重いドアを押し開けたら、ぶわっと風が通った。髪を整えながら細めた目をしっかり開ける。そこには、焦がれていた背中があった。ドアの音がしても振り返らない背中を目指して足音を潜める。

「こんにちは、弥鱈立会人」
「…どうも、みょーじ掃除人」

柵に両腕を預けて、弥鱈さんは気怠げに煙草を吸っていた。喫煙所で見かけたことがなかったから、最初にここで遭遇したときは少しびっくりしたことを覚えている。さらさらと緩い風が流れる。私も隣に立ち、風を遮るように柵に背を寄せた。緑と白のパッケージに黒い英字の刻まれたボックスから一本取り出し咥え、セレニティ・プレイヤーを開ける。何度か親指を滑らせるも、火はすぐ消えてしまう。

「あれー」

蓋を閉めて、振ってみる。親指を滑らせても火は安定せず一瞬で消える。ジッポの表面に書かれたニーバーの祈りに目を通してから、弥鱈さんに声をかけようと顔を上げた。

「弥鱈さん、火ぃ貸してもら」

頬に当たる風が和らぐ。心臓が暴走するほど近くに、弥鱈さんの顔がある。私はびっくりして言葉を見失ってしまった。弥鱈さんは咥えている煙草の赤く燻る先端を、私の咥えた煙草に寄せてくる。ドキドキしながら私も顔を寄せて、煙草の先をくっつけた。息を吸って先端が赤く燃えたのを確認して不自然にならないよう意識しながら距離を取れば、弥鱈さんもまた柵に両腕を預ける体勢に戻った。

「すいません…有り難う御座います」
「いいえ」

首だけ曲げて空を仰いだ。目が痛くなるような青さだった。目を閉じてもまだ眩しい。秋も終わりに近づいた、冷えた風が髪を揺らす。煙草につきそうだったから耳にかけた。

「私、矛盾してるかもしれないんですけど、美味しい空気の中で煙草吸うの好きなんです」
「…そうですねぇ」

肺一杯に苦みの混じったメンソールを吸い込む。うまい。美味しい、よりは、うまい、の方が合う。

「まあ、喫煙所の、煙草の煙で煙草吸う、みたいなのも好きですけど」
「…そうですねぇ」

聞いてんのかこの人、と思ったが返事をしてもらえるだけましな気がする。ていうか、静かに一服しているとこを邪魔したのは私の方だ。ちらりと横顔を盗み見る。いつもと変わらない、ように見える。猫背気味の背中に心臓が早鐘を打った。弥鱈さんはフィルターぎりぎりまで吸った煙草をコンクリートに落とそうとした。すかさず、両側を押して口を開けた携帯灰皿を差し出す。弥鱈さんは携帯灰皿と私を見て、そこに短い煙草を落とした。口を閉じて酸素を遮断する。

「どうも」
「いいえ」

弥鱈さんはくしゃくしゃの青いソフトパックから煙草を取り出して咥えた。それから大きな手のひらを立てて風を遮り、よく見かけるライターで火を点ける。筋の浮いた指先と、無駄のない動作についつい見とれてしまった。

「みょーじさん」
「へ、あぁ、すいません」

誤魔化すように灰を携帯灰皿に落とす。覗き込んだら弥鱈さんの吸っていた煙草の火は消えていた。なんとなく、気持ち悪いことを考えてしまって、振り払うように携帯灰皿の口を閉じた。

「…みょーじさん」
「はい?」

勢いよく顔を向けたら、ふわ、と白煙が向かってくる。反射で目を閉じてしまったがすぐに開いて弥鱈さんを見た。してやったり、という表情が読めなくもない。

「何するんですか!」
「さぁ…なんでしょう」

じじ、と紙と草の燃える音がして煙草に目をやる。フィルターに差し掛かりそうになっていたから、指先でつまんで携帯灰皿に落とした。新しい煙草を取り出そうとポーチに手をかけてから、この空気なら言えるかも、と思い、弥鱈さんの横顔をちらっと見た。

「弥鱈さん!」
「…なんですか」
「それ、吸ってみたいです」

咥えられた煙草を凝視しながら言ってみる。反応がなくて、内心冷や汗をかいたときに、弥鱈さんが緩く笑った。弥鱈さんは長く関節の張った人差し指と中指で半分ほど短くなった煙草を挟む。そして、目線を合わせるように屈んで、私に咥えさせた。少し濡れていると思いながらも、視線をそらせない私の頭をぽんぽん撫で、弥鱈さんは屋上から出て行った。




弥鱈さんはハイライト希望。マルメンはうまい。