横顔窃盗犯後日
日が沈むのは暑さに比例して遅くなり、最後に見た空はまだ薄明るかった。建物の中では煌々と灯りがついていたし、立会と後始末を終え外に出た頃には、もう空は青く白んじている。僅かな疲労を感じないこともない。早朝は涼しいくらいで、起きたばかりの光を跳ね返す黒塗りの車に乗り込んだ。このまま仮眠室で寝るか、体内時計を狂わせない為にも寝ずにおくか。急な立会や取り立てが入らないこともない。どうでもよくなって外を見た。時間のせいで車通りの少ない街は、まだ少し清々しい心地よさを保っている。滑るように街並みは変化して、見慣れたビルに着く。立会に同席した部下たちを帰し、とりあえず一服しようと喫煙所を目指した。休憩所の自販機の前に立つ小柄な人影。足音に反応したのか、振り向く。透明のブースで仕切られた喫煙所には誰もいない。休憩所にも、彼女しかいない。
「あっ、弥鱈さん! お早う御座います。いま出社ですか?」
「…お早う御座います。いえ、先ほど帰社しました」
「そうなんですか! お疲れさまです」
「…いえ。みょーじさんこそ、ご苦労さまです」
ここで、彼女こそいま出社なのかどうか聞くべきなんだろう。けれどそういうのは柄じゃない。会話を終わらせて、喫煙所に入る。普段は他人との接触を避ける為に屋上に行くが、今日はなんだか面倒だった。壁に寄りかかる。透明の隔て越しに彼女を眺めた。自分の愛想のない態度を気にしていないように、自販機に視線を戻している。小さなビニール袋を後ろ手に何度も持ち替えながら、ふらふらと並んだ自販機の前を往復。長財布から小銭を取り出して、入れる。細くて白い指がボタンを押し、きちんと膝を折り畳んで飲み物を取る動作を二回繰り返す。そういえば、彼女も喫煙者だった。爪先が喫煙所を目指しているのが見えたとき、屋上で度々遭遇したのは彼女も喫煙に来ていたからだと思い出した。遭遇、というのは不適切な表現かもしれないが。
「お邪魔しまーす」
一瞬視線をやったのが返事代わりなのは彼女も十分承知していることだろう。備え付けの小さなテーブルにビニール袋を置く。
「デカビタと緑茶、どっちがいいですか?」
「…緑茶で」
「そう言うと思いました」
彼女は出社したばかりなのか、同じようにいまのいままで拘束されていたのか。いつもと変わらない快活さを振り撒く彼女の、黒目がなんだか疲労を隠し切れていない気がした。艶々と蛍光灯を反射する爪。ペットボトルの緑茶を差し出す彼女。考えに捕らわれて、一拍遅れて受け取る。気づかなかったように彼女はもう一方をビニール袋に入れた。代わりに出てくるのは世界的に有名なオランダのメーカーのココア。こっちの方が、それらしい。器用な指先が、開いた口にストローを差し込み、口を閉じる。一口飲んだ後にやっと煙草に火を付けた彼女が大きく白煙を吐き出すのを盗み見て、ああやっぱり疲れてる、と思った。
「みょーじさんもこんな時間まで仕事ですか?」
するっとこぼれた言葉に、らしくない、と眉を顰めたくなるのを堪えた。彼女がそこから、何か違うものを読み取らないように。フィルターぎりぎりの煙草を灰皿に押し付ける。もう一本取り出す前に、冷えた緑茶を喉に通す。
「そうなんです。取り立てを二件ほど」
「大変ですねえ」
「そんな。弥鱈さんほどじゃないです」
やっぱり、綺麗に笑うなあ、と上がる口角を見て思う。煙草を吸う仕草はどことなく気怠そうであり、物憂げでもある。相反する彼女は血腥い世界には似合わない。これで屈指の掃除人だというのだから、哀れでさえある。
「煙草の匂いって誤魔化してくれますよね」
ああ、血の匂い。
「あ、そうだ。これ、新商品なんですって。弥鱈さん好きそうって思って買っちゃいました」
声音は跳ね上がり、彼女は灰皿にまだ長い煙草を預け、ビニール袋に手を入れた。小さめの白いパッケージに印刷されているのは一口大のチョコレート。
「ミントなんですって。甘いもの嫌いですか?」
「…いえ」
じゃあどうぞ、と封切られたばかりのそれが差し出される。疲労回復ですよ、と笑う彼女に圧されてひとつ摘み、口に放り込んだ。それを見届けてから、彼女もひとつ食べる。
「思ったよりミントって感じですね!」
「…そうですねえ」
味の機微はよく分からないが調子を合わせておくと彼女はまた笑う。眠気覚ましにはちょうど良い爽やかだった。
ダースです。バンホーテンのココアおいしい