ワードパッドM



1話



「就職、決まらないな……」

夜道をとぼとぼと歩きながら、肌を刺すような寒さに薄っぺらいコートの襟をぎゅっと握り寄せ、名無子は一人呟いた。
様々な国を巻き込んだあの大戦が終結して早数ヶ月、どの国も着実に復興への一歩を踏み出していた。特にこの国――後世では守銭奴王国と呼ばれる――では、経済活動の活性化を重視する王子の施策により、他国よりもいち早く経済復興を果たしていた。
戦災の影響を受けて前職を解雇された名無子は、わずかな希望を抱いて職探しのためにこの国にやってきたのだが、未だ結果は鳴かず飛ばずである。富裕層の多いこの辺りでは、新聞の求人広告を見てやってきた名無子の貧しい身なりを一瞥するなり門前払いするところまであった。もとより、学も経験も乏しい名無子には狭き門であったのだが。
そういうわけで今日も結果の振るわなかった名無子は、自身の見通しの甘さを恥じながら暗い夜道を一人歩いていた。

(やっぱり、高望みだったかな。でも、元の場所に戻っても生活出来るだけのお金が貰える仕事はないし……)

ふぅとため息をつくと、それはハッキリと見えるほど白く染まって闇夜に溶けていった。その光景を見た名無子は、ブルリと体を震わせる。

(寒い……。とりあえず今日は家に帰らないと)

そう思って歩調を早めようとしたその時、ふと名無子は自分が見知らぬ路地を歩いていることに気がついた。どうやら、考え事をしているあいだにいつもの帰り道から脇に逸れてしまったらしい。慌てて来た道を戻ろうとしたが、路地が入り組んでいるのに加え、無意識に足を動かしていたので自分がどの道から来たのか検討がつかない。

「ど、どうしよう……」

思わず途方に暮れて立ち尽くしてしまう。道を尋ねようにも周囲に人影は見当たらない。ただ名無子の肌にまとわりつく夜の寒さが増すばかりだった。
不安のあまり周囲をキョロキョロ見回すと、前方にかすかに小さな明かりが見えた。道の奥まったところにある建物から漏れているらしかった。

「ご飯屋さんとかだったらいいけど……」

気軽に出入りできる場所であれば、少しのあいだ暖を取るなり誰かに道を尋ねるなりができるだろうと、名無子はその灯りに向かって駆け気味で足を進めた。

ものの数分もしないうちに建物の前まで辿り着いた名無子はすっかり冷え切ったその顔を曇らせた。目の前には重厚な扉が名無子を拒絶するように鎮座しており、窓には厚いカーテンがかけられていて中の様子は全く見えない。時折チラチラと明かりが動くのが見えるので無人でないのは確かなのだが、少なくとも名無子が期待したような場所ではなさそうである。

(お金持ちのお屋敷に見えるけど……)

その物々しい雰囲気に、名無子は元来た道を戻るべきかとまごつき後ろを振り向いた。先の見えない真っ暗な道が名無子の前に広がる。

(ちょっと道を聞くくらいなら大丈夫だよね?)

職探し中、裕福な人間の冷たい視線に晒されたことが一度や二度ではないため、つい怖気付いてしまう。しかし、道の片隅で夜を明かす訳にもいかない。名無子は思い切って扉をノックすることにした。

「ごめんください、夜遅くにすみません……」

控えめ気味なノック音と共に声をかける。コンコンと乾いた音が夜風に紛れて消えていく。

「………」

しばらく待ってみたが返事はない。寒さでかじかんだ手を再び上げかけた時、不意にガチャリという解錠の音とともに目の前の重い扉が開かれた。

「こ、こんばんは。すみませんがお尋ねしたいことが……」

名無子の目の前に現れたのは黒いスーツに身を包んだ若い男性だった。そして突然深々と頭を下げられたことで名無子は言葉の途中で固まってしまう。

「申し訳ございません!こちらスタッフ専用の出入口となっておりまして……しかしここまで来ていただいたのだから、よろしければ足元に気をつけてどうぞこちらから……」

顔を上げた男性は少々切羽詰まった様子でまくし立てると、名無子をそのまま奥へと案内し始めた。

「あ、あの……私……!」
「さぁどうぞ、ご遠慮なさらずに!」

男性は名無子を先導しようとしたのか、既に室内へずんずん進んでしまっている。

(中で事情を話せば良いよね……?)

戸惑いながらも、他に行くあてもない名無子は促されるままに室内へ足を踏み入れた。やや埃っぽい匂いが寒空の下で乾ききった鼻腔を刺激する。薄暗い照明の中、目を凝らすと、書類が溢れるデスクやワインボトルの入った木箱、何かがパンパンに詰まった段ボールなどが乱雑に置かれているのが見えた。

(お店のバックルームとかなのかな)

名無子があたりを見回していると、先を行く男性の動きが止まった。

「狭苦しいところで申し訳ありません。……さあ、こちらです」

男性が扉を開けると、眩しい光が名無子の視界を襲った。

「わっ……」

思わず顔をしかめるが、同時に扉の向こうから暖かい空気が流れ込んでくる。それに吊られるように名無子が一歩踏み出すと、目の前に信じられない光景が広がっていた。
はじめに名無子の目に飛び込んできたのは大きなシャンデリアだ。その下では煌びやかなドレスを身に纏う婦人、格式張ったスーツでワインを傾ける男性、そしてやや汚れた衣服の数名がそれぞれ、目の前の何かに熱中している。ある者はトランプを片手に眉間にしわを寄せ、ある者はルーレットの玉の行く末に罵声とも歓声とも取れる色めきだった声をあげている。その間を名無子を案内した人間と同じ、黒いスーツを来た男性が忙しなく歩き回ってた。

