蒼山一丁目駅から徒歩数分、ビルの建ち並ぶ街の一角にズッシリと、しかしひっそりと佇むのは秀尽学園高等学校、略して「秀尽」。そのままである。
 バレー部を中心として部活動が盛んで、私立学校みたく――私立学校だけれど――顧問に加えてコーチも付ける程の力の入れようだ。海外との交流も積極的に行っており、修学旅行では海外を訪ねることが多々ある。
 このように、現在の「秀尽」は着実に周りから高い評価を獲得してきている。そしてその一環なのだろうが、前科持ちである俺、来栖暁すらも受け入れてくれる、懐の寛大な学校だ。
 この短い話は、そんな「秀尽」に溢れる噂の中の噂を掘り下げて体験してみた、といったものである。先にキーワードを開示しておくとすれば、それはやはり「秀尽一」だろうか。
 では、楽しんで貰えると嬉しい。


 ・・・


 特別に何と記すこともない、いうなれば「春眠暁を覚えず」のように朝からポカポカと暖かな陽気に包まれて寝坊しそうになったことが恐らくニュースになるだろう程度のよくある春の日である。ただ登校し、授業を受け、食堂にて悪友(に意図せずさせられてしまった)の坂本竜司と昼食を摂っていたときのことだった。

「なあ、暁。お前、知ってるか?」

 竜司は母親特製の如何にも美味しそうな卵焼きを口に頬張りながら俺に尋ねてきた。しかし如何せん彼の質問には目的語がないため、何の話をしているのかよく分からない。

「何を?」

 率直に問えば、彼は金髪だから嫌でも目立つのに、加えて顔を悪人面に変え、興奮気味にこう言った。

「どうやら『秀尽一』男子が一度はキスしてみたい女子ってのがいるらしいぜ!?」
「……はあ」

 一瞬、たった一瞬だけだが、素直に白状すると、本当に瞬く間だけ、俺は想像してしまった。その女子はどんな唇を持っているのだろう、と。いやしかし自分のこじつけでその子を傷付けてしまうのは不本意だ。俺はいつもの通りに呆れた様子を装って、竜司に対して溜息を吐いた。
 だが、俺が寸でのところでブレーキをかけたのに反して彼はもうエンジン全開のようだ。「きっとあれだぜ、男のロマンが詰まってんだろーな? うおお! やべえ! 飯進むわ!」とか何とかその他諸々叫んでいる。もしも食堂にその女子がいてしまったとしたら、この会話が聞こえていないことを願うばかりだ。





 その日の放課後。部活動に向かう生徒もいれば、下校する生徒、教室に残って級友と駄弁っている生徒もいた。俺はというと、昼休みのこともあって竜司に問答無用で誘われ――たとなればもう悪友といってもいいのかもしれない――、放課後は普段から例の女子がいるらしい図書室へと向かっている。
 行ってどうするんだ、と指摘したくもなったが、やはりこれは男の性というものなのか、魅力ある女性がいると知って黙っていられることの方が珍しい。俺は大人しく彼と共に例の女子を探すことにした。

「じゃあ、俺は椅子座って本読んでるふりして探すからよ、お前は本棚で本探すふりして例の女子を探してくれよな」
「ああ」
「そんじゃ、作戦決行だぜ!」

 竜司には珍しく配慮のできた小声で作戦開始を伝えられた。
 ガラガラと控えめに扉を開けると、何故か途端に集まる視線。痛い。しかしもう気にもしていられない。今は例の女子を捜さなければ。俺は与えられたミッションを確実にこなすだけだ。取り敢えず初めは入り口から一番近い本棚に移動することにした。
 俺が所定の位置に着いたと同時に竜司も円形の机、読書スペースとされている所の椅子にどっかり構え、いつの間にか手にしていた分厚い本を開き、此方に「準備完了」の合図を送ってきた。

「……よし」

 俺は静かに気合を入れて、任務を開始した。密かに胸を高鳴らせつつ。






『その子は「格別に赤い唇」を持ってるらしいぜ』

 これは竜司とのチャット内で彼から聞いた例の子の特徴である。
「格別に赤い唇」とは。格別といっても、人それぞれに格の付け方は違うのだから、そんな抽象的に伝えられても困るのだが。しかしまあ、恐らく竜司だってその程度の噂しか耳にしていないのだろう。ならば仕方あるまい。俺にとっての「格別に赤い唇」を探すのだ。
 カーペットを静かに踏みながら目標を捜索する。放課後とあって読書や勉強の為に多くの生徒がここに集まっているから、一人一人の顔――というより唇――を確認するにはそれなりの努力が必要のようだ。
 俺は本棚から適当に小説を一冊手に取り、頁を開いた。そしてその頁を食い入るように読んでいる振りをして、女生徒の唇をチラチラと確認していく。事情を知らずとも変態に見える、寧ろその通り変態な行為をする自らに僅かながら背徳感を覚える。けれども最早裏で怪盗業をする俺に、躊躇うことなど何もなかった。
 幸い女生徒は皆、本やマスクで横顔が隠れることなく、唇もしっかりと顕にしてくれているから、「格別に赤い唇」を見つけるのにそれ程まで苦労はしなかった。そう、俺はターゲットを発見したのだ。

  


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