「君が遠慮しすぎなんだよ」

私がいれたコーヒーを優雅に飲みながら、ジーノは何でもないように言った。膝の上に置いた手ばかりを私は眺めていて、彼を見るにはまだ余裕がない。きっと、泣いたり喚いたりする。

「僕に気を遣って、我慢ばかりするから」

するから、何なんだろう。勝手に不安になったり、嫉妬したりするって言いたいのだろうか。それはそうだけど。そうだけど、おいそれと引き下がるのも悔しい。じゃあジーノは、自分には落ち度がなかったって断言できるの、と考えて、自分がもっと惨めになった。

「…そう、だね」

私は足元に置いていた鞄を取った。そのまま腰を上げようと思って、あ、と鞄を開く。内ポケットに入れてあったキーホルダーから彼の家の合い鍵を外した。

「…なまえ」
「これ、返します」

テーブルに載せて、指先で彼の方へ滑らせる。かちん、とコーヒーカップがソーサーに戻されたけど、私は顔を上げなかった。

「なまえ」

力のこもった声を振り払うように、立ち上がる。ジーノが追ってくる気配はない。大丈夫、それでいい。ドアノブに手をかけて振り返る。

「いままでありがとう」

ずっと好きだよ、を飲み込んで私は背を向けた。涙を堪えながら、廊下を歩き、パンプスに足を入れる。ドアを押し開けて外に出たら、喉の奥がつんと痛んだ。後ろ手にドアを閉めたら、一粒涙が零れた。かつん、かつんとヒールが規則的な音を鳴らす。それを聴いてるとなんだか悲しくなって、ハンカチを目元に当てた。
誰もいなかったけど人目を気にして唇を噛む。ちょっとだけ痛かったけど、それもなぜかちょうど良い気がした。















「やあ」

自動ドアを過ぎるまで、気づきもしなかった。肩に鞄をかけ直しながら前を見た。見慣れたマセラティに寄りかかる、見慣れた彼。ふ、と背を浮かし、近づく彼をしっかり捉えていたのに、私は動けなくて流れるように美しい動作で手を取られる。痛いくらいに握られて、腰を曲げた彼の唇が手の甲に触れた。

「きっと、電話も出てくれないだろうと思ってね。迎えにきたよ」
「どうして…」

きょろきょろ辺りを見回せばさり気なく視線を寄越す人ばかりで、それなのに彼はちっとも気にしないで、私の手を離さなかった。力強い手に逆らえないまま、助手席まで引っ張られる。

「ジーノ、どうして」
「いいから、早く乗って」

ドアを開けたジーノを見つめたけど、彼の目もそらされることなく私を見ている。恥ずかしくなったから、目をそらして仕方なく助手席に乗り込んだ。ジーノは静かにドアを閉めて、運転席へまわる。緩やかに走り出した車が彼のマンションに向かっていることはすぐに分かった。彼を盗み見たら、やっぱりかっこいい顔だったからすぐに目をそらした。

「なまえ」
「…はい」
「君は僕が嫌いかい」

ずるい。分かってて、そういうことを聞く。

「…私、は」
「僕は、なまえが好きだよ」

まごつく私なんて構わずに、彼は驚くほど流暢に言った。彼の声で聞くそれは、とても美しい言葉に聞こえて、私は彼を見た。

「だから、君を迎えに来た。君は、僕が嫌いかい?」

だからどうして。分かっているでしょう。そんなこと。昨日の涙が目に膜を張る。ジーノみたいに綺麗じゃなくてごめんね。

「…好き」

震える声はエンジン音にかき消されるんじゃないかってくらい小さかったけど、私の気づかないところで彼は笑っていた。