純の足の甲を思い切り踏んだ。靴の裏が平らなせいであまり痛がらなかったけれど、それは充分な衝撃になったようで、一瞬緩んだ腕の力を見逃さずに清純を突き飛ばす。

「清純はさ、」
「…」
「そういう清純でも良いって言ってくれる女の子と付き合うべきだよ」
「…なまえちゃんは、言わないってこと?」
「言わないよ。言うわけないじゃん」

清純を好きだけど、それ以上に曲げられないものがあるんだよ。それが伝わったかは分からないけど、私は顔を上げて清純を見上げる。

「きっとさ、もう何を言っても、何をしても、ダメなんだよね」
「…ダメだよ」
「これから何をしたって、なんで最初からしてくれなかったのって思うんでしょ」
「…分かってんじゃん」
「じゃあこうしよう」

俺、またなまえちゃんに付き合ってもらえるように努力する。
清純ははっきりとした口調で、そう言った。何も言えなかった私に、清純は優しく微笑む。

「俺、いまそういう時期なのかなー」
「…」
「言ったじゃん、テニスでも挫折したしさ、」
「…清純、」
「もっと、頑張れってことなのかな」
「…別に、いまだって頑張ってるじゃん、」
「なまえちゃん、俺に優しくしたらダメだよ」

清純は手を伸ばして私の頭に触れようとして、やめた。さっき私がその手を強く払いのけたのを思い出したのだろう。
こんなときに、清純をひとりにしちゃダメだったのかもしれない。そう思って、少し後悔した。私、自分のことばかり考えていたのかもしれない。間違っているとは思わないけど、優しくは、なかったのかもしれない。

「…清純、ごめん」
「なんで、なまえちゃんが謝ることないよ」
「うん、でも、ごめん」
「謝るくらいなら、別れるなんて言わないでくれたらいーのに」
「…うん、そうだよね、」
「おっ、マジ?」
「いやでも…どうだろ…」
「なにそれー」

清純が笑う。私も、少しだけ、笑う。
こうやって、ふたりでくだらない話をして、清純がバカで、でも本当はそんなことなくて、そういうのを噛み締めながら、過ごす時間がとても好きだったことを思い出した。
強い私を、強くあろうとする私を、清純はすっかり見抜いて、気を抜ける瞬間を用意してくれていたんだと、思う。そんな清純がとっても大好きで、仕方なかったんだ。

「なまえちゃん」
「…うん、」
「やっぱ別れるのナシね」
「ええ、それは、」
「でも、惚れ直させるから」
「、」
「テニスも、なまえちゃんも、諦めないから、見てて」

清純の指が、私の鞄のキーホルダーを弾いた。
私の体をすり抜けていった西日が、強く強く清純を照らしていて、キラキラ光っている。