痛い、と言いながら両腕を胸に当てて突っ撥ねた。
はあ? という苛立ちを僅かに含んだ視線を受けたけど、今日機嫌がよろしくないのは私もだ。寧ろ、私だ。
彼は私をソファーに押し倒し、貸したシャツのボタンを外して、中に手を差し込んでいるわけだが。

「生理前で胸が痛いんです。強く触らないでください」
「はあ、そうですか」

普段彼はほぼ平らな私の胸なんか見向きもしないくせに、今日は何の気紛れか、まず揉んできた。揉むほど無いから、掴むが正しいかもしれない。
不機嫌さを露わにして苦情言ったはずなのに、弥鱈さんはこともあろうに強めに揉んだその先を指先で押し潰した。

「いったっ」

下着に当たるだけで痛かったそこに激痛が走る。予期していなかっただけに、大きな声が出てびっくりした。
時期が時期だけに身体的不調だけでなく、精神的不調を堪えていた私は素早く足を上げて彼の腹を蹴り起こした。
ひりひりする左胸を押さえる。痛い。

「〜っ、痛いから触らないでって言ってるの、分かりません? ていうか、セックスのときくらいもうちょっと優しくしたらどうですか? 私だっていつも粗末に扱われて、いつもヘラヘラしてられるわけじゃないんですよね」

あまりにも腹が立って、一息に言ってやる。
言い訳にならないのは分かっているが、生理前は感情的になりやすいし、些細なことで癇癪を起こしそうになるし、下らないことで落ち込むし、なんだかよく分からないけれど、そういうモヤモヤにすらモヤモヤしながら生きてるんだこっちは!
そう思ったら、私の足の向こうに座ったままの彼が、名前を呼びながら手を伸ばすのすら忌々しい。

「今日はしません」

ぱし、とその手を手首のスナップで払った。借り物の大きなシャツのボタンを留めながら立ち上がる。
どういう表情をしているかなんて、想像もできなかったけど、彼の方なんて見ずに寝ると言って寝室へ向かう。彼の。
特に八つ当たりもせずにドアを開けて、閉める。
目の前の、ダブルベッドはいつも通りの穏やかさで、溜息が出た。彼のだけど。
そのまま向こう側に潜り込んで、丸くなる。
彼の匂いの掛布。枕。自分の部屋のとは違う景色。大きな窓。開けられたままの黒いカーテン。窓の向こうのキラキラ。
もう一度、溜息。
ひとりになると、少し落ち着く。そして、落ち込む。
別に、粗末に扱われてはいないんだ。そんなの、別にちゃんと分かってる。
そういう風にしかできないんだ。たぶん。そして、それは私たちの距離が近いからなんだ。たぶん。気の置けない、ということなんだ。たぶん。
遊びに来たら上げてくれるし、勝手にシャツを借りても怒らないし、寄っかかっても何にも言わないし、ゲーム機の充電をしてもシャワーを借りても、電気代もガス代も水道代も請求されないし。
なんであんなこと言っちゃったんだろ。傷ついたかな。弥鱈さんも傷ついたりするのかな。
嫌われたかな。嫌われたかも。嫌われただろうな。
私が悪いんだけど、もっと落ち込んだ。
どうして生理前っていつもこうなんだろう。ホルモンに振り回されて、バカみたい。それでこんなんなっちゃうんだ。弥鱈さんに当たったのは初めてだったけど。
でも別に、もうちょっと優しくしてくれてもバチは当たらないよね? いっつもいっつも、私の平らな胸をバカにする、というか無視するけど。
平らなのは私のせいじゃなくない? せいなのか?
優しくないようで、優しくて、投げやりなふりして、気を遣ってて、なんか分からないけど、好きになっちゃって。
でもなんでこんな悲しい思いをするんだろう?
生理前で頭がおかしくなってるときに考え事をするのは無意味で、夜に考え事はするべきじゃないのに、考えてしまう。
この後、どうなるんだろう。
彼はソファーで寝て、もうこれっきり、ぜんぶなかったことになっちゃうんだろうか。
悲しい、けど、よく分からない。
もう少し優しくして欲しいのは、たぶん素面でも、事実だ。
溜息を吐いて、滲んできた涙を掛布に染み込ませたところで、寝室のドアが開く音がした。
どうしよう。どうなるんだろう。振り向けない。怖い。

