1

お気に入りの音楽に設定している目覚まし、そのアラーム音で目が醒める。まだぼんやりとしている頭と視界。カーテンの隙間から光が射し込んでいることに気付いた。
体を起こし思いっきり伸びをしながら、庭にいる「あの子たち」のことを考える。
これが物心ついた時から、わたしの1日の始まり。


−−−−−


「おはよう、今日も元気だね!」

蕾をたくさんつけ始めたアガパンサス、鮮やかな色が目を惹くアマリリス、小さな鉢植えいっぱいに花弁を広げている撫子。
その一輪一輪の様子を見ながら水遣り、温度、湿度、日光を調節するのが朝のルーティーン。

「植物たちはね、自分では動けない分私たちのことをしっかり観察してるの。適当な世話ならすぐにばれちゃうのよ。」

幼い頃から聞いているお母さんの言葉。小さい頃は水遣りをさぼったらばれるんだ、何てマイナスに捉えていたけど。

「みんな、綺麗に咲いてくれてありがとね!」

愛情を注げばちゃんと形にして返してくれる、それがわかったのはもう少し大きくなってから。

「おはよう、七瀬ちゃん!今日も早いねー」

背中にかけられた声に振り向くと、数軒先の八百屋のおじさんがにこにここっちを見ていた。

「おはようございます!おじさんもお早いですね!」
「ははっ。お互い様だな!」

歳とると早く目が覚めちゃってなー、照れたように頭を掻きながら店に戻って行くおじさんにお辞儀をして。
わたしもお店、もとい家の中に入る。


−−le bourgeon(ル・ブルジョン)−−

店先に立て掛けられた木製のウェルカムボード。まだ開店時間には早いので裏向けにしているそれに書かれた言葉、その意味を知ったのはいつだったっけ。
ここが、わたしの自慢の家だ。


−−−−−


「七瀬、おはよ」
「おはよ、お母さん!」

ダイニングに漂うベーコンの焼ける香りが食欲を刺激する。

「お腹空いたあー。今日はベーコンエッグ?」
「そ。今日は朝から大きい配達があるから早めに準備してね」
「ふふ。任せて!もう朝のお世話も注文されてたお花の仕分けも終わってるんだー」
「え?そうなの?」

ありがと、助かるわ、
そうほっとしたように笑いながらカタカタと音を鳴らし始めたヤカンの火を止めるお母さん。

そう、今日は午前中に沢山の配達があるらしい。ここ、天鵞絨商店街にはいくつか花屋があるけれど、両親が丁寧な商売をしてくれているお陰でうちを贔屓にしてくれている人は多いみたい。
中でも大きなお店や学校とか、人の多く集まる場所は一気に大きな注文が入ることがあり、昔から大切なお客様になってくれている。

「今日お届けに行くところはなんてところ?GOD座さん?」

てっきり今日の配達も公演の度にいくつか注文を頂く劇団のところかと思っていた、けど、

「ううん。今日はね、MANKAIカンパニーさんよ。」
「……MANKAIカンパニー?」

聞きなれない名前にわたしはただ首を傾げるしかなかった。


−−−−−


綺麗なお庭と大きな建物。門の前まで来て、それが今日のお客さんの住んでいる寮だとわかったのはお母さんにしっかり地図を描いてもらっていたから。
いつも量の多い配達はお母さんと2人でしているのだけど。急に入った注文に対応するためにお母さんはお店に残らなければいけなくなった。

「…やっぱり免許早く取ったほうがいいのかな?」

この春から大学生になったばかりの私は2月末までばりばりの受験生で。
春の終わりのこの時期に運転免許はまさか持ってなく、荷台付きの自転車に出来る限りの品物を積んで配達に来ていた。


『−−はい、どちら様でしょうか』


インターホンを押せば、人の良さそうな男性の声が応対してくれた。

「あ、おはようございます、le bourgeonです。ご注文頂いていた品物をお届けにあがったのですが…」
『る、ぶるじょん……??
あ!お花屋さんですね!すみません、すぐ開けますので−−ってぎゃーーー!!!亀吉!やめてください!』
『メシまだか!腹ヘッタ!』
『いてっ、痛い!痛いですよ!ちょっと、監督!助けてくださーい!!』
『…はい、どうされました…って支配人!大丈夫ですか?!』
「………???」

インターホン越しに聞こえる男性と女性の声に混じった甲高い声。はっきりとはわからないが何人かの慌ただしい足音がする。

「あ、あの、お忙しい時間帯でしょうか?でしたら−−」
『いえいえ、違うんです!すぐに出ますね!』
『カントク?お客さんですか?』
『あっ、咲也くん、ちょうど良かった!』
『休みの日の朝なのにやけに騒がしいっすね…?』
『お花屋さんが来てくれてるみたいなの!荷物があるから一緒に来てくれる?』
『はい!もちろんです!』
『っす。』

そんなやり取りが止んで、数秒後。

「失礼しました!遅くなってしまいすみません!」

ぱたぱた、と軽快なパンプスの音とともに現れた女の人。長い髪を風になびかせて申し訳なさそうに眉を下げながらこちらへ走ってくる。

「すぐに開けますね!あ、荷物……」
「あ!こちらこそすみません!実は−−」

お母さんが他のお客さんの対応のため来られないこと、自転車では1度にすべての品物をお届けできないため何度か往復しなければいけないこと。
説明しようと口を開こうとするが、玄関のドアから次々と人が現れタイミングを失う。

「お花屋さんって今日のフライヤーの撮影に使うやつっすか?」
「うわあ!すっごく綺麗ですね!」
「アンタのほうが綺麗……」
「朝一番からブレないなお前は!」
「真澄くんも起きてたんだ!ちょうど良かった!」
「あ、あの−−」
「あ!申し遅れました!わたし、このカンパニーの総監督を務めております立花いづみと申します。」
「は、はい!」
「すみません、沢山注文をしたのでてっきりお車で運んで頂くのかと思っていて…」
「あ、いえ、その件なんですが…」

もう一度事の経緯を説明しようとした、その時。

「−−−朝から随分と騒がしいけどどうしたの?」

ふわりと心地よく響く声。ミルクティー色の髪が光に当たってさらさらと透けて見える。ルビー色の少し気怠げに細められた瞳がこちらを向いた瞬間。


−−−周りの音が、止まった。


アーモンド型の瞳が大きく見開かれていくのがスローモーションに思えて。形のいい唇が薄っすらと開き言葉を紡ぐのがわかった。


「−−七瀬、ちゃん?」


聞き慣れた自分の名前。懐かしい声が優しく鼓膜を揺らす。
自分は配達中でお客さんの前だということも忘れ、わたしはただぽかんと間抜けな表情を浮かべ瞬きを繰り返すのだった。

前へ次へ
戻る