※武蔵視点
どうにか雨は止んだものの、雨でぐしゃぐしゃ、泥まみれなタオルを洗うのは骨が折れる。マネは洗濯にドリンク作りにデータ整理と慌ただしく、さすがの蛭魔も舌打ち。
「人手が足りねえ」
忌々しげに晴天を睨んでも現状は改善されなくて、またひとつ舌打ち。しかし何か思いついたように膨らませたガムを破裂させた奴は、銃器の入った鞄から携帯電話を取り出した。唯一ストラップのついている携帯電話を耳に当てる。
「なまえ、いまどこだ」
勿論、向こうの声は聞こえない。蛭魔の幼なじみがこの前恋人になったらしいのは聞いたが、まあしようとしていることは分かった。
「いまから泥門来れるか。…ん、二十分な。ぁあ? 勝手に入っていいから。場所分かるか? そう、グラウンド奥、カジノな。ん、気をつけてこいよ」
蛭魔の口調もそうだが、なんというか雰囲気が違うのを部員も敏感に感じ取ったらしい。しかし聞くに聞けないだろう。あの蛭魔が、唯一あの呼び方をしない女。どのポジションなのかは想像できるっちゃあできるが。
「なまえ呼ぶのか?」
「洗濯とドリンクならできんだろ」
そう言って蛭魔はマネに声をかける。恐らくとても簡略に伝えたのだろうが、渋々といった様子でマネは部室に向かった。一連の会話を聞いていた部員の表情はなんとも筆舌尽くしがたいが、それもあと数十分の我慢。練習再開の声がかかって、グラウンドには先ほどの熱気とかけ声が充満する。長いようで短い時間。すっかり忘れていたけれど、ちまちまとした雑用を手伝うチアに蛭魔が声をかけていた。年頃の少女がにやにやを隠さないで、校門に向かう。蛭魔に睨まれたが素知らぬ顔をしておいた。
「連れてきたよー!」
数分後、弾けるような声が近づいてきた。全員が顔を上げる。久しぶりに見た蛭魔の幼なじみ、いや彼女は中学のときよりかは幾分大人っぽくなっている。グラウンドがどよめきに揺れるも、当の本人はいつも通り、見事なポーカーフェイス。
「妖ちゃん!」
チアに一言二言、声をかけてから蛭魔の彼女は駆け寄る。夏服なのだろう、紺のスカートにベージュのニットベストは見慣れなさからなかなか新鮮。部員が見守る中、彼女はなんの躊躇いもなくグラウンドから上がってきた蛭魔に近づき、そのすぐ脇に寄る。泥門の悪魔にあんなことができるのは多分この世にひとりだけだろう。
「どうしたの? 急に」
「人手不足なんだよ」
「…私になにかさせるつもり?」
「さっきの雨でいつもの倍になった洗濯物とドリンク。糞マネは手が離せなくてな」
「…できるかなあ」
彼女がそう呟くとほぼ同時に、ベンチにいたマネが近寄り小さな紙を渡す。それを受け取った彼女は、昔から変わらない笑顔を見せた。
「荷物、置いてきていい? どこ? カジノ?」
「おう。気をつけろよ」
「まかせて」
労りの言葉にも驚き、それを当たり前に享受する彼女にも驚き。声すら上げずに全員が黙って彼女を見送った。それを打ち破ったのは、年頃かつ好奇心旺盛な少女。
「妖兄、なまえちゃんて、彼女?」
張り切って地雷を踏んだ少女に、全員が固まる。勿論気になるところではある。がしかし、銃殺されかねなくもない。しかし蛭魔の口から出た言葉は予想の遥か斜め上を爆走。
「嫁」
「結婚してるの!?」
「六年後な」
イタズラな笑みを浮かべるのは、まあアイツらしいっちゃらしい。まだ小学校に上がる前からの付き合いだし、中学の頃からしか知らないが蛭魔は彼女にやたら優しかった。それはさも当然に、当たり前に。その他に対する態度を知っていれば、何気ない仕草からまざまざと透けて見える。恐れを知らないチアは更なる質問を繰り出そうとするも、休憩でもないのに手足を止めた部員に怒号と銃弾が飛んでそれは叶わなかった。きっとこの後、彼女の方が好奇の質問に晒されるだろうと考えてから、蛭魔が全力で阻止するだろうと考え直した。