きっと、私なんかの手の届かない人で、こんなふうになれたのは神様のいたずらか何かなんだと思う。
住む世界が違う、をまざまざと実感したけれど、それでも好きでたまらなくてどうしようもなかった。
たまたま知り合っただけのひとを、どうしてかこんなに好きになって、どうにかこうにかゆっくりじっくり距離を詰めて、彼が私の家に来ているという奇跡を私はただ噛み締めている。
真っ暗な部屋、唯一明るいテレビ。話題の新作。見に行きそびれたそれが、なんとなく話の種になって。弥鱈さんも見てないというから、そんなこじつけで自宅上映会。
見慣れた風景に、彼という存在。
私はなんてことをしてしまったんだ、と我ながら恐ろしくなる。
ただ、私から手を伸ばさないと掴めないだろうということだけは分かっていた。手を伸ばしても掴めないだろうとも思っていた。
でも、好きになっちゃったから。
ちょっとだけ、頑張ってみたかった。
邪魔されたくない派かもしれないと、無言で映画に見入る。ラブストーリーでなくて良かった。社会派サスペンスものは、結構集中させてくれる。
隣にいる、というドキドキ感を、少しでも忘れたい。
互いに黙って見続けて、たまにその横顔を盗み見して。
やっと、エンドロール。それが、良いのか、悪いのか。
「なんだか、ドキドキしちゃいました」
「そうですね。結構良かったです」
「本当ですか? 良かったあ」
普通に話してくれる、それがもうどうしようもなくて、どうしたら良いのか分からなくて、困る。
隣にいる、彼が、恋しくて仕方ない。
平静を装って、DVDをデッキから出す。
その後、隣に戻って良いのか分からなくて。
「弥鱈さん」
「はい」
「…今日、金曜ですね」
「そうですね」
「あした、は…」
「休みですけど」
「弥鱈さん」
意を、決して、その目を見る。
恥ずかしくもあるし、こんなことをして良いのかとも思う。
けど、けどもう、私にはこれくらいしか道がない。
「弥鱈さん…お付き合いされてる方って、いるんですか?」
「…いないですけど」
ぎゅ、とこぶしを握って、ソファに戻る。
どうせ、叶わない人なんだ。
後悔だけは、したくない。
迷惑には、なりたくないけど。
「弥鱈さん、私、弥鱈さんが好きなんです」
即答しなかった、その目は何を考えているのか。
分からないけど、震える手を擦り合わせながら、彼の足に触れた。
なるべく、目に力を込めて、近づく。
お願い。お願い。
「…ダメですか?」
足の爪も綺麗に塗った。髪も体も、自分としては隙はない。
なんとなくだけども、弥鱈さんは流されてくれる人な気がした。
既成事実を作ってしまえば、なんて随分と嫌なことを考えてしまったのは、好きだから以外に理由はない。
迷惑だったら、もうさようなら。その覚悟は、たぶんできている。
流されてくれなくても、大切な、幸せな、思い出だ。
お願い、お願い、黒い目に、そらしたくなるけれど。
「…みょーじさん」
困ったような、たしなめるような、そんな声を聞きながら、私は身を乗り出して、唇にキスをした。
阻まれなかったそれは、目を開けたままで、でもクラクラする甘美さを私にもたらす。
もう一度、今度は目を閉じて、重ね合わせれば、また拒否されずに熱が交わる。
離して、目を見て、手に触れる。
立ち上がって引けば、されるがままの手がついてきてくれて、私は彼を寝室へ促した。
何も言わない、彼の、心が分からなくて、少し苦しいけど。
ベッドに座ってくれた彼の、足に座る。
「…ダメですか?」
駄目押しを呟けば、弥鱈さんの手が、太ももにかかる。弥鱈さんに触れられたら、こんな感じなんだ。
ぞくぞくする。ふわふわする。とろりと、溶けだす何かを、はっきりと自覚する。