「……」

予想外の光景に声すらあげられない名無子は呆然と立ち尽くしていた。

「この時間ですと支配人が皆様にご挨拶を終えた頃ですので、こちらに呼んで参ります。では、こちらにお腰掛けてゆっくりおくつろぎください。」
「……え?」

男性の言葉に従ってついソファに腰掛けてしまった名無子は、ハっと我に返るが既に遅く、彼はそのままどこかに行ってしまった。

「ま、待ってください……!」

早歩きのその後ろ姿に声をかけるが、大勢の人がそれぞれ好きに話をしているこの空間では呆気なく掻き消えてしまった。

(誰かを呼ぶっていってたし、また戻ってきてくれるはず……)
(次こそ、絶対に道を聞こう)

そう決意を固めつつ、名無子はそっと周囲を見回してみる。

(もしかして、ここってカジノなのかな?)

名無子の視線の先に、テーブルの上に積まれているコインをやり取りしている男の姿が見えた。その数を見る限り、換金すれば相当な額になるのだろう。周りに群がる人々は羨ましそうな憎らしそうな表情を浮かべている。
この国では賭け事に対する厳しい締め付けはあまりない。レートの上限は定められているものの、他国と比べるとある程度の自由が認められている。とはいえ、名無子は今までそのような場所と一切縁が無かったため、背に感じる柔らかなソファの感触とは裏腹に、若干の居心地の悪さを感じていた。

(早く帰りたい……)
「こんな寒い中よくぞいらしてくれました、この村岡、心より歓迎致します!」

名無子が手持ち無沙汰にキョロキョロと視線を動かしていると、突然横から大きな声が響いた。

「っ!?」

驚いて声の方を見ると、そこには先程名無子を案内した人物とは別の男が立っていた。男は満面の笑みで語り始める。

「申し遅れました、わたくし当カジノのオーナー、村岡と申します。つきましては、是非案内を務めさせていただきだく……」
「は、はじめまして。あの、私は」
「ささ、どうぞこちらへ!何でも揃っておりますよ、バカラでもポーカーでもダイスゲームでもお好きなものをご自由に。ああ、もちろんスロットマシンやルーレットなどもありますので」
「いえ、あの」
「賭け金やルールなどご質問がありましたらディーラーにお声掛けください。全てお答えいたします」
「あ、あの……!」
「外は寒かったでしょう、お飲み物もいくらでも……ウイスキーにブランデー、ワイン、シャンパン……アルコール以外のものもいくらかご用意がありますから」

「す、すみません!」

――このままじゃ絶対家に帰れない、それどころかいつの間にかあのカジノテーブルに着かされて一夜をここで明かしてしまう可能性だってある。目の前の男の止まらないトークに焦りを感じた名無子は思い切って声を上げた。

「私、道を聞きに来ただけなので……!」
「……………………え?」

男の口が止まった。

「すみません、お店の中まで入ってしまって……。家に帰る途中だったんですが、道に迷ってしまって……」

名無子が恐縮しながら事情を説明すると、男の表情から熱気のようなものが徐々に失せていった。

「……それは、災難だったざんすね」
「気が付いたらよく分からない場所に出てしまって」
「この辺は道が入り組んでるので分かりづらかったでしょう。ではこちらへどうぞ。表の道まで案内致しますから」
「ありがとうございます……」

どうやら上手く伝わったらしい。ほっと胸を撫で下ろしながら名無子が席を立つと、再び男が口を開いた。

「せっかくのご縁ですし、手持ちがあるのならよければ一戦だけでもいかが?」
「……いいえ、あまりお金も持ってないので」

そう小さく呟いた名無子を、村岡と名乗った男はちらっと眺める。一瞬その顔が曇ったように思えたが、すぐに元の笑顔に戻った。

「さあ、では参りましょうか。足元に気をつけて……」

男に促されるままフロアを出ると、再び元いた埃っぽく薄暗い部屋に通された。

「ありがとうございます、ご親切に……」

名無子が告げたその時、ドン!という鈍い音が部屋中に響いた。

「……え」

いつの間にか名無子は冷たい壁に背をつけていた。名無子の視界いっぱいに先ほどとは真逆の村岡の不機嫌そうな表情が映る。驚く名無子の顔の横に村岡が手の平を押し付けている。

「……で、本当の目的はなんざんすか?
たかが道を聞くだけでカジノなんかに出入りして。まさか、本当に道に迷ったわけじゃないざんしょ」
「……え?」
「最近、ろくな手持ちも無い連中がうろちょろしてることが多いと思って調べさせたら、案の定同業の連中ときた。お前もそのクチか?」
「……!?」

全く身に覚えのない疑いをかけられて動揺する名無子に、村岡は苛立った顔を近づけてきた。

「正直に話せば、すぐに済むざんすよ」
(ど、どうしてこんなことに……)

村岡の射抜くような視線に、名無子は背筋を凍らせた。




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