「なまえさん」

背を向けて丸まっていた私の肩を、彼が掴んだ。仰向けに倒されて、自然に目が合う。いつも通りの、読めない目。
黙っていたら、丁重な手つきで掛布を剥がされた。
えっ、と動揺している内に、キスされる。ふに、と軽く。
目を瞑る隙もなくて、彼も閉じていなくて、至近距離で見る黒目にはぼんやりした表情の私が見えた。
一度離れて、今度はもう少ししっかりと唇が触れる。彼は目を閉じたけど、私はぼんやりしたまま。
彼の手が、シャツのボタンを、外し始める。
抵抗しようかと思ったけど、あーあ、と思って、身じろぎせずに受け入れる。というか、好きにさせた。
もう、どーでもいいデス。
角度を変えて舌が入り込んできて、でもそれはひどく緩慢な動きで、瞼が重くなった。
私の中の、トゲトゲしていた部分が、丸め込まれていくみたい。
シャツを広げられて、下に何も着けていない体に大きな手が触れる。
また痛くされたらどうしようと思って、でももうどうでも良かった。受け入れたんじゃなくて、諦めた気分。
丸め込まれたって、そのトゲトゲは私に突き刺さるだけ。
触れられていても、悲しくなるだけ。空しくなるだけ。別に、大切にされていないし、粗末にされてるだけだし。
親しき仲にも礼儀は必要なのに。
何度も何度も首を撫でられて、何度も何度も鎖骨の辺りを撫でられて、腕を撫でられながら脱がされて、鎖骨下からほんの僅かなだらかに隆起する部分に手が滑る。
私の体は強張ったけど、それは至って優しくそっと、撫でるだけ。
想像した痛みが来なくて、体から力が抜ける。
口内を甘やかしていた舌が離れて、唇が離れて、その目とまた少し目が合って、でも私は何も言えなかった。
また、ふに、と唇が触れる。だけ。
離れて、後退していったと思えば、温い舌先が先ほど強く押された部分に触れた。
少し、ぴり、としたけれど、ふわふわと舐められるうちに、それも収まっていく。片方を優しく舐められて、片方を優しく撫でられて、悔しいが本格的にそういう気分になりだしたのが分かる。
足の間がぬるぬるし始めたのも、分かる。けれどまだ喋る気にもならなくて、黙ってその愛撫を受け続けた。
膨らみとは言えないような胸なんて、と大して触られず、舐められずなセックスばかりだったから、なんだかやけに心地よくて、クラクラした。
はあ、と一息吐いたら、舌を離され、撫でられていた方が舐められる。それも相変わらずそっとしていて、嬉しいような悲しいような。
できるんじゃん。できるんなら最初っから、してよ。
気持ち良いけど、気持ち良いはずなのに、なんか悲しい気もして、目に水分が溜まり出す。
これだから生理前は、と思って自分で自分に呆れたけど、それでもホルモンのせいな落ち込みは止められなかった。
放っぽり出していた手を動かして、掛布の端を引っ張って、溢れる前に目に当てて水分を吸わせる。
弥鱈さんはそれに気づいたようで、ゆっくり舌を離した。

「…なに泣いてんですか」
「…べつに」
「…痛いならやめますけど」
「…痛くない」

そんな、大したこともない会話なのに、それはなぜかもっと私の涙腺を刺激して涙が次から次へと生産されるものだから私はずっと掛布を目に当てていなければならなくなった。
なまえさん、と名前を呼ばれて、掛布から少しだけ彼を覗き見る。
呆れたような表情で頭を撫でられた。

「…感情的になりやすい、涙脆くなる」
「…なにさ」
「…情緒不安定、憂鬱」
「…はいはい、そうそう」

分かってんなら、こんなときくらい優しくしてよ。さっきは言えたのに、いまは何も言えない。
大きな手が、何度も何度も、頭を撫でる。それがすごく、涙を誘う。悔しくて、唇を噛んだ。すぐに親指が、それを咎めにやってくる。
さっきまで、いやいままでずっと、こんなに優しくされたことなんてなかった。やればできるんじゃないか。このやろう。
歯を食い縛っても、せり上がる涙はどうにも止められずに目から落ちていく。悔しくて、見られたくなくて、きつく目を閉じた。
うわあん、と言ってしまいたい。
その体にしがみついて、かじりついて、わあわあ泣いてしまいたい。
自分でない自分を、こんなに持て余している。

「…してもいいですか」

涙を吸いながら、弥鱈さんは言う。
私はただ頷いて、何もできない。
掛布で顔を隠しながら、また胸に愛撫を受ける。胸がこんなに気持ち良いなんて、新発見だ。いままでおざなりにされていたし。
彼は体中を丁寧に丁寧に、しつこくしつこく、撫でて舐めて、時折吸いついて跡を付けた。
見えていないから避けられずに、足の指を舐められたときは、思ってもみなかった快感に声が出た。
彼が、濡れて仕方ないそこに指をやったとき、私は何を言われるだろうかと恥ずかしくてたまらなかったけど、彼は特に何も言わずに、指を遊ばせる。
ゆっくりで、柔らかい当たりのそれはじんわりする気持ち良さで、沈んでいた気分が少し落ち着いた。
すぐに足を開かされて、舌先が当たる。中に入ってきた指と相まって、荒い息遣いが掛布を通り越しているのが自分で分かった。
そうされている内に、勝手に揺れ始めた腰と、強張る足で、察した彼は舌を少し強く当て指を深く沈めては動かす。的確なそれらに追い立てられて、声も発せないまま、体を手放した。

