これが彼の


 或る日の昼下がり。今日はもう自由行動にしようぜ、とノクトが気怠げに訴えたから、俺たち王都警護隊は魔物討伐も探索もせずに此処、レスタルムで休息を取ることにした。しかしながら、俺はてっきり皆で市場や街を散策するものだと思っていたのに、イグニスは「ホテルにチェックインをしてくる」とだけ言うと仕事をこなしにホテルの方へ歩いていってしまうし、ノクトは「腹減った。昼飯食ってくるわ」とぶっきらぼうに言うと、いつも世話になっているトーザスパン店に行ってしまった。グラディオもグラディオで「じゃ、俺ぁどっかベンチにでも座って本読んどくわ。プロンプト、お前もゆっくり休めよ」と暢気に手を振り、駐車場から去ってしまった。恐らく展望台に向かうのだろう。
 さて、いよいよ一人である。手持ち無沙汰である。暇である。こんな風に自らが暇を持て余してしまうのなら、俺も一緒に行く、と誰かに言っておけば良かった。けれども何故か今日はそう言う気にならなかったのである。一人になりたかったのかと聞かれれば、そうでもないのだけれど。
 若干の後悔とは裏腹に、温暖な空気と柔らかい陽光が俺の体を包む。晴れ晴れとした天気はまるでレスタルムの人々のようだ。此処に住む人々は皆、温かくて楽しそうだから。モヤモヤとした気分もまだ多少は残っているが、この気候のお陰で「ま、いっか」と纏めてしまえる程度にはスッキリとした気持ちになった。
 俺は自然と笑みを零していた。ハッとして、果たして誰も見ていなかっただろうかと周囲を伺う。良かった。誰も俺のことは見ていなかったらしい。俺は胸を撫で下ろして、今度はこれから何をするかを考え始めた。
 市場に行こうか。いや、必需品は事足りているから必要ないだろう。ならば何をするか。ううむ。
 本当にどうしようかと頭を悩ませていたそのとき、「ねえねえ! お空、綺麗だよ!」と男の子の訴える声が聞こえた。俺に言った訳ではないのだろうけれど、彼の余りの興奮様に俺は釣られて空を見上げる。
 太陽に照らされてより青く広く染まる大空を、鳥や雲たちがまるで魚のようにスイスイと泳いでいる。確かに綺麗だ。写真に収めたい――ああ、そうだ、写真でも撮って過ごそう。
 俺は「そうだ、写真を撮ろう」と閃かせてくれたあの無邪気な男の子に感謝しながら、常時携帯している小型の一眼レフを懐から取り出した。そのまま空にそれを向け、ファインダーに右目を当てる。
 海のように真っ青な空が視界いっぱいに広がった。ああ、自然の美しさに勝てるものなんてあるのだろうか。そんな思想に支配されつつ、俺はピントを合わせていよいよシャッターを押した。
――パシャ。
 俺は爽快感にも似た感情を抱いた。しかしながら、今感じた感動と同じものはもう二度と味わえまい。そう思うと何だか世の中の無常さをひしひしと実感する訳であるが、だからこそ俺はあのときの感動を擬似的に覚えるために、こうやって一枚の写真に己の感情を綴じるのである。
 とは力説したものの、実際はそんな高尚なポリシーなど俺の中にはない。ただ、撮りたいものを撮りたいときに撮る。それだけだ。そう、撮りたいもの――。
――パシャ。
 いつの間にか俺はシャッターを押していた。押して初めて、自分が何かを写真に収めていたことに気付いた。俺は何を撮ったのだろう。気になって、一眼レフを見下ろす。
 画面に写っていたのは、一人の女性だった。絵の中の女性だった。え、こんな人いたっけ? と俺は懐疑を抱きつつも、どうか其処に居てほしいと、そう願ってしまった。それ程までに彼女は俺を惹き付けたのだ。
 撮影から数秒が経った今、俺は遂に彼女のいるだろう方へ顔を向ける。
 対象と、目が合った。

「…………」

 俺は図らずして息を呑んだ。いや、息を呑む程に美しいということは前々から予想がついていたけれど、やはり息を呑まずにはいられなかった。
 目を逸らせない。否、逸らしたくないというべきか。彼女の常軌を逸した美しさと何者をも受け入れてくれそうな寛容さ、そして何より、如何にその瞳の純粋なことか。俺と彼女は初対面なのに、彼女には俺の全てを知られているような気さえした。俺は彼女を何も知らなかった。
 彼女は不思議そうに首を傾げた。

「……何か?」

 実に女性らしい、凛と発せられた声を聞いて、俺は我に返った。
 しかし此処で萎縮してしまっては何も意味がない。折角、彼女に話しかけてもらったのだから、今、勇気を出して何か行動しなければ。今。今。

「あ、あの! 俺、プロンプト・アージェンタムっていいます! 俺の写真のモデルになってくれませんか!」


(始)

  



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