違和感は大切に


 ジリジリと照り付ける真夏の太陽。そう聞けば、人はどのような情景を思い起こすだろうか。
 青い空に青い海、白い雲に白い砂浜といった、青と白のコントラストか。はたまた田舎の砂利道で、虫取り網を両手で握った少年が昆虫を捕獲せんとしている、長閑な光景か。詰まるところ、芸術という世界においては、一つの題材に対しても十人十色の見方があるのだ。そんな中でも俺は、真に自分にしか描くことのできない景色を、いつかこの手で表現してみたい、と密かに願っている。
――というようなことを、俺は心の怪盗団「The Phantom」の元アジトである銀座線渋谷駅付近の通路で、手すりに両の肘を置き、渋谷の雑多な街並みを眺めながら考えていた。
 ちなみに心の怪盗団とは、リーダーである雨宮蓮を筆頭に坂本竜司と高巻杏、そしてモルガナの四人(もしくは三人と一匹)が結成した、腐った世の中を変えるための秘密結社である。俺はそこに、師であった斑目一流斎の事件以降、同じく斑目の弟子だった楓と共に参加させてもらっていた。つい先日には、参謀として秀尽高校の生徒会長・新島真も加わり、俺たちの力はより強固なものとなった。
 そして、いよいよ夏真っ盛りに突入した今日、蓮から俺たちに向けて「メメントスで悪人たちを改心させよう。元アジトに集合で」と声がかかったために、俺は洸星高校の男子寮から歩いてここにやってきたのだ。
 連絡通路は昼下がりの強烈な日差しをこれでもかというほど浴びて、サウナのように熱されてしまっている。歩いて来たこともあって、俺の喉はかなりカラカラだ。まあ、わざわざ外に出て、あの体に纏わり付くような熱気を全身に受けるくらいならここにいた方が幾分かましだろうが、それでも暑いことに変わりはなかった。
 暫くして蓮と、蓮の鞄に入ったモルガナが、続いて真、杏、竜司が順にやってくる。そして、いつもは一番乗りである楓が珍しく最後に到着したところで、怪盗団の面々は一堂に会したのだった。

「まじあぢい……俺そろそろ溶けんじゃね……?」
「うわあ、その気持ち凄い分かる……」
「ワガハイ、アン殿の気持ちなら分かるぜ……」
「……とにかく、水分補給はしっかりね」

 俺の左側で皆が揃って手すりにもたれかかり、ぐったりとしている中、俺は唯一右隣にいる楓のことを観察していた。
 彼女は一見平生と変わらないように見えるが、明らかに口数が少なかった。それに、俺がこんなにも見ているというのに、こちらを見向きもしない。俺はどうしても違和感を覚えずにはいられなくて、彼女に声を掛けようとした。しかし、蓮の「それじゃあ、行こう」という掛け声によって、それは遂に叶わなかった。





 メメントス。恐らく、何の知識も持たない者がこの言葉を聞けば、まず連想するのはあのお菓子だろう。あるいは、原宿のアパレルショップに足繁く通う人間ならば初めの二文字に注目して、ちょりーもにゅもにゅのシンボルである目玉を思い浮かべるやもしれない。これもまた、人間の感性の違いが生むイメージの差異を表している。では、俺ならメメントスをどう捉えるか。
 近頃、俺は蓮と共にメメントスに赴いては心に浮かんだものを筆に起こすという試みを行っていたのだが、その集大成として出展した絵画の評価は余りにも酷く、俺に甚大なるショックを与えた。故に、今俺の目にはメメントスという集合的無意識の具現化した世界が、酷く恐ろしいもののように映っている――コンクリートの壁に等間隔に取り付けられた蛍光灯たちが唯一、地下という閉鎖的な空間を仄かに照らし、地には一本の細い線路が敷かれている。地下鉄を思わせる、この人間の生み出す不可解な情景が、今はただ怖かった。
 画家の習性で、モルガナカーの後部座席から無意識にメメントスを眺めていた俺は、しかしこれ以上は見ていられないと、自分の失態から目を背けるように、自身の左隣に座る楓に視線を移した。
 楓は今、彼女の左側に座る杏と楽しそうに話を弾ませている。そこに、先ほどのような違和感は覚えない。俺に対して背を向けているため、彼女の表情の如何を窺い知ることはできないが、耳に入ってくる明るい声音からして、特に心配するようなこともないだろう。長年の付き合いである楓に万が一のことがあったらきっと平静を保っていられないだろう俺は、彼女が恙無いことを確認できて、少なからず安心した。
 ガタガタ揺れる車内のために読書はできないと思い、俺はとりあえず瞑想でもしようと、女性陣の会話に耳を傾けつつ、静かに目を閉じた――刹那。
 唐突に、強烈な衝撃が全身を襲った。

「うおっ?!」

 仲間たちがそれぞれ叫声を上げる中、俺も驚きに声を上げ、目を見開く。すると、自分だか車体だかが大きく揺れているのが知覚できた。と同時に、楓の上体がこちらに傾いてくるのを視認する――まずい、このままでは車窓に頭をぶつけてしまう。これだけの状況を一瞬で把握できる自身をどこか客観視しつつ、俺は異世界ならではの瞬発力を活かして咄嗟に右腕を出し、彼女の体を支えた。それを以て、何とか彼女の頭部がガラスに衝突するのを防いだのだった。

  



戻る   玄関へ