※短い
しゃがみ込んだ彼女の二の腕を、目の前に同じようにしゃがんで強くぎゅうと掴む。ジタバタしなくなった彼女を確認して、両手を腕から離した。ぶら下がったままの腕から両手を掬って左手で握り、右手で頭をゆっくり撫でる。
「落ち着いて、」
俯いた彼女の、荒い呼吸音。衝動で暴れるのは止めたけれど彼女の上体はまだ呼吸とともに前後に揺れている。冷たい手を握りながら、頭を撫で続ける。これが好きだと、いつだか彼女は言っていた。
ゆっくり、吸って、吐いて。子どもに言い聞かすようにその言葉を繰り返す。彼女もその通りにしようとしているのだろうが、乱れた精神は安易にそれを許さない。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
左手を握ったり緩めたりをしていたら、彼女の両手がそれに応えた。上体の動きが鈍くなってくる。呼吸のタイミングを図りながら、頭に乗せた手と両手を握る手を、心臓の速さよりゆっくり動かした。
吸ってばかりだった呼吸から、彼女は深く長く息を吐き出す。それを続けているうちに、彼女が疲れたようにうな垂れた。
「落ち着きましたか」
「…一応…いたっ」
「頭、少し腫れていますね」
左のこめかみから頭頂部よりの場所が、僅かに腫れている。彼女には、自傷癖があった。負の感情が頂点に達したとき、我慢していた感情がコップから溢れ出したとき、その衝動を、癇癪を、心優しい彼女は自分に向ける。暴力衝動を、他人に向けないためなのか。止めないと、彼女は血が出るまで、皮膚が裂けるまで、肉が破れるまで、骨が折れるまで続けるだろう。その衝動が終わらない限り。
彼女は深呼吸を続ける。
「…カッときちゃった」
「そういうときもあります」
「やっぱり、私、心が狭いのかもしれない」
「私の方が狭いですけど」
「…そうかも」
やっと彼女が薄く笑った。
顔を上げた、額で前髪が乱れている。それを指先で整えてやった。彼女は大きく溜息を吐いて目を閉じる。その両手が、何かを求めるように強く左手を握った。
「でも、このままだと、私、あいつを殺しちゃうかもしれない」
「…良いんじゃないですか」
先に俺が殺すかもしれないけど、と呟いたら彼女が華やかに笑った。冗談だと思ったのだろう。それでも良いけれど。
我慢に我慢を重ねる彼女の疲労を慮ると、別に殺しても良いような気さえする。俺たちは、生死の重要さや大切さなどを軽んじている。簡単に痛めつけて、簡単に殺す。処理もできる。そういうところにいて、狂ってしまわないような見習うべき強靭な精神を俺は持っていない。
「とりあえず、上司にキレてみる」
「それが良いかもしれませんね」
膝をついて彼女を抱き締める。これだから、彼女は生きることに疲れているし、絶望しているし、きっと心を病んでいる。結局、彼女のように気遣いができ、人の顔色を伺うことができ、場の空気を読むことができ、我慢ができ、色んなものを見過ごせないような性格の人こそが損をする。そうでない人種は、他人を容赦なく踏みにじっていることにすら気がつかない。そして彼女は、俺のように気づいた上で無視をできる性質ではない。知るか、どうでもいい、と可哀想にも彼女は言えない。
損な性格だ。
温かい彼女を抱き締めながら、そう考えた。