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お弁当事情



 缶コーヒーと三割引のコンビニ弁当。それが普段の村岡の食事のラインナップである。裏カジノという特殊な環境で日々忙しなく動き回る村岡の、健康的とはいえない食生活を名無子が危惧するのは致し方ない事だった。

「私、明日からお弁当を作ってもいいですか?」

 名無子の提案に、村岡は「急に何を」と言わんばかりに面倒そうに手元の新聞から顔を上げた。

「その……。毎日コンビニのお惣菜だと身体によくないし……」
「別にそれで間に合ってるざんす」

 ピシャリ、と村岡は名無子の言葉を突き放すように再び新聞に目を落とした。押し付けがましいことを言ってしまったかな、と引き下がろうとした名無子だったが、ふと新聞をめくる村岡の手首に視線がいく。少し骨ばったそれは男性らしいと言えないこともないが、同年代の男性に比べると痩せ気味であることは確かである。そんな村岡の体を見つめ、名無子はさらに続けた。

「それに、買って食べるよりお弁当のほうが安上がりだったりするみたいなので……」

 日頃蓄財に精を出す村岡にも利があると言わんばかりに押してみる。
 これで断られたら――と名無子は一瞬不安になったが、意外にもあっさりと村岡はそれを了承した。

「最近はあれこれ馬鹿みたいに高いざんすしね……」

 新聞記事の「止まらない物価上昇、家計を圧迫」という見出しを眺めながら村岡は呟いた。結局、名無子が最後に付け加えた一言が効いたようだった。

 
 翌日、台所に立つ名無子の「少し焦げてしまいました……」「卵焼きは何個がいいですか?」などといったお喋りに適当な返事をしながら、村岡はいつものように出勤の支度を始めた。
 シャツのボタンを止め終えたところで、名無子が遠慮がちに村岡の元へやってきた。

「ちょっと不格好かもですけど、味は大丈夫だと思います……」

 そう言って名無子が弁当箱の入った包みを差し出すと、村岡は怪しげなものを見るような目を向けた。

「本当に大丈夫なんだろうな……」
「美味しく作ったつもりなので、ぜひ一口だけでも……」

 名無子の懇願するような表情を見て、村岡は渋々といった様子でそれを受け取った。

「勿体ないことはできないざんすからね」

 村岡はそれだけ言い残すと、さっさと家を出て行ってしまった。ポツンと残された名無子はその後ろ姿を不安げに見送る。

(やっぱり迷惑だったかな)

 名無子は肩を落としつつも、とりあえず自分の分の食事の準備に取り掛かった。

 
 昼近くになり、従業員がメインフロアに出払ったところで村岡は自分のデスクで弁当の包みを広げた。普段コンビニの出来合いのもので済ませている村岡が急に弁当を持ってきたとなると、従業員がざわつくのが目に見えているので、なるべく人目を避けたかったのだ。

(なんで自分の職場でこんなコソコソした真似を……)

 村岡はため息をつくが、かといってこの場で食べないという選択肢もない。仕方なく箸を手に取ると、意を決して蓋を開けた。

「ふーん……」

 そこには卵焼き、唐揚げ、野菜炒めにプチトマトなど、定番のおかずがアルミカップごとに分かれて並べられていた。見た目としては立派な弁当である。

(下手な謙遜してた割には、まぁ普通ざんすね……)

 予想より出来栄えの良い名無子の手作り弁当に拍子抜けしつつも、その色とりどりのおかずに食欲をそそられたらしい村岡は早速卵焼きを口に運んだ。
 そして箸の動きはすぐに止まることとなった。

(あ、甘すぎる……!)

 口に含んだ瞬間に感じた甘い味付けは、日頃ブラックコーヒーを愛飲している村岡にとって衝撃的なものだった。

(いくらなんでも砂糖の入れすぎざんす……!)

 村岡はそう毒づきながらも、口に入れたものはどうしようも無いため無心になって咀嚼を続けた。
 やっとの思いで飲み込んだ村岡は、口直しに冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを一気飲みする。しかし、それでようやく落ち着いたのか、今度はふつふつと名無子に対する文句が浮かんできた。

(これじゃコンビニ弁当の方がずっとマシざんす……!)