その腕にすがる。
抱いて、ほしかった。
「みょーじさん、」
「…なまえで、呼んでもらえませんか、」
「なまえさん」
キスをされながら、ルームウェアのワンピースがたくし上げられながら、手が触れる。
それだけで、たぶん、私はもうダメだ。
そのキスが、意外と情熱的で、彼の舌が、うごめく度に、私はまた彼を好きになる。
するりと洋服を抜かれて、彼の手が下着にかかる。少し指が動いて、ホックが外される。それも抜かれて、ラグに落ちる。
弥鱈さんが片手でワイシャツのボタンを外し始めたから、手伝う。
首や胸に愛撫を受けながら、脱いでいくその体を見て、熱が高まる。
細く見えたけど、かなり鍛えられている、逞しいそれに、これからを想像して、下腹がきゅんとした。
「弥鱈さん、ん、すごい、筋肉、」
指でなぞる。
彼の声が私を呼んで、どうしようもなくて首にかじりついた。素肌で触れ合うと、とても心地よい滑らかさで、クラクラした。
もっと、触れ合いたい。
「弥鱈さん、ぁ、す、…き」
膝の上から持ち上げられて、ベッドに寝かされる。それがとてもよどみない動きで、私は何もしないで良くて。
脇腹に吸いつかれるもどかしさに耐えていたら、彼の手が最後の下着にかかった。
もう濡れていることが恥ずかしくて、でも私が仕掛けたこれを、止めるわけにもいかなくて。
下げられたそれに、腰を浮かせて応える。ぱさりと落ちた下着を見届けて、彼がそこに舌を当てたのに気づくのが遅れてしまった。
「ん、ぁ、ぁあ、み、だらさ、」
彼に触れられている。彼が、私の、を舐めている。自発的に。
的確に与えられる快感と、彼がしているというそれが、私の天井をみるみる下げていく。
閉じようとする足を断固として押さえる大きな手が、くすぐったくて仕方ない。
舐められて吸われて、内ももが震え出す。
「あ、の、うぅ、い、っちゃ、」
言い切る前に、彼の舌の動きが細くなる。私を追い立てるそれに耐えられず、私は彼の指先を探して、握って、突き抜けていくそれに、身を委ねる。
喉を過ぎていく、高い声。自分のだなんて、信じられない。
「弥鱈さん、」
急に重くなった体を持て余しながら、もうそれ以外に言葉がなくて、彼をふちどるそれしか口から出てこない。
弥鱈さんは、覆いかぶさるようにキスをしながら、そこに指を一本沈めた。
彼と、弥鱈さんと、こうしている。
信じられない幸福に、この時間が永遠ならとすら思う。
そして、彼のするこれが、やっぱり上手で、複雑な気もするけど、それ以上に嬉しい。
彼の背に腕をまわす。筋肉のかたちを、指でなぞる。
私より厚くて、幅があって、少し乾いた、その肌が、恋しい。
指が、もう私の場所を把握して、擦られる度に足が開いてしまう。
はしたないそれを堪えながら、その刺激を堪能していると、ゆっくり指が増える。
ちょっと痛いけど、感じていたくて、意識を口内に戻した。
それでもすぐにせり上がる感覚が襲ってきて、私は彼に全力でしがみつく。
自分が自分でなくなってしまうような、私がどこかに行ってしまうような、そんな何かが恐ろしい。
指を締め付けながら震えていると、ゆっくり抜かれて、唇が離れる。
スラックスを脱ぐ彼をぼんやり見ながら、ああ、と思う。
そういえば避妊具を用意していなかったと思っていたら、彼はどこからかそれを取り出して、自らにかぶせる。
弥鱈さんにもその気があったのかと思えば、この手段も功を奏すかもしれないと、口角が上がる。
「…なまえさん」
「…はい」
指先で髪を寄せられながら、それがそこを行き来する。その感触が堪らなくて、待ち遠しくて、お腹の奥がうずく。
