その隣に/黒尾【if】

普段は自分の仕事である朝食作りを今日は恋人
が作って、彼の大きな手がぽんと自分の頭の上
に置かれて目覚めた朝。

「名前、出来たぞ。」

自分を呼びかける声と優しく見つめるその表情
に釣られて彼女も目を細め、いつもよりも寝坊
が出来たその朝は早速贅沢な日だとも思えた。

『私の作ったものより美味しい!』

「さすがにそれは褒め過ぎ。」

豪華な事に、ホットサンドとサラダが置かれた
テーブルで爽やかな朝食に至福を感じ、向かい
でそれを眺める黒尾も「たまにはいいでしょ?」
とコーヒーを啜った。

彼が言うには、普段家事を負担してくれている
名前への甘やかしデイとの事。

「本日の予定は、ドライブに行きます。」

『はい、ドライブに連れて行かれ…ます?』

洗面台の前でシャカシャカと二人並んで仲良く
歯磨きをする2人は、久しぶりに重なった休日
の予定を名前はどうするかを尋ねたら、黒尾の
返事は彼女の中では予想外の提案だった。

やんわりと彼からその日は予定を何も入れない
で欲しいといったお願いは聞いていたが、意外
に向こうは朝早くに洗車をしていたりと、割と
計画的に行動していて、こちらにもしっかりと
プランを伝えてくるので、デートらしいデート
なその内容に慌てて彼女は身支度を整える。

『えー、どうしよ、何着よう、髪型!』

「大丈夫大丈夫、普段から綺麗にしてんだから
いつも通りでいいだろ。」

自分の為にお洒落をする彼女を黒尾はのほほん
と楽しそうに見届けて、ヒラヒラと手を振り
そう言い退ける黒尾の髪を彼女はわしゃわしゃ
とセットし始めた。

『鉄朗もお出かけなんだからオシャレして!』

「おい、コレ逆に変になってないか!?」

『待って…この世で黒尾君のセットが一番
難しい気がする。』

「ちょっとプロ、そこは諦めるなよ。」

『むー、じゃあもう少し。』

「ほらほら、頑張れ。」

悪戯心が芽生える彼は屈まずにニヤリと笑い、
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら試行錯誤して
百面相で黒尾の髪に触れる名前の様子が面白く
つい出来心で彼は自分の髪の毛を触る両手首を
掴むと彼女を自分の元へ引き寄せて、チュッと
軽く唇に触れた。

『えっ、何で今!?』

「何となく、したくなった。」

恋人同士になっても未だに慣れないその行為に
頬が真っ赤になる名前に黒尾はにっこりと笑う
とそう答える。

もう少しだけと黒尾がその行為を続けて仕掛け
ようとすると名前は羞恥で怒り出し、それすら
も楽しんでいた彼はお預けをくらい、仕方なく
彼女の背を押して出掛ける準備を進めた。

『こちらは準備完了です!』

「では、行きますか。」

上機嫌で玄関のドアノブに手を掛ける黒尾の目
が扉を開ける瞬間、グレーに染まっていく空と
大粒の雨が突然目の前で降り始め、信じられ
ない光景に、彼は目一派に見開く。

彼の後ろですっかりと変わった天候に、名前も
ぽかんとした表情で驚き、黒尾を見上げた。

「いや、今洗車したばっかりなんだけど。」

『次の晴れの日のお休みに一緒に洗おっか。』

肩を落とす黒尾を不憫に思うのか、よしよしと
彼の背を撫でる彼女はそう言葉をかけ、少し
泣きそうな顔になる黒尾を励ます。

昨日の天気予報は快晴のはずだった。
つい先程まで朝日がさして、予定も順調だった
はずなのに。

『鉄朗が窓ガラスコーティングしてるから、
撥水はいい感じだ!』

「最高の励ましをどうもありがとう。」

『今日はこの後いい事しかないって!』

「名前ちゃんのそのポジティブな発想、嫌い
じゃないよ。」

本来の予定は海に行く予定だったが、その予定
は変更して、2人は近場のショッピングモール
内にある映画館へと向かい、名前が以前から
気になっていたという作品が見れたので、彼の
中では一応結果オーライ。