 すっかり食欲が失せたのか、缶コーヒーをちびちびと口に含みながら村岡は弁当箱の蓋を閉じてしまった。
 が、その際、弁当箱の下敷きになって何かが挟まっていることに村岡は気がついた。

(なんだこれは?)

 弁当箱の下に敷かれていたのは小さなメモ用紙だった。村岡がそれを取り出して開くと、名無子が書いたらしい一文が残されていた。

『本のレシピを参考にしました。栄養がたくさん取れるそうなので、一口だけでも食べてもらえると嬉しいです』

 最後にはお仕事頑張ってください、と丸まった字で締められていた。

「……余計なお世話ざんすよ」

 ぼそりとそう呟くと、村岡は目の前の弁当箱に視線を向けた。しばらく睨み合いを続けたのち、ややあってその蓋を再び開けると、今度は野菜炒めに箸を伸ばし、恐る恐る口に含む。

(こっちは普通ざんすね)

 先ほどの激甘卵焼きの反動もあってか、塩味の効いた炒め物は村岡にとっても美味しく感じられるようだった。
 

 その日、いつもより事務処理などの後始末が早く片付いた村岡は、早々に帰路に着いた。
 玄関の鍵を開けると、普段ならその音を聞き付けて名無子がパタパタと出迎えにくるのだが、今日はそれがない。
(風呂にでもいるのか?)
いつもより静まり返った廊下を歩きながら村岡がリビングに続くドアを開けると、名無子がテーブルの椅子に腰かけて何やら楽しげにしているのが見えた。

(……ほぉ〜)

 名無子の手元にある『それ』の存在を認めると、村岡はニヤニヤと笑みを浮かべた。
 名無子はというと、村岡が帰ってきたことにも気がついていない様子だ。それをいい事に、村岡は椅子に座る名無子の背後に静かにまわる。

「家主のお帰りざんすよ」

 わざとらしくそう言って声をかけると名無子は驚いて振り返り、ひっくり返った声の調子で続けた。

「お、おかえりなさい! すみません、全然気づきませんでした……」
「そんなに夢中になるくらい、さぞかし楽しいことがあったみたいざんすねぇ?」

 村岡はそう言いつつ、名無子の肩越しから覗き込むようにして彼女の手元を見つめた。何やら書き込みがしてある料理本が広げられているのは特に問題ではないのだが、その先にあるものがまずかった。

「人の食生活にケチ付けておいて、自分はカップ麺ざんすか」
「ち、違うんです。つい本に夢中になってたら遅い時間になってしまって……」

 名無子が言うには、本のレシピを延々と追いかけていたら夕飯時を過ぎてしまったため、仕方なくカップ麺を啜って夕食を済ませ、その後に村岡の分の食事の用意にとりかかろうとした、ということらしい。

「仕方なく用意したっていう顔には見えなかったざんすが」
「そ、それは……」

 図星を突かれたらしい名無子は口を閉ざした。

「たまには、インスタントのものもいいかなあと思って……」

 もごもごと口を動かす名無子の目の前にあるカップ麺からは、しょうゆの良い匂いが漂っている。途端に、名無子の腹の音が部屋の中に響いた。

「う……」

 人の食生活を指摘しておきながら自身の栄養に欠けた夕食を当人の面前に晒してしまった名無子は気まずそうに俯く。対照的に、そんな名無子の様子が可笑しくて村岡はニヤつきが収まらないようだった。

「しかし、こんな時間にインスタント食品だけっていうのも、体に悪いざんすねえ」

 容赦のない追撃にすっかり真っ赤になって黙り込んでしまった名無子に脱いだ背広の上着を押し付けると、村岡は相変わらず口角の上がった表情でキッチンへと向かった。そして冷蔵庫を空けると鼻歌混じりに中を物色し始めた。

「しゃ、社長……?」

 唐突な村岡の行動に、名無子は押し付けられたジャケットを片手に怖々とその後ろ姿に声をかける。

「アイロン頼むざんす」

 キッチンから村岡の声が飛んだ。
 村岡の「頼む」は「やれ」と同義なため、名無子は反射的に返事をすると慌ただしく上着のシワを伸ばす支度を始めた。

(社長が台所で何かしてるの見るの初めてかも……)

