初めてフェンス越しに見た彼は、しっかり生きていた。テレビとか雑誌の中に生きていた彼は世界に生きていた。私はそれを目の当たりにして呆然とした。涼しい顔で左足は滑らかだけど力強く動く。美しいのに、それは人形にしてはよく動き、よく走った。他の選手よりは動きも走りもしないけど。髪の先、一本一本までが美しい。ああ、目が合った。笑った。私はそのとき、私を連れてきた友達の肩を思いっきり何度も打った。

「おはよう」

ぴと、と汗をかいたペットボトルが頬にあてられた。重たい瞼を上げて、それを持った腕を伝うように視線を上げる。

「寝ぼけてる?」
「ううん、起きた。おはよう」
「おはよ」

ペットボトルを受け取って起き上がる。ジーノもベッドに腰かけた。シャワーでも浴びていたのだろうか。均整のとれた背筋やら腹筋やらが晒されている。なんだか恥ずかしくって下を向いた。キャミソールと下着しかつけていないことに気付いてシーツを引き寄せる。

「なまえ」
「…ん」

名前を呼ばれて顔を上げたら、キスされた。ふに、と触れて、離れる。

「なんの夢見てたの?」
「…ジーノの夢」
「やっぱり」
「えっ、なんか言ってた?」
「ジーノ、って言ってた」

吐息が触れる。手探りでペットボトルの蓋をしっかり閉めた。

「生のジーノがすっごく恰好良くて一目惚れしたんだよ」
「テレビや雑誌の僕は恰好良くない?」
「本物には負けるかなあ」

少し濡れてしまった指先でジーノの頬に触れた。その手に、ジーノの手が重なる。

「けどファンがいっぱいいてびっくりした」
「僕、モテるからね」
「綺麗な人ばっかりでちょっと嫌になった」

冗談みたいに言ったけど、本心だった。綺麗な人や可愛い人や、ましてや外国人にまで黄色い声を上げられていたのはちょっと嫌だと思った。いちファンが何を言う、と思ったのも事実だけど。

「僕も一目惚れなんだよ」
「えっ」

弾かれたように顔を上げたら、存外近くて少し背を反らした。彫刻のような顔を至近距離で見られるほど耐久性はない。

「僕と目が合ったあと、一緒にいた子の肩、ばしばし打ってたでしょ」
「見てたの? 知らなかった」
「言ってないからね」

やっぱり恥ずかしくて手の甲で顔を隠したら笑われた。恰好良いジーノが悪い。全面的に悪い。

「なんかびびっときたんだよね」
「びびっと?」
「そう。なまえに触れてもたまにびびっとするよ」

おどけたジーノは添えていた手を掴んで引っ張った。不意を突かれて私は彼の胸に飛び込む形になってしまった。髪に優しく指が絡む。

「いい匂い」
「は、恥ずかしいよ」
「昨日、もっと恥ずかしいことしたでしょ」

その一言で昨日の行為をまざまざと思い出した。恥ずかしい。ジーノが恰好良いせいで恥ずかしさが三割は増したと思う。私は顔を見られないように胸に押し付けた。心臓の音が聞こえる。

「…あんまりドキドキさせないで」

顔を上げさせられ、額に口づけが落とされた。甘い。甘ったるい。空気がとろりとしている気がする。ただでさえ、彼の匂いが充満している部屋だというのに。くらくらする。酔っているみたいだ。

「出掛けるのは午後からにしよう」

そっとベッドに押し倒される。ジーノの唇が首を這う。唇の感触も、頬やらを滑る髪の先もくすぐったい。

「愛してる。世界で一番、なまえだけ」

低くて息の多い。耳から脳髄へ、直接濃密なブランデーを流し込まれている錯覚。指先を絡ませて繋いだ手を離したくなくて、握り締めた。

「ファンの子に興味はなかったんだけど、なまえからは目が離せなかったんだよ」

ああ、落ちる。いまいる場所よりもっともっと深く。




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