きっかけ/日向【番外編】
スマホ画面を見た後に口元が緩むチームの先輩
の姿が目に入って、彼女が今日ここに来るのだ
ろうと日向は気がついた。
「侑さん、嬉しそうですね。」
「翔陽君、なんで分かったん?」
鼻歌交じりのご機嫌な侑に日向はついついそう
声を掛けてしまい、その場に居合わせてしまっ
ていた佐久早は、彼の惚気話を聞きたくないと
いったところなのか、静かにその場から離れて
いく。
「昨日も俺の話にいっぱい笑ってくれて最高
やったのに、また会える思うたら。」
昨夜は彼女と電話でもしたのか、上機嫌に侑は
名前との楽しかった会話を語り出し、離れた場
でもそれが耳に入る佐久早は眉間に皺が寄って
いた。
「いや…仕事で来るわけであって、名前はお前に
会いに来る訳じゃねえだろ。」
「え、何?名前ちゃん来るの?!」
名前が登場すれば、毎度侑は木兎達に振り回さ
れているはずなのに、侑は毎度のそれすら忘れ
彼女がここに訪れることを待ち侘びる。
佐久早の呟きに木兎も反応をして目を輝かせ、
そこで侑はしまったとこの後自分が味わう苦労
が頭に浮かんで我に返った。
彼だけではなく、木兎や佐久早もどことなく
そわそわしているようにも見え、日向も気兼ね
なく話せる彼女に会えるのが楽しみだった。
『お世話になります、おにぎり宮です!』
コンコンとノック音が聞こえ、その音にすぐに
日向が扉を開けると、元気な声で挨拶をする
名前がみんなに笑顔を向けていた。
「苗字さん、持つの手伝うよ?」
『日向君ありがとう、助かります。』
ふんわりと笑ってお礼を言う名前に、日向も
自然と気持ちが和んでいると、後ろから侑が
「鼻の下、伸ばしたらあかんよ?」とニコニコと
笑い、その目は笑っていない。
「はい、すいません!」
「ハハッ、そんな怯えんでええから。」
ポンポンとそう言葉を続けて日向の肩を叩く侑
からは、普段と変わりのない喋り方の中に圧を
感じ、反射から日向は背筋を伸ばした。
萎縮する日向とは反対に、木兎は背後から楽し
そうに侑の隙を狙って名前を持ち上げていて、
彼女の小さい悲鳴に侑が血相を変える。
「名前ちゃん、なんか痩せた?!」
『ひゃっ!!?そんな事ないです!!!』
「んー、でも腰周りがキュッとしたような…。」
『あかんー!!!木兎さん、恥ずかしいから
離してください!!』
「ぼっくん、どこ触っとん!!?」
木兎は侑に構わず名前の腰元を怪訝な顔をして
見つめ、さすがに先輩に悪態をつけない佐久早
もジロリと冷たい視線を送っているのだが、
それにも動じない。
ギャーギャーと騒ぐ先輩2人を明暗が一喝し、
彼女はやっと本来の仕事に戻り、侑は心労の
一息を吐き、日向は先輩達の勢いに唖然として
いた。
「名前、今夜空いとるん?」
『はい、今日はノープランです。』
「よし、ほんなら今日終わったら店に寄るわ。」
しかし、疲れ切った顔をする侑もふとした時に
彼女と交わす会話はやはり楽しそうにして、
簡単な口約束をする2人の距離感が日向は少し
羨ましくも思う。
すると、それは日向の表情に分かりやすく出て
いたのか、侑は日向にニヤニヤと笑みを向け、
「仲良しやろー。」と彼女をがっしりと片腕で
包み、侑との距離に顔を真っ赤にさせた名前に
釣られ、ほんのりと日向の顔も赤くなった。
「翔陽君、こっち見すぎやて。」
「なっ…!?すみません、そんなつもりは!」
「宮がベタベタし過ぎだ。嫌でもこっちも視界
に入る。名前が汚れる。」
「臣くんはもう少し寛大になってや。」
再び賑やかになるその空間に名前は困った顔で
笑い、2人の口論を止めるタイミングで治から
彼女を心配する電話が掛かってきていた。
『そろそろ、戻らなあかんですね。』
「せやったら、車まで送るわ。」
「ツムツムはそろそろ、俺と次の予定でしょ。」
「…忘れとった。」
出来る限り、名前のそばにいたいと願う侑は、
残念ながらこの後に木兎と雑誌のインタビュー
を控えていたらしく、名前との時間は必然的に
そこで終わりとなり、渋々彼は彼女と別れる
こととなった。