足を持たれながら、割り開いてきたそれの、中を擦る大きさにまたため息が出た。
弥鱈さんは、完璧だ。
何度か腰を当てられて、全部入ったそれの先が、当たっているのが分かる。
動かされて、気持ち良くないわけがなくて、私は彼の顔を見た。
こけた頬と、鋭くない顎。鋭角な鼻のラインと、黒い目。
好き、と思ったら弥鱈さんが動き出して、その感覚が全身をはしる。身体中が気持ち良くなってるみたいで、せき止められずに声が出た。
お腹側をこする動きに耐えられず、彼を抱き寄せる。
従ってくれた熱を触れ合うすべての肌で感じながら、押し殺し損ねた声を漏らした。
「…なまえさん」
息遣いに混じって、彼の声。
目を合わせて、続きを促す。
自分のことばかりで気がつかなかったが、弥鱈さんはちゃんと大丈夫なんだろうか。
そんな不安がやっともたげた。
「…締め過ぎなんですけど」
「え、んぅ…わ、わかんな、ぁあ」
わざとのように、返事をしようとしている私を責めるのは、実はそれを求めていないからなのかもしれない。
初めて見る、眉をひそめた表情がまた格好良くて、すごく好き。
揺すられる度に背中を駆け上がるようなそれが、病みつきで、誘って良かったと心の底から思った。
「み、だら、さん」
「はい」
「す、すごぃ、…イイ、です」
初めて、弥鱈さんが少しだけ笑って、また胸が締めつけられる。
好き、と何度も心の中で呟いて、伝わることを願っていた。
体を起こした弥鱈さんに、奥までを激しく突かれて、足が震える。
何度か体位を変えて、肩を押さえながら弥鱈さんが熱を吐き出したとき、やっと悲しくなった。寂しくなった。
この思い出が、美しすぎて、幸せすぎて、生きていける気がしない。
弥鱈さんが処理をしている間に、下着を拾って身につける。
ベッドに座ったままぼんやり彼を待った。
「弥鱈さん」
「…はい」
「私、もう生きていけないかも…」
は? という視線を感じながらも下を向いたまま続ける。
人生で、たぶん、さっき以上の幸せはもう存在しない。
人生で、きっと、彼以上のひとには出会えない。
「私、とっても幸せでした」
意味もなく、ルームウェアの裾のレースをいじる。
顔を上げる勇気がなくて、彼女いないなら、付き合ってほしいとも言えそうになくて、過ぎていった幸せを噛み締めて、泣きたくなる。
「ワガママ、言ってごめんなさい」
頑張って頑張って、顔を上げる。
最後くらいは、ちゃんと言わなくては。
「もう、これで、諦めます。優しくしてくれて、ありがとうございました」
いつも通り、読めないかおの弥鱈さんに、さっき決めた通りの言葉をかける。
どうしてか、涙が出てきて、また下を向いた。拭っても拭っても、止まらないそれに、私が困る。
「みょーじさんは、どうしたいんですか?」
しゃくりあげる私に、肩に手を置いた弥鱈さんが、静かに問う。
けして、抱き締めてくれたりしないところが、彼らしい。
どうしたいんだろう。
そんなのは分かりきったことだけど、でもそれは弥鱈さんの意思を無視していることだから。
もう一度、名字を呼ばれる。促すそれに、私は下を向いたまま、答える。
「…弥鱈さんと、お付き合いできたら…嬉しい」
絞り出したそれを、言いたかったのか言いたくなかったのか、誘ったときよりも恥ずかしくて、悲しくて、私はただ涙が止まってくれることを願っていた。
弥鱈さんを、困らせたくないのに。
好きなのに。
好きなのに。
好きだけど。
「いいですよ」
いつも通りの、弥鱈さんの静かな声。
意味が分からなくて、泣いたまま考える。
考えて、涙が途端に止まった。
「え?」
「みょーじさんがそうしたいなら、良いですよ」
付き合いましょうか、という声をぼんやり聞いた。
…ツヅク