どこまでもどこまでも、白い景色が続いている。
ガラスを隔てた向こう側の色すべてに白が覆い被さっているのはどうしてなんだろうと思っていたけど、酸素が無くなるのではと心配になるほどの雪が絶え間なく降り続けているからだと分かった。
見ているだけで寒い。二重の窓ガラスから冷気が伝わってくる。お伽話のような冷たさと圧倒的な雪に、自分が氷漬けになる妄想をする。でもここは暖房の効いたホテルの一室で、窓のすぐそばでしか冷えた空気を感じることはできない。
ほう、と感嘆の息が漏れた。
「こういうの、はじめて」
「そうですね。まったく、勘弁して欲しいものです」
窓にへばりついていた私は振り返る。ソファーにだらしなく凭れ込んでいる弥鱈さんはテレビのリモコンを持ったまま、心底嫌そうな顔と声の色を隠さない。
昨夜からの暴風雪を伝えるニュース番組では、見たことない高さの雪山がそびえる街中や真っ白に吹雪く滑走路などが映っていた。認める。私は雪国を舐めていた。いや、正確には私たちは、だ。賭郎の仕事を終え、いざ東京へ帰ろうとしたところ、飛行機が漏れなく雪のため欠航という事態に見舞われた。私たちの乗る便だけでない。今日は恐らくすべての便が欠航になるだろう。空港で一夜を明かすなんて絶対に嫌だと急遽ホテルを取ったものの、同じ状況の人たちが溢れるほどいるせいか何とか取れたのはツインの部屋のみ。
弥鱈さんの機嫌は悪くなるばかりだ。
「でもなんか、ロマンチックじゃないですか?」
「吹雪で飛行機が飛ばないのがですか?」
「違う、この雪。もうちょっと遅かったらホワイトクリスマスだったのに」
フ、と弥鱈さんは鼻で笑う。私はまた視線を窓の外に戻す。
すごい。単純に、すごい。雪って、こんなに降るんだ。掻いても掻いても、意味なんか無いんじゃないかってくらいに降り続き、降り積もる真っ白。ここに来るまでで、私の髪やコートにもたくさん纏わりついていた。それは大きな大きな粒、もしくは欠片で、結晶なのがよく見えた。雪の結晶、というのは本当のことだったらしい。人差し指で触れたらすぐに水になってしまった。
雪だ、そう思った。雪の結晶は、ひとつとして同じものがないらしい。神秘だ。この世にはまだ、私の知らないことや見たことのないものか溢れている。
「どうしてこんなところに住めるのかな?」
「…住んでたからですよ」
「移住しようとか思わないのかなあ」
こんなに寒くて、こんなに雪で。そう思うけど、冬が長かったり夏が長かったり、湿度が高かったり低かったり、そういうところはたくさんあるんだ。東京だって、夏は茹だるような暑さだ。こっちはそれほど暑くならないし、湿度が低くて過ごしやすいと聞く。
住んでたから、なるほど、分かりやすいし、確かにそうだ。だからみんな、雪の道を上手に歩くし、こんなに寒いのに薄着なのだ。そして、こんなに雪が降っても傘もささず平気な顔で黙々と歩いたり、除雪をしたりしている。私は何度も転びそうになった。
けれどあの空気は嫌いでなかった。顔全体があんなに冷たくなるなんてそうそうない。なぜか分からないけれど、私の裡まですっきりくっきり、そしてさっぱりしたような気がする。
「弥鱈さん、寒いの嫌いそう!」
「暑いのも嫌いです」
「年中エアコン、フル稼働だ」
「そんなことより、」
弥鱈さんは、握っていたリモコンを向こうのソファーに放る。ニュースでは、明後日までは雪は降り続けるだろうと言っていた。私は溜息をひとつ吐いて立ち上がる。部屋を出、エレベーターフロアで賭郎本部に電話を掛けた。帰れないんじゃどうしようもないと明々後日の便で帰る予定に変更させ、フロントで連泊の相談をする。混雑する時期ではなかったからどうにか明々後日まで滞在できることになった。雪で避難してきた人たちも、一泊を確保した程度なのかもしれない。もう少し遅かったら、私たちのような人が殺到していただろう。
フロントの近くにあった土産屋で、地酒と名物だというおつまみを幾つか買って部屋に戻る。不機嫌な弥鱈さんの前に、買ったものの入った袋を置いた。
「明々後日の便で帰ります。それまではここで三泊、自由時間です」
「…はあ?」
「帰れないんだから仕方ないでしょう。諸々の手筈は整えました」
「…はぁ」
「弥鱈さん、既婚者?」
「…いいえ」
「彼女います?」
「…いいえ」
「じゃあ問題ないですね」
スーツのジャケットを脱いでその辺に放り、グラスを二つ取ってくる。向かいのソファーに腰掛けた。思ったより深く体が沈む。瓶を開けて、透明な液体を注いで、眉間に皺を寄せたままの弥鱈さんに渡した。
「とりあえず飲みましょう、ロマンチックな景色にかんぱーい」
無理矢理グラス同士をぶつけて、私はそのままグラスを傾けて一気に飲み込む。飲みやすいけれど、一息でクラッとするくらいには強い。腕を伸ばしてリモコンを取り、先程から同じことを繰り返すニュースを消す。
雑音がなくなると辺りは一気に静かになり、私たちの動きによる衣擦れやグラスがテーブルに置かれる音くらいしか聞こえなくなる。
耳を澄ませば、静かに、かつ絶え間なく確かに雪が降り注ぐ音が聞こえてきそうだった。
そう考えると、この状況がとても楽しく感じられる。
「なんか、楽しくなってきた」
「弱いんですか? これ結構度数ありますよ」
そう言いながら、弥鱈さんは顔色を変えずに二杯目を飲んでいる。私は二杯目を舐めるように飲みながら、目を細めた。
窓際で見るより迫力はないけれど、窓の向こうはやっぱり映画みたいに現実味がない。質素な室内と相まって異世界に閉じ込められたようで、自然と口角が上がる。
「たまには良いんじゃないですかぁ」
「たまに、ねえ…」
「立往生ですよ。帰ることもできず、なんとか暖かい寝場所を確保しただけの白銀の世界で」
現実じゃないみたい、と言った声は吐息が混ざりすぎてうまく言葉にならなかった。けれどそんなことは気にならず、私は強いお酒を舐めながら弥鱈さんが開けたおつまみを摘まむ。
こういうとき、映画ではどうしてるっけ。
そう思いながら弥鱈さんを見たら目が合った。いやに熱くて蛇みたいな。
いままで見た洋画を思い出す。二進も三進も行かない、追っ手がすぐそこまで迫っている、そんなときでも映画の中の彼と彼女はその非日常的な空気に酔うのか、命の危機で本能か働くのかそういう行為に及び、私はいつもいまそれどころじゃないだろう、とモヤモヤしていたことも、思い出した。
いまなら、分かる。私たちに追っ手はいないけれど、確かになんとなく。なんでだろう?
蛇みたいな目から視線を逸らさずにいたら、なんとなく楽しくなって、私はテーブルにグラスを置いた。