メロウ、メロウ

とわなれ〜なにかの記憶編〜

 皆さんこんにちは! 最近もう寒くて寒くて、炬燵に体を突っ込んでぬくぬくしながら、マイスマホで執筆を頑張っている、星空です。所謂、パソコンだと集中できない事件が近頃多発している、星空です。あ、全然いわゆるじゃなかったですね……はい、いつもこんな感じの星空です。
 今日で「とわなれ〜なにかの記憶編〜(勝手に名付けた)」が無事終幕したということで、今日はなにかの記憶とは一体何ぞやという点に、今後の展開に差し支えのない程度に触れていきたいと思います。序章及び第一章「彼が舌打ちした理由」までの内容をガッツリ含んでおりますので、まだ読まれていない方は是非お読みになってから、既に読んでくださった方はご自身の都合の良いときに、追記よりお進みください。


 ***


 以降は序章「とある庭師の昔ばなし」から第一章「彼が舌打ちした理由」までを既に読まれた方向けに話を進めます。ご了承ください。





 序章を読まれた方は既にご存知だとは思いますが、本作の夢主・ヴィオラ(デフォルトネーム)は植物を司る力と不老不死(仮)の体を持った、特異な人物です。どうやら彼女はガルグ=マク大修道院が落成した頃に、とある村の夫婦の間に生まれたようです。当然、千年くらいの年月が経った今、その村はもう存在していません。何故なくなったのかは、今は置いておきます。
 それでは本題に移りましょう。「なにかの記憶」とは何ぞや、という話です。
 不老不死に関しては、序章の語り部として彼女が結構説明してくれていましたし、皆さんも何となく知識がおありかと思います。しかし、植物を司る力に関しては、今のところ「ヴィオラの心に共鳴して植物たちが勝手に動く」こと、「人を殺すための力という一面がある」こと、そして「本来は植物を生み、育て、守るための力である」ことくらいしか説明がなされていません。
 そんな中で、シルヴァンがいないとなったときに「きっと大修道院内にはいるはずだから私の力を使って探そうか」とヴィオラが言い出して、「ん? なに、私の力って」と疑問を抱かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 実は、この答え――即ち私の力の正体こそが「なにかの記憶」です。ヴィオラはこのとき「なにかの記憶」を使って、シルヴァンが何処にいるかを探り当てようとしていたのです。
 では、「なにかの記憶」とはどういうものなのか。それは、ヴィオラの意識が途切れた後に展開された、謎に長ったらしい(笑)話たちが関係しています。
 頑張って意識して、意識して書いたので何となくでも伝わっていてほしいのですが、謎のお話たちの間は語り部がヴィオラのようでヴィオラではありません。勿論、シルヴァンやフェリクスなどでもありません。では、誰なのか。答えは、ヴィオラと植物たちの意識乃至記憶の集合体です。
 上の方で「ヴィオラの心に共鳴して植物たちが勝手に動く」と述べましたが、ヴィオラはそれを上手く活用して、植物たちから記憶をもらい――というよりも「植物たちと共有し」の方が合っているかもしれません。とけ合うイメージです――、シルヴァンを探そうとしたのです。しかし、赤髪の彼(シルヴァン)やフェリクスに対して少々辟易してしまったことで、彼らの行動の根拠を知る(彼らを見た)植物たちの記憶を間違えて呼び起こしてしまったのでした。


――とまあ、「とわなれ〜なにかの記憶編〜」はこの辺りでお終いですかね。納得していただけましたでしょうか?
 しかし、周りに一切植物がない玄関ホールで、彼女はどのようにして力を発生させたのでしょうか。また、植物たちの記憶といっても、どれくらいの時間を、どれくらいの範囲で呼び起こせるのでしょうか。
 等々、今後も色んな疑問が明らかになっていくと思いますので、どうぞお楽しみに!





(簡単な推理ではありますが、一つ目の疑問の答えのヒントは第一章「なにかの記憶」にあります。是非推理してみてください!)

2020/12/16 12:33