初めて見たのは川のほとりだった。
花冠を作っていた白い羽根の天使の後ろ姿。生け捕りにしたら高く売れると思って見ていただけだった。風になびく濃茶の長い髪とか、座り込んだ足の細さ白さとか、無防備な背中とか。ふと風が向きを変えて、天使の背中を後ろから見ている俺の方から吹いた。悪魔特有の麝香の香りが流れてしまったようで、天使は緩慢に振り返る。隠れる必要もない。振り向いたからといって狙撃できないわけではない。ただちょっと、顔を見たかっただけだ。まあるい目に長い睫毛垂れた目尻。ほんのり赤らむ頬と、薄く開いた薄紅の唇。ああ、やっぱり天使だ。それから天使はあろうことか、悪魔である俺を見て微笑んだ。蝙蝠のような黒い羽根を隠しもせず、黒光りするピストルを持っているのにも関わらず、驚いたように目をまるく開いてから笑ったのだ。

「こんにちは」

高くも低くもない柔らかい声が鳴る。それが俺に向けられたのだと気づくのに、少々時間がかかった。白とピンクの花が散りばめられた花冠を、両手で壊さないように持って天使が立ち上がる。逃げられる、とピストルを持つ左手に意識を戻した。悪魔のそれとは違い、天使の羽根は羽毛に近い。柔らかで風に一枚一枚がそよぐ。天使の着ている白いワンピースもひらひら揺れる。

「もしかして、あなたは悪魔なの?」

日に晒されたことのないような細脚が土の上に踏み出された。生まれ落ちたときから美しく、何不自由ない天上で生きる天使は些か傲慢なきらいがある。足が、汚れるのを嫌うのだ。地上を歩くと、神の作った美しい足が汚れるのだと言う。しかし目の前の天使はいま、草花の生い茂る土の上に足の裏をつけて、しかもこちらに向かっている。

「絵本でしか見たことがないの。違った?」

髪と同じ色の瞳が確かに俺を見て笑った。高潔故に傲慢な天使のひとりだというのに。そのあどけなさは如何にも純真無垢な想像上の生きもの、天使であった。

「いいや、違くねえ」
「そうなの」

ひたひたと天使は俺に向かってくる。どうしたもんかと左手に力を入れたり抜いたり。

「あなたは」

ピストルを持った左手をまっすぐ伸ばせば、その眉間に突き当たるだろう。天使があと一歩踏み出したら、俺の爪先に当たるだろう。どうしてこいつは怖がらないのか。殺されるかもとか、売られるかもとか。

「とってもきれい」

きれい、だなんて形容されるのは勿論生まれて初めてで、無知と推測できる天使がどこを指してきれいだなんて嘯くのか理解できない。できないけれど、なんだか心地よいようなむず痒いような。何も気にせず、天使は恐らく意識もしないで小首を傾げながら、胸の前に控えていた両手を突き出す。両手に持った花冠が、俺に突きつけられた。

「あげる」

すぐにしおれて朽ちてしまうものなのに、なんの価値もないゴミと変わらないのに俺はなぜか右手でそれを受け取ってしまい、自分で困惑。けれど、天使が満足げに笑っていたから。まあいいかと思ってしまった。そんな自分に、さらに困惑。

「私を捕まえて売るの?」

唐突に、言葉は現実味を帯びて俺は左手の重さを思い出す。

「…いや、もう帰れ」
「またここに来たら会える?」
「次は捕まえて売り飛ばすぞ」
「じゃあ、こっそり見てる」

悪戯に笑って、天使は揺れる裾を翻した。

「ごきげんよう、きれいな悪魔様」

飛び立つ天使の、羽根を打ち抜いたら。飛び立つ彼女を、撃ち落とせたなら。天使は天使じゃなくなるだろうか。