「なまえさん」
「…なに」
「入りたいです」
「…うん」

もう、機嫌が良くなりつつあるのを、なんとなく悟られたくなくて、短く返事。弥鱈さんは速やかに支度をして、私の両足を両手で押し込めた。
ぬるぬると辺りを確かめるようにしてから、窪んだそこにゆっくりと侵入してくる。それが、どうしてか、とても心地良くて、目のやり場に困った。
何か足りなかった場所に、ちょうどいい何かが収まったような、感じ。
いまならどんなワガママも聞いてもらえそうな気がして、手を伸ばした。両の指先を意外と太い首にかけたら、彼が上体を屈めたから腕ごと絡める。
体重をかけるように体を浮かしてキスをしたら、彼がもっと体を沈めてきて、私をベッドに押さえた。
目を閉じて、ひたすらに舌を絡めながら下腹に快感を享受する。中を掻き回すより、擦り付けるような抽送を繰り返される。
きもちいい。
べろちゅーしながら、セックス、だなんて、なんだかラブラブなカップルみたいで、ドキドキする。
ガンガン突かれて、擦られて、怖いくらいの絶頂が見える。
唇を離して、いく、いっちゃう、と小さく言えば、弥鱈さんは体を起こし私の足を肩にかけて手で固定し、もっと強く深く押し入れてくる。
顔を背けながら、悲鳴を殺して、それから、震える体をベッドに深く深く沈めた。
彼は動きを止めて、私の頬を撫でる。

「…まだいってないんですけど」
「…うん。…うしろから、していいよ」

たぶん、弥鱈さんはこれが好きだ。
無言でひっくり返されて、そのまま敷布に肘下と頬を当てる。
すぐに動き始めた彼に、奥まで当てられたくて腕で体を突っ張る。
我慢できない声が、下を向いていても、聞こえてた気がする。
動きが早く強くなって、気持ち良さにわなないていると、弥鱈さんもゆっくり体を押し付けた。
ゆっくり抜かれて、足をひかれる。ベッドにうつ伏せになって、余韻に浸る。
弥鱈さんのセックスは、クセになる気持ち良さで、でも今日はいつもより甘ったるかった気がして、こういうセックスを誰かとしたのかな? と考えて、苦しくなった。
後始末を終えたらしい弥鱈さんに肩を掴まれて仰向けにされる。動く元気がなくてされるがままになっていたら、少し足を開かれる。ティッシュを持つ手に何をされるか察して、手を伸ばす。

「やだ、恥ずかし、」

制止は間に合わず、弥鱈さんはそれで私の足の間を柔らかく拭き上げる。
すさまじい羞恥に襲われていたけど、彼は特に反応もなく私に掛布をかけた。
ボクサーをまとった背中がゴミを捨てに遠ざかる。ぼんやり無言で見送って、下着を探して身につけ、シャツを羽織って真ん中辺りのボタンを留めた。
戻ってきた弥鱈さんはミネラルウォーターのペットボトルを飲みながらで、黙って見ていたら、目が合って、口移しでそれをくれる。
それをベッドサイドに置いて、掛布をめくって入ってきた彼にスペースを空ける。
もっと優しくできないのか、と言ったのは私だけど、嬉しいんだけど、それだけで済ませられないのが、自分でも嫌になる。

「うでまくら」

要求したら、無言で差し出される腕。固くて太くて、枕にするには少々高い。
でも、いい。
そういうのは問題じゃない。
弥鱈さんは、わりと、ずっと、無言。

「…できるんじゃん、やさしく」
「…まあ」
「弥鱈さんは、ツンだけかと思ってたら、デレもできるんですね、非常に稀に」
「…しつこいですよ」
「まあ、いいですよ。別に。いつもの強引でおざなりな感じも嫌いじゃないですし」

ぶつかるまで近寄って、二の腕に頭を乗せ肩口に額を当てる。肌の感触。すき。悔しいけど。

「…本当に好きだったら」

彼が無言なのを良いことに、目が合わないのを良いことに、また自分を傷つける。

「さっきみたいなセックスするんですか?」

言ってて、傷つく。
愛されていないことを、好かれていないことを、わざわざ証明しようとしている。

「…あなたも、しおらしくなることがあるとは」

体の向きを、仰向けから私の方に向けて変えた彼の、手が頭に触れる。
そーだ。私にだって、ナイーブになるときくらいある。
私がいつも、強くて気にしなくてヘラヘラしていると思っていたんだろうが。

「あるよ。女の子だもん」

いつもみたいに笑われるかと思った。
弥鱈さんは黙って、頭を撫でるだけだった。

「そういうところも、好きですよ」

たぶん、私は泣きたかっただけなんじゃないかと、いま、思った。








実は、結構、焦った弥鱈さん。
だったらイイナ。