 横目で村岡の様子を見ながら、未だに合点のいかない彼の言動に首を傾げつつも名無子は作業を続けた。

 
 しばらくして、既にアイロンをかけ終えてリビングの椅子でそわそわしていた名無子の前に、村岡が食器を持ってやってきた。

「え……」

 名無子は目の前に現れた料理に目を丸くする。皿には卵炒めが盛り付けられていた。

「お前の使いかけだが、これで少しはマシな夕食になるざんしょ」

 そう言って名無子の反対側に腰掛ける村岡は、自分の分の食事に手をつけはじめた。まだ状況が飲み込めていない名無子は恐る恐る口を開いた。

「社長が作ってくれたんですか?」
「他に誰がいるんだ」

 独身生活の長い村岡は普段自炊こそしないものの、小腹を満たす程度の料理スキルを持ち合わせていたようだ。

「あ、ありがとうございます。すごく美味しそうです……」

 村岡に礼を述べるが、名無子のそれはやや歯切れが悪い。偏食がちな名無子は、いくら村岡の手製とはいえ卵の合間に見え隠れする緑黄色野菜たちに抵抗があるようだった。

「まだ偏食が治ってないのか? だからそんなに貧相な体なんざんすね」
「そ、それとこれは関係ないと思います……!」

 名無子は咄嗟に反論するが村岡には届かない。

「お前のために作ったざんす」

 嘘か誠か、そう言ってニコッ……と口の端をあげる村岡の圧には耐えきれず、

「……はい」

 名無子は観念したように箸を持つと、意を決してその一切れを口に運んだ。

「わ、美味しい……」

 そう呟いた言葉を皮切りに、名無子はまた一切れ、もう一切れと食事を進めた。
 しばらくそんな名無子の様子を見続けると、村岡はポツリとこぼした。

「わしはそれくらいの味が好みざんす」

 村岡の言葉に名無子の動きが止まった。

「あ……」

 村岡に用意した弁当の味付けを思い出して、名無子は縮こまった。

「すみません、ちょっと甘かったですよね。それに、急にお弁当だなんて押し付けがましいことして……」

 謝る名無子の言葉を遮るように、村岡は鞄の中から弁当の包みを取り出すと名無子に突き出した。取り落としそうになりながら名無子がそれを受け取ると、その軽さに目をぱちくりさせた。

「後片付けは自分でやるざんすよ」

 村岡はそう言い残して席を立つと、さっさと自室に引っ込んでしまった。
 リビングに一人残された名無子は、弁当の蓋を静かに開けた。

(社長、全部食べてくれたんだ……)

 空っぽの弁当箱を見て、名無子は胸のあたりがじんわり温かくなるのを感じた。

「いつか、社長に美味しいって言ってもらえるようになりたいな」

 無意識のうちにそんな独り言がこぼれた。

 
 翌日、無人の事務所で弁当箱の蓋を開けた村岡はじっとそれを眺めた。

「見てくれだけは立派ざんすね」

 とりあえず目に付いた唐揚げを口に運ぶと、村岡の表情が強ばる。

「……あいつ、子供舌が過ぎるんじゃないか」

 思わず口をついて出た本音に村岡は小さくため息をついた。迷った末、次は卵焼きを一口食らう。

(まあ、改善の余地はあるざんすね)

 昨日とは打って変わって甘みの抑えられたそれに、村岡は安堵のようなものを感じながら残りを平らげようとしたのも束の間

「わ、珍しい! 今日はお弁当なんですね、もしかして彼女さんの手作りだったり?」
「……ッ!」

 突如メインフロアから現れた従業員の声に、村岡は弁当箱の蓋を光の速さで閉じた。

「あ、あれ? 社長? まだ残ってたんじゃ……」
「……それよりお前、まだメインの卓に着いてる時間ざんしょ、さっさと持ち場に戻れ!」

 村岡の剣幕に驚きながらも、その勢いに負けて(ちょっと水飲むだけだったのに……)と慌てて仕事に戻っていく彼の背中を見送ると、村岡はソファに深く身を沈めた。

「……どいつもこいつも」

 村岡はそのまま目を閉じると、長いため息をついた。






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