「ねえねえあのさあ」

悠助くんは何も言わなかったけど、大体ちゃんと聞いているから続けた。

「もうちょっとで付き合って三年になるじゃない?」

テーブルに頬杖をついた私に一瞬だけ視線を投げて、けれどまたそれはゲームの画面に戻ってしまう。付き合いたての頃は、私はゲーム以下かと苦しんだけれど一年も経てば慣れた。ゲームに勤しんでいる悠助くんは、静かだし動かない。だから私も勝手に、寄りかかったり抱きついたりしている。悠助くんはそれにすら反応しない。
でも今日は、離れてみた。テーブルの向こうのソファーに座る悠助くんと、床に座り込む私。悠助くんの家には、ラグというものはない。

「記念日は私が勝手に決めちゃったんだけど、悠助くん、別にいつでも良さそうだし」

覚えてる? 初めてふたりで飲みに行ったとき。
悠助くんはどうせその画面に釘付けなのだ。私は彼から視線をずらした。若者らしい、スウェットとTシャツの部屋着、猫背にガニ股気味の爪先。私は、少しでも可愛く思われたくて、でも可愛いのは苦手で、少しだけ女の子っぽい、淡いピンクで丈の短い感じの部屋着を約三年、色々物色しては買い続けている。効果を実感したことはない。

「どーにかこーにか、喋ってくれるところまで仲良くして、断られたら、じゃあまた今度!って言って、もう諦めようと思って誘ったんだけどね」

飲みに行く、なんて悠助くんにはびっくりするくらい似合わない。社内の飲み会ですら、一次会で必ず帰るし、そもそも来ないときだってあった。断られるだろうと思っていた。断りやすい空気を作るよう配慮したし、断られても気まずくならないだけの軽さも心がけた。それが、あっさり、いいですね、ときたから私は慌ててしまったのだ。
ここ、新しくできて、おいしいらしいんですよ、と私が言ったから、お店は私が予約した。仕事終わりの時間、デートみたいな格好はできずに、形のきれいなスーツに可愛めのインナーがせめてものおしゃれで、食事中ずっと落ち着かなかったのを覚えている。デザートがきてしまって、お別れの時間が来たことがとても寂しかった。お化粧直しに席を外した間、悠助くんがお会計を済ませてくれていなかったら、きっと私は自分を押し殺して、駅で解散しただろう。結局、悠助くんがそれとなく舵を切ってくれて、私が提案するように仕向けてくれていたようにも思える。

「なんやかんや、うちで飲み直して、そのとき悠助くん、ちゅーしてくれたじゃない」

だから、あの日を記念日にしたんだけどね、もう三年経つんだよ。
まこまごしてばかりで、傷つくのを恐れてばかりで、でも一緒にいたいという私はなんてわがままだったのだろう。悠助くんがキスしてくれなかったら、私たちは何もないまま三年経っていたかもしれない。
ただ、キスの真意を確かめるのに数日かかったのは、事実だ。

「回りくどいんじゃないですか」
「うん、ごめんね」

顔を上げない悠助くんの、通った鼻筋を眺める。どちらかというと細身だし、日に焼けていないし、それなのに、体や顔の作りはオスのそれだ。骨が太くて、ゴツゴツした表皮。かっこいいなあ。
私はいつもそう思いながら、あらゆる角度で悠助くんを見つめている。

「三年一緒にいるとさ、もう悠助くんは、永遠に私のことを好きでいてくれるんじゃないかって、思っちゃうよね」

悠助くんと目が合うのが怖くて、視線を鼻筋から指の曲げられた手に下ろした。皮膚に長く埋まった爪の先は、指先から突き出ないよう短く揃えられている。
私の胸は、いつも締め付けられている。ギシギシ鳴って、苦しんでいる。好き、が私を縛っているのか。不安に押し潰されそうなのか。

「…そう思うんなら、そうなんじゃないですか」

こういう、悠助くんの優しいところを、どれだけの人が知っているのだろう。やる気のない、素っ気ない態度で、でもきちんと仕事をこなす姿を、しなやかな肉体が見た目以上に強靭なことを、意外と空気と顔色を読める性質を、どれだけの人が知っているのだろう。
これらを目の当たりにしたとき、悠助くんを好きになる女性は、どれくらいいるのだろうか。

