Lipstick gift


渡したいものがある。
だからラボへ来いと命令を承ったわたしは、至急、ラチェットの巣窟へとゆるりと向かった。行く途中、アイアンハイドと飛鳥の弾幕模擬戦に乱入したり、カレン主催のお茶会でローズティーを飲んだり、まあ、色々寄り道をした結果は日付けが変わっていた。
可笑しいなあ、急いだつもりではあったんだけど。
「来た」
スライドドアのセンサーが反応して、これから踏み入れるフロアが露出した。其処にはここに居るぞと主張せんばかりのライトグリーンの装甲で覆われたデカい図体の後ろ姿があった。その巨人からは深い白い靄が出ており、それと共に不機嫌そうな声がわたしを出迎えてくれた。
「遅い」
ラチェットが怒るのも無理はないだろう。圧倒的にわたしに不備がある。まったく、時というものは直ぐ過ぎてしまう。
「ごめんなさい」
謝罪をする。白い靄は彼のため息だ。振り向いてくれた彼の機嫌はそう簡単には柔くならないだろうな。
「私が君に連絡を入れたのは一昨日になっているな。朝方に確認をした君は、少なくとも昨日中には来てくれるだろうと思ったさ。さぞ楽しい一日だったのだろう」
「もちろん、今日は楽しかった。わたしが反省すべき点は楽しみを最後にとってはいけなかったことだ」
「私を一番に楽しみと捉えてくれるのはとても喜ばしいのだがね、寄り道をしないことが君の課題だ」
「肝に銘じます」
「悪魔に肝があるのやら」
痛いところを突いてくる。悪魔だって痛覚は、まあー、あるぞ。
「…。で、だ。君に渡したかったものはこれだ」
他者の痛みがわかる医者は許してくれたのか、本来の目的へと切り替えてくれた。
ラチェットには小さすぎる紙袋を、彼は器用に二指で摘む。その紙袋をわたしの前に差し出して受け取ってくれるか。と、言った。
「もちろん、受け取ります」
両手で贈り物を受け、中身が軽量であることを認識した。
「開けてもいいか?」
「もちろん、開けて下さい」
丁寧に開けるのは面倒なので、適当なところから力で切り裂く。中身を確認すると、ヒトの薬指程度の大きさをしたスティック状の何かがある。手を袋に入れてそのモノを掴んで取ってみる。
「……、リップクリーム」
「ああ。唇が切れて疎ましいと言っていただろう」
「言ってた。…早速、使っても?」
「それはもう君の所有物だ。私の許可を得る必要はないさ」
「うん」
リップクリームの蓋を開けると桃色の軟膏材が露になる。鮮やかとかはっきりした発色というよりは、少しくすんだ自然な色合い、なのだろうか。唇につけると、低い体温であってもその熱で溶けてむき出しの皮膚を滑っていく。おそらく色付きなのだろうが、鏡がない為に確認することはできなかった。
「鏡がご所望か、お嬢さん」
先ほどからわたしの行動を観察していたラチェットが紳士的にルームミラーを近づけてきてくれた。全身が映る程に大きい鏡をのぞき込むと、じんわり。ほのかに。落ち着いた桃色が乗っていた。…。
「どう?」
「どう…とは?」
「あー、……様になってる? か?」
こういうのは、あまりよくわかっていない。なんという言葉で今の気持ちを表せられるのか。しかしラチェットはわたしの意図がわかったらしい。彼の口角は上がった。
「ああ、とても可愛い」
「……、…あー、そう。ソウデスカ。うんアリガト」
そうかそうか。わたしはその言葉が欲しかったのかナルホド。これは、恥ずかしいが勝る。知っていたら言わなかったか。いや言ったかも。欲しいし。うん。うん。……ああ、そういえば。そうだ。ふと昨日の昼の寄り道で、お茶会で聞いた話だ。思い出した。そう、プレゼントにまつわる小話。これは、確か。
ああ、良いことを思い出した。
「せんせえー、かがんで。かがんで」
「ん、…こうかね」
「あー、もっとかがめ?」
姿勢を低くするうちに、こちらの要求を理解したのか、目線がかち合った。わたしの目の前にはラチェットの顔が見上げなくともある。
「よくできました。いい子、いい子」
手を叩いて喜びを表現する中、ラチェットを褒め称える。そして先ほど塗ったリップクリームの蓋を開け、もう一度光沢のある唇へ塗った。ラチェットは私の行動を不思議に思い首を傾げそうだ。現に疑問を持った瞳はワイパーの瞼により数回消えたり現れたりしている。
「安心しろ。直ぐわかる」
「それは」
どういう意味だ?
そう放ちたかった口は薄く開いたまま、音を発することはなかった。ぐ、と押さえつけた口を離せば、彼の口元には小さな薄桃色の光沢が付いている。あまり着色はうまくいかなかったようだ。固まったラチェットを見つつ、挑発するように自身の唇をチろりと舐めた。
「なあラチェット、知っているか?」「男が女にルージュを送る意味はな、『これを付けてたくさんキスをして、私の唇に返して下さい』。と、いう意味らしい」
これはルージュじゃあなくて、リップクリームなんだけどネ。それを聞いた彼は一度カシャリと瞼を閉じ、カシャと瞼を開いてなるほど。と、呟いた。検索でもかけたんだろうなあとぼんやり思っていたところ、ガシャガシャと金属がぶつかる派手な音によりうつつに戻る。
「なら、次は赤にしよう。それならばはっきりと跡が残る。その為には早めに使い切っていただきたい」
屈んだまま、器用にヒトのカタチへと変形するラチェットは跪いた体勢から立ち上げる。本来の姿とも変わらずに高い等身の顔は、わたしが見上げないと表情は読み取れない。なので必然的に顔を上げることになるのだが、そこでわたしは驚くことになる。
「変形しても残るんだな」
への口をしたラチェットは当たり前だろう。と、ばっさり切り捨てる。彼の唇には確かに薄桃色の光沢があった。
「ステラ」
わたしの名を呼び、手を招く動作をしたラチェットの元へ向かう。腰を落とし、目線を合わせてくれた彼は目を細め、笑む。
「キスしてくれないか」
「は」
わたしの唇に彼の指が触れた。かと思いきや、その指は彼の唇へと移動していき、指した。わたしは間抜けな声を出した。そう、面と向かって言われるとどうだ。照れる。
「ステラ」
「……。ん」
「…、…もう一回」
「う。……。…、まだ?」
「まだ。もう一回」
「……、…そっちからはしてくれないのか」
「してほしいか?」
「うあー卑劣」
この男、ずるい。思わず顔を背けるが直ぐに正されてしまった。そして敵わず、キスを要求される。してやるわけだが。してほしいかと言われれば、欲しいさ。欲には素直なのだ、わたしは。
「…。…、…してほしい」
「…何を?」
「お前本当にずるい!」
とぼける彼はわたしより悪魔に近いのかもしれない。くそう、此方は生粋の悪魔だというのに。恥ってなんだもう。
「キス、下さい」
猛省。わたしラチェットに呼ばれたら真っすぐ向かう。もし寄り道をしてしまっても、日付が変わる前にはその場に居る。


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