※バレンタイン
いつもより張り切った夕飯をテーブルに並べた。いまから帰る、と綴られたメールの受信時間と右上に表示されている現在時刻を見比べる。そわそわしながら冷蔵庫から出したガトーショコラを何度も確認する。落ち着かずにうろうろしていたら鍵が開けられノブの回る音がした。
「勇くん! おかえりなさい!」
「ただいま」
私の威勢の良さに勇くんはちょっと苦笑いして、ぽんぽんと頭を撫でる。それから、細長い袋を私の前に出した。ワインのボトルが透けて見える。
「お土産。なまえがなんか作ってくれてるかなーと思って。店員さんがビターチョコに合うって言ってた」
バニュルスって赤ワインだよ、と勇くんが荷物を下ろす。私は感動しながらワインを受け取った。
「私、ビターのガトーショコラ作ってたの! ノンオイルだからカロリーオフだよ」
「本当に? すごい偶然だな」
長く一緒にいると、それが当たり前になってしまうとよく言う。それを危惧して私はチョコレートメーカーの陰謀に、盛大に乗っかったのだ。けれど、マンネリだなんて私たちの間には起こりえないことだったのだろう。私はビターガトーショコラを作り、勇くんはビターチョコに合うワインを買ってきてくれたなんて、恥ずかしいが、以心伝心かもと思ってしまった。
「明日も練習あるから、あんまり付き合えないけど」
「ううん、嬉しいよ」
ふたりで今日あったことの話をしながら、勇くんはぺろりと夕飯を平らげてくれた。美味しい、とかありがとう、とか、当たり前だけど慣れると忘れがちな言葉を、勇くんはいつだって忘れない。こんなに素敵な人と一緒にいられるなんて、私は世界で一番の幸せものだ。勇くんと一緒に食器を流しへ下げて、室温に戻しておいたガトーショコラと、冷やしておいたワインをローテーブルに置き、ソファに座る。ガトーショコラを見たとき、勇くんはすごいな、とやっぱり誉めてくれた。
「勇くん、あのね」
「うん?」
切り分けたガトーショコラにフォークを差し込みながら勇くんが視線をこちらに向ける。ワインは甘いけど、少し度数が高めだった。今日中に飲みきれなくても、小さめのボトルだから劣化する前に飲みきれるだろう。
「私、勇くんが大好きだよ」
「俺も、なまえを愛してるよ」
「じゃあ私も! 勇くん愛してるうー」
「…もう酔ったのか?」
優しく奪われたワイングラスは、恐らく私が倒してしまわないように、ローテーブルの中央寄りに置かれる。勇くんの言っていた通り、ワインはビターガトーショコラにぴったりだった。
「私がガトーショコラで、勇くんがワインだね」
「なまえがビターで、俺は甘口なの?」
「うーん、じゃ、逆でもいい」
楽しくなってきた私の、よく分からないような話にも勇くんは付き合ってくれる。ワインを飲む仕草を眺めていたら目が合う。優しく微笑んだ勇くんは、唇を重ねて、私にワインを飲ませた。
「物欲しそうな顔、してたよ」
「…してないもん」
今日は素直になろう、いつもより言葉にしよう、と決めていたのに、からかわれるとついつい反抗してしまう。
「…やっぱりしてたかもしんない」
「どしたの? やっぱり酔ってる?」
「うん、酔っては、いる」
すなおすなおすなお、と頭の中で唱える。予想外だった勇くんのお土産で、饒舌でいられるのも嬉しいアクシデントだ。
「勇くん、あのね、私、勇くんが大好きだから、ずっと一緒にいたいなって、思ってるよ。だから、私に直して欲しいところとか、嫌なところとか、あったら言ってね。ちゃんと言ってね」
やっぱり、恥ずかしい。酔った頭で恥ずかしいと思えるんだから、素面だったら絶対に言えなかった。好きとか、ずっと一緒にいようとか、簡単に言えていたのはいつまでだったろう。恥ずかしすぎて、勇くんの顔が見れない。
「なまえ」
「うん?」
「なまえ…こっち向いて」
頑張って顔を向けたら、勇くんの指が頬に触れた。赤いだろうし、熱いかもしれない。
「ワインのせいかな、」
「…そういうことにしといて」
分かってて、私に逃げ道を与えてくれる辺り、やっぱり勇くんは優しい。俺も、と勇くんが喋り出して私は視線を勇くんに戻した。
「俺も、なまえを愛してるし、ずっと一緒にいたいって思ってる。だから、なまえも俺に直して欲しいとことか、あったら言えよ」
「ないよ!」
「俺もないよ」
勢いで抱きついたら、背中にぽんぽんと手がまわる。やっぱり、私は世界で、いや宇宙で一番の幸せものだ。