覚えてるのは、皮膚を切るように掠めていく鋭い風と、目が痛くなるくらい澄んだ空と、体が凍えてしまう冷たい海。千切れて溺れる月を見上げて、私と同じだと、笑った。
*
重たい頭が覚醒するまで、私は柔らかいシーツの隙間に手足を伸ばしたり引っ込めたりしていた。寝返りを打つ度に、ぼんやり視界に入る背景の不自然に気づくまで。どうして私、こんなところにいるんだろう。それでも体を起こす気にはなれず、ただ見慣れない天井ばかり見ていた。誰かが助けたんだろうとは、分かった。身につけている衣服は自分のものじゃない。横を向いて、肩まですっぽりシーツを引き上げる。柔軟剤の仄かな香りを嗅ぎながら、柔らかい枕に頬をすり寄せ目を閉じた。その隙間から、涙が少しだけ枕に染み込んだ。次に目を覚ましたら、部屋は暗くなっていた。泣きながら、また少し寝ていたらしい。両腕をベッドについて体を起こす。上質そうな服を着せられた私は、上質そうなベッドにぼんやり座り込んだ。ここがどこかも分からない。高そうなローテーブルとソファー、薄くて大きいテレビ。足を下ろした絨毯は少し固い。右に折れる通路の先には簡単なキッチンとバスルームとトイレがあった。ベッドから衝立を隔てた向こうにある、重厚そうな扉が出入り口なんだろう。掴んだノブは冷えている。ゆっくり回して、押す。面した広い廊下にはよく分からない絵がかけてあったり、大きな花が飾ってあったりした。場違いさに足が止まる。ノブを掴んだまま、きょろきょろしていたら、すぐそこに人がいた。
「わっ」
胡座で座っていた人影は、どうやら寝ているようだった。スーツを着ているけど、髪が無造作に跳ねている。私は静かにしゃがんで顔を覗き込んだ。下がり眉、眉間に若干皺が寄っている。この人が、私を助けたんだろうか。ソファーの上に膝掛けが畳んで置いてあったことを思い出し、ドアを開けたまま取りに行く。肌触りの良いそれはとても軽い。広げると案外大きいそれを、その人の肩からぐるっとかける。ドアを閉めて、少し離れて座り、立てた両膝を抱えた両腕に頭を載せた。
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目が覚めたら、さっきよりも頭が軽かった。ぼんやり天井を眺めていて、気づいた。私はさっき、廊下で寝たはずだったこと。どういうことだろう、と足を動かしたら爪先が固いものを引っ掻いた。
「…わ!」
横を向いたら人がいた。さっき廊下にいたその人だった。起こさないように上半身を起こす。生きているか不安になるくらい静かで微動だにしなかったけれど、翳した手のひらに息が当たった。ベッドは温かい。私は静かにシーツに潜る。端に寄って背を向け丸まった。目を閉じて黙っていたら、後ろで衣擦れの音が聞こえる。目を開けてみたけど、振り返る勇気はない。ぽすん、と頭に手のひらが乗る。それは私が反応する前に、撫でるように動いた。するするとそれは止まない。まだ生きていてもいい、と言われている気がして、私はまた少しだけ泣いた。
喋ってないけど弥鱈さんです。喋ってないけど