彼女に喜んで貰えるデートをする事が、黒尾の
本来の目的だった為か、映画の内容に満足する
名前を見ると彼も満足そうに隣を歩いて、先程
の映画の感想を2人で話した。

「やっぱり、外車はかっけえな。」

『スピード感がすごかったね!しかも窓から
窓に車がビュン!』

「いや、アレはさすがハリウッドだわ。」

『また続編出るよね、次も一緒に見たいね。』

「いっそフロリダ遊びに行くか。」

『何それ、楽しそう!』

話は楽しく膨らんでいき、多忙な日々が待って
いる2人には少し叶わない内容も入っていたり
もするのだが、今はそんな事は気にしない。

『クロとだったら、何処でも楽しいよ。』

ふふっと嬉しそうに笑う彼女の口癖は、昔から
の呼び名で何故かいつも呟いて、何度それを耳
にしても、恋人同士になっても慣れない嬉しい
その言葉に黒尾は思わず口元を押さえた。

「あー、その…どうも。」

『あ、今もしかして照れてる?』

「照れてない。」

『ふふっ、照れてるのか。』

「だから、照れてないっつーの。」

唯一、名前が彼を揶揄えるその時を彼女は今だ
と面白がって、何度指摘しても否定する黒尾の
腕をつんつんと指で触れる。

「…後でそれはお返しだな。」

今宵は立場逆転だと宣言の声を小さく漏らし、
その声は彼女には届いていない。

突然立ち止まる名前に合わせて、彼も同じ方向
に見上げてみると、よく知った顔の大きな広告
に「こんな所で」と表情を僅かに引き攣らせた後
で感動している彼女の目を手で覆った。

『わ!前が見えないから危ないってば。』

「よそ見禁止。」

『リエーフ達が飾られてるのが嬉しくなった
だけだよ。この写真のメイク、私もお手伝い
した時の広告だったから。』

「今日はオフだから仕事の話もナシね。」

それは名前も仕事で携わっていた広告だったの
だが、黒尾にそう言われてしまった彼女の目の
前には、彼の大きな手しか見えていない。

どうも今日は自分の予定通りになかなか沿って
くれないらしく、いつもなら笑って見れる後輩
の眩しい姿も今日だけはジェラシーを感じる。

地味にダメージを受ける小さな不運に黒尾は
一息吐いて、格好悪い部分を見せないように
彼女の手を繋いで歩き出した。

「ほらな、やっぱりこのパターン!」

残りの時間は家でのんびり過ごそうかと彼らが
話をしていたら、車に乗り込む頃には雨は少し
収まっていて、曇っていた空は明るさを取り戻
そうとしていた。

しばらく車を走らせれば、案の定家まで近づく
につれて天候は明るくなっていき、窓から見え
たその景色に助手席にいた名前は嬉しそうに声
を上げる。

『鉄朗見て見て、虹!…ってごめん、運転中
だと危ないか。』

「いや、見えたわ。突然晴れたからな。」

『綺麗にかかってる。今日じゃないと見れな
かったかもしれないね。』

「ぼんやり景色見ることも無えしな。」

名前の指す方に視線を向け、その視界にはそれ
を目にした事を嬉しそうに笑う名前の姿も目に
入る。

『やっぱり、この後の私達はラッキーな事しか
ないね!』

「そうかもしれないな。」

『鉄朗とこれを見た私は幸せ者だね。』

名前は誇らしげにそう言い切ると再びうっすら
と見える虹を見つめ、車から聞こえる音楽を
口ずさんで帰り道まで楽しむ。

また1つ、彼女の好きな部分を見つけた黒尾も
満足そうに視線を戻して、そんな事を言われて
しまったらこのまま帰るのが勿体無い気もする
彼は、家とは反対方向へとハンドルを切る。

『あれ、こっちじゃないの?』

「予定変更、もうちょっと楽しんでいこうぜ。」

このまま天候が戻ったとしてもきっと大丈夫
だろう。
そう考える彼は海岸方向へと舵を切り、目を
丸くさせる名前にニヤリと笑みを向けた。

「このままドライブに連れていきます。」

『このまま、車で連れて行かれます?』

「なんかその響き、誘拐みたいじゃねえか?」

『大変、攫われちゃった!』

黒尾の予定変更に胸を弾ませて、目を輝かせる
名前のその表情を何度見ても飽きないと思う彼
は目を細める。

「攫った責任は取るから、傍にいてくれよ?」

それは冗談に混ぜて吐いた、本気の言葉。
彼の願いは届いているのか、その言葉にこくり
と頷く彼女は『もちろん』と彼に返していた。



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