代わりに日向が彼女を見送ることになり、名残
惜しく名前と別れる侑は木兎に連れて行かれ、
次の仕事へも向かっていき、彼女の方が見送る
形となった。
『日向君、こっちの生活には慣れた?』
「うん、侑さん達のお陰で何とか!」
『何や、やっぱり不思議。去年まで、日向君は海外に住んどったんよね?』
そして、のんびり車まで歩く2人はやっとそこ
で穏やかに会話をして、名前は日向にブラジル
であった出来事を興味深そうに質問を始め、
彼女の目が輝き始める。
『へー!そうなんや。』
「うん、だからさ…。」
日向の話を聞く名前の反応が面白く、彼も久々
に同じ年齢の人物と会話するせいか話は弾み、
前回再会した時よりも彼女に沢山伝えることが
出来た。
「名前さんと久しぶりにたくさん話せたね。」
『せやね、私も知らんかったこといっぱい
知れたから嬉しい。』
にこにこと互いに笑いあって、名前離れない地
で暮らす日向が元気そうな事にホッとしたのか
日向を見て満足そうに頷く。
『困った事があったら、遠慮なく言うてね。』
ひそひそっとその後に『侑さん達に言いにくい
時もあるやろ?』と日向に耳打ちをして、それ
に動揺して彼の声が裏返ると、彼女はクスクス
と肩を揺らして笑っていた。
『時々、不機嫌そうやなーって時もあったり
するし。』
「苗字さんにもそんな時があるの?」
『ふふっ、そんな日もあるよ?侑さんはそれ
だけ必死になってしまう人やから、全然嫌や
ないけど。』
意外だと目を丸くする日向に名前は高校時代を
振り返って説明をするが、それが想像つかない
彼は驚く。
『時々、めっちゃ意地悪な時もあるし。』
「意地悪?」
『そうそう!』
彼の話をする名前は、日向の知らない侑の姿も
教えて、侑が彼女に意外な一面を見せるのは、
それだけ2人の長年の付き合いからだとよく
分かった。
そして彼女と話せば話す程、侑が彼女を大切に
する理由も分かる気がして、名前の良心を日向
も感謝して受け止める。
「確かに、こっちだと気軽に話せる同級生は
少ないからありがたいかも…!」
『私がお役に立てたら、嬉しいな。…何や、
おせっかい過ぎかな?』
「全然、そんな事ないって!」
迷惑だったらと心配をする名前を日向は全力で
否定をして、それに安心をした彼女は自分の
ポケットに入れていたメモ帳に何かを書くと、
それを日向に渡す。
『それなら、忘れんうちにこれ渡しとく。』
「これは…?」
『連絡先、教えとらんかったよね?』
名前は谷地と連絡は取り合っていたが、日向
とは春高の会場で会うのみだったので、互いの
連絡先を知らなかった。
それを忘れていた日向はお礼を言って、彼女も
日向と仲良くなれたことを喜んでいた。
『やっぱり、友達が増えるんは嬉しいね。』
「おお、友達…!」
楽しそうに笑う名前の発した友達という響きに
日向も目を輝かせて、彼には受け取ったメモ帳
が眩しく見える。
「大切に連絡させていただきます。」
『こちらこそ、大切に返信させていただきます。
仲良うしてください。』
「苗字さん、これからもよろしくね。」
互いに畏まった挨拶をして笑い、手を降って後
にした名前を見送ると、彼は自分と会話した時
の尊敬の眼差しを思い出し、彼女な聞き上手な
のか、日向は話しやすかった。
「ちょっとだけ、侑さんの気持ちが分かったかも
しれない。」
小さな幸福感を噛み締めた日向は、自分の胸元
をぎゅっと掴み、口元をムズムズさせる。
ヤバい、正直めっちゃ楽しかった。
そんな感想がすぐに頭に浮かんで、でもそれを
表情に出していると拗ねる先輩達の顔も同時に
浮かんで、彼は頭を冷まそうと首をブンブンと
振る。
名前から貰ったメモは綺麗に折って、ポケット
の中にしまい込み、急いでみんなのいる元へ
向かうと、彼女にメールを送る楽しみは胸に
秘める。
恋心とはまた別の高揚感に胸を弾ませ、日向は
後輩不足だと戻ってきて早々にボヤく先輩の
モチベーションを上げる為に励みの言葉を
掛け、彼らはまた練習へと向かった。
「何や翔陽君、元気やな。」