いつの間にか強い雨が窓を叩いていた。窓の外はよく見えない。雨粒が窓硝子を曇らせている。テーブルの上には携帯、ソファには鞄を置きっぱなしにして彼女は部屋を飛び出していった。気が引けたが鞄の中を見たら、財布とキーケースが入っていた。傘、持ってるだろうか。多分持ってないだろう。右目から涙が一粒零れた瞬間、彼女は背を向けて玄関に直行した。泣き顔を見るのは初めてじゃあ無いけど、部屋を飛び出したのは初めてだった。冷静に考えてみれば自分が悪い。彼女は悪くない。だのに、意地が邪魔して追いかけられなかった。ソファに柔らかく沈んだ体を起こす。パーカーを羽織って、玄関に向かう。やっぱり、ピンクベージュの傘も置きっぱなしだった。


彼女のではなく自分の傘をさして水溜まりを避けながら歩道を歩く。傘にばたばたと雨が当たる。どこにいるだろう。キーケースを置いていったのだから家には帰っていないだろう。財布も置いていったのだから傘を買うことも電車に乗ることもできないはず。雨はいつから降っていただろう。

「…いた」

駅の近くの、緑に隠された小さな公園。待ち合わせをしているとき、彼女はいつもブランコに乗っていた。下を向いている。薄いカーディガンを羽織っていたものの、随分濡れていた。足を速める。ばしゃ、と水溜まりに右足を突っ込んでしまったが気にならない。しかしその音でなまえは顔を上げた。

「…カズ、くん」

色んな言葉がぐるぐる回って、上手い言葉が見つからずに、黙って傘をさし向けた。なまえはブランコに掴まったままこっちを見ている。

「ちょっと持ってろ」
「カズくん、濡れちゃう」
「いいから!」

柄を掴んだ指先は酷く冷たい。なまえは立ち上がって近付く。腕を伸ばして傘を傾けた。パーカーを脱いで、彼女に羽織らせる。

「えっ、良いよ、濡れる」
「いいから! 羽織っとけ」

胸元で掻き合わせるように肩を合わせる。それから傘を奪った。

「帰るぞ」

なまえは黙った。一歩前に進むも、彼女は動かない。焦れったい。傘をさしているから手をひけない。

「なまえ、俺が悪かった。だから、もう帰るぞ。風邪ひいたらどうすんだ」
「…ごめん、ごめんなさい」
「だぁかぁら! お前は悪くないっつってんだろ! 帰んぞ」

下を向いたまま、なまえは歩き出した。傘を傾けて、その速度に従う。顔を盗み見たら、目が赤かった。雨に紛れてしまったけど、泣いていたんだろう。なまえは悪くないのに。

「…悪かった。俺、なまえがいるのが当たり前になってた」
「…当たり前だよ」
「違えよ。お前に甘えてたんだ。…ごめんな」
「ううん、私こそ」
「だからお前は悪くないって」

噛みつくようにまくしたてたら#なまえが笑った。それに、安堵した。愛想尽かされたら、と思うと気が気じゃなかった。

「さっさと帰んぞ。んで熱い風呂」
「うん」
「俺も入る」
「…一緒に?」
「おう」

ええ、となまえはいつもみたいに大袈裟に慌てる。恥ずかしいよ、やだよ、と喚く姿を見て、元に戻れるだろうかと思った。

「あ、雨止みそう」

会話に夢中になっていて傘に当たる雨音が和らいでいることに気付かなかった。傘を下ろす。空が白藍色にきらきら光っている。なまえが濡れた前髪を掻き上げた。

「うーん、化粧が…」
「ぁあ? 大丈夫だよ、んなもん」

指で目元を少し擦ってやる。なまえから滴る雫が、顔を出した太陽の光を反射する。きらきらきらきら。睫毛もきらきら光っている。

「あっ、カズくん、肩」
「あ?」
「濡れてる…」

長い袖から出た指先が肩に触れる。恥ずかしくて乱暴に払った。

「…ありがと!」
「き、気にすんな」
「カズくんも風邪ひいちゃいかもしれないから、一緒にお風呂入ろっか」

髪が揺れる度に光が散って、すごく綺麗だ。なまえがいつもそこにいてくれることと、与えられる惜しみない愛に慣れてしまわないようにしようとうっすら赤い瞼に唇を寄せた。



サボテン/ポルノグラフィティで妄想。特に最後。歌詞はインディーズverのが好き