「でも悠助くん、かっこいいしさ、仕事できるし、強いし、結構良い人だし、」

この後に続ける言葉を、私は迷う。
どうしても、自分を卑下する言葉ばかりを拾ってしまう。
いつまで私を好きでいられるかな。いまも好きかは分からないんだけど。
どうして私を好きになったのかな。いまも好きかは分からないんだけど。
どれも、口から出したらいけない気がして、どれも、私を傷つけるナイフにしか見えなくて、私は口角を両方とも上げたまま黙る。
考えて考えて、すっごくもてそう、という無難な言葉に落ち着いた。

「そう思うのはあなたくらいですよ」

そんなこと、ないんだって。イイ男っていうのは、意外と見つけにくかったりする。だから、またもや意外とフリーだったりする。悠助くんは、私と付き合っているわけだけど、世の中の高スペック女性からすると、私なんてライバルにすらならないだろう。
こんなときだって、私は悠助くんをかっこいいなあと思いながら見る。そう思う女性が、いまどれくらいいるのだろう。

「悠助くんはさぁ、すんごいかっこいいんだよ! ほんとに! 分かってる?」
「…だから、あなたしかそうは思っていません」
「…そんなことないよ」

離れている時間がどうにも惜しくなって、私は立ち上がってソファーに座る。距離を詰めて、足と足をくっつけて悠助くんの腹部に腕を回し肩にまとわりつく。悠助くんは、何も言わない。
うつむいて色々思うところを噛み締めていたら、つまらなさそうな悠助くんの声。

「回りくどいんじゃないですか」

さっきも聞いたな、と私は顔を上げる。悠助くんは画面から目を離さない。それが、優しさなのか興味のなさからなのか、分からない。
ただ、この話の向こうにある何かを促してくれている気がして、私は黙ってその骨格が見えそうな顔をまじまじと見つめた。

「…友達がさ、同棲してるんだけど、彼氏が職場の人妻にちょっかいかけられて、友達に、もう好きじゃないかもって言い出したんだって」
「…」
「不倫までいってないらしいけど、揉めてて大変そうでさ」
「…」
「だから、悠助くんにもしそう言われたらどうしよっかなって思ったの」
「…あなたはそう思わないんですか?」
「…悠助くんを、もう好きじゃないって? ありえないよ。大好きだもん、知ってるでしょ」

悠助くんが、ゲームの電源を切ってテーブルにそれを置いた。私が拘束しているせいで動かしにくそうな左腕をするっと動かして、私の腰で落ち着く。ふいっと首をまわして悠助くんが私を直視する。険はあるけれど、たぶん、そういう作りなだけで、眉間に皺が寄っていないと随分可愛い顔をしている。贔屓目か?

「俺もありえない」
「…もう好きじゃない、が?」
「そう」
「…そっか」

面倒くさがりが高じてほぼ敬語で生きている悠助くんの貴重なタメ口。それだけでも照れる要因にはなって、私は顔を伏せた。

「なに、照れてんの」
「いや、照れてないけど…悠助くん、あんまりそういうこと言わないじゃん」

あの日も、ソファーで、寄りかかった。これらが脈アリなのかを友達の誰かに聞きたくて、でもメールする隙なんてあるわけもなく、ただただうっすら酔いながら。もうどうしたら良いか分からないから、このまま寝てしまおうと思ったのだ。あとはもう、全面的に悠助くんに委ねるつもりだった。けれど、寄りかかった、私の腰に、あの日も腕が回されて、どうしたら良いのか分からなくて、見上げた。
困って見上げたら、キスをされた。ちょうど、いまみたいに。あの日は、私の家だったけど。
ああ、好きだなって、今日も思う。三年前のあの日のように。
唇が離れても、悠助くんを見ていないと勿体ない気がするくらいに。
あの日は、どうだったろう。少しだけ、いちゃいちゃして、本格的に意識が飛びかけた私に、悠助くんがシャワーと寝る支度を促し、悠助くんも軽くシャワーを浴びてふたりで寝た。お互い休みだったけど悠助くんは、朝方に帰った。

「なまえさん」
「ん?」
「結婚しませんか」

あの日から戻ったばかりで言葉を失った私に、悠助くんが薄く笑う。するりと腕を抜け出して私の頭を撫でてソファーを立つ悠助くんを目で追う。寝室に行ってしまったから、追うべきか迷ったら、悠助くんはすぐに戻ってきた。
その手に、持っているものを認めて、私は居ても立っても居られずに悠助くんに抱きついて泣いた。