キミと誓う/岩泉【if】
何も言わずとも寄り添ってくれる、恋人の腕の
中の居心地の良さが名前は好きだった。
2人だけの時間、言葉は交わさずとも岩泉は
近寄ってくる名前のに察して、昔と変わらぬ
仏頂面で「ん。」とスペースを空ける。
『すごい、ハジメには何でもお見通しだ!』
「お前が分かり易すぎなだけだろ。」
『えー。』
「顔にバッチリ書いてんぞ?」
そう答える岩泉は名前の額を指で弾き、彼女
は楽しそうに笑って、彼に身を寄せる。
彼の温もりに落ちついて、名前はゆっくりと瞼
を伏せ、彼女の至福の時間だった。
彼にその夢を告げられたのは2年前。
高校時代から彼の部屋の本を目にしていて、
名前はその夢を追いかけているのを分かって
いた。
岩泉の渡米を応援し、彼のその努力をしっかり
と見守り、彼が憧れていた人物の元で学べる事
を彼女も自分の事のように喜んでいた。
名前も就職先が決まって大学を卒業し、自分
よりも先に旅立つ予定が決まった岩泉を見送る
その日。
いつもより早く目が覚めてゆっくりと瞼を開け
れば、まだ自分の隣には静かに恋人が眠って
いるのを確認して、彼女は再び目を伏せた。
良かった、まだ隣にいる。
思い出は沢山作って、後悔は残らないようにと
決めていたはずなのに、外から聞こえる雨音は
自然と名前の気分を切なくさせる。
頭ではこんな日がいつか訪れると分かっていて
も、気持ちはなかなか追いつけずにいて、彼と
いる時間はあまりにも長すぎりせいか、これ
から昼夜すら違う場で互いが暮らす事が上手く
イメージ出来ずにいた。
『離れることに怖さを感じるのは、きっとまだ
この先を知らないからだよね?』
言葉に出来ない不安を少しでも紛らわせたくて
冷静に自分の気持ちを分析しながら、眠る岩泉
の頬に名前はそっと触れようとする。
すると、眠っているはずの彼はもぞもぞと動き
始め、その大きな腕はまた名前の体をぎゅっと
包み込んだ。
「余計な事は、考えるな。」
何度、彼のその言葉に不安が和らいだだろう。
そう言った岩泉は名前の頭を自分の胸元に押し
付け、今、ちゃんと自分が傍にいる事を彼女に
伝えた。
長年の勘から、本能から、幼馴染みを恋人を
大切に想っていた彼は、寂しい気持ちにさせる
事を詫びながら、それでも自分の背中を押して
くれた彼女に感謝する。
『ごめん、絶対に会えない訳じゃないのに
情けないよね。私、いつからこんなに欲張りに
なっちゃったのかな?』
「求められるのは、嫌じゃねえよ。」
『でも、ハジメを困らせたくない。』
「別に困ってねえ。」
『でも…』
「名前。」
名前の言葉に否定をする彼もまた彼女を求め、
じんわりと涙を浮かべる彼女に唇を重ねた。
彼もまた自分の不安を取り除きたくて、名前を
呼ぶ彼女の声で寂しさを埋めて、何度も何度も
彼も彼女の名を呼び、口付けをする。
今度は名前の方が岩泉を包み込み、その温もり
に安らぐように岩泉も目を伏せた。
「ああ、クソ…嫌な天気だな。」
夢に向かい、名前が旅立つ幼馴染みを見送るの
はこれで2度目だった。
あの時は晴れていたなと岩泉は窓から見える
雨粒をぼんやりと眺め、ふと過去を振り返る。
「離れる俺の分も、名前を幸せにしてよね!」
岩泉と名前の思いが通じあった時、同じく彼女
を想っていた彼の相棒は悔しそうな顔は見せず
霧が晴れたように笑い、2人の幸せを願った。
「少しでも悲しませたら、俺がいつでも貰って
やる。」
そして及川に渡米を告げたその日、冗談混ざり
で言うその男の目は、本気だった。
タクシーで移動すれば、何故か及川徹のその時
の表情が岩泉の頭の中に浮かんでしまい、より
にもよってアイツかよと彼は一人、車内で悪態
を付く。
もちろん、彼のその様子を名前は見逃さず、
調子悪い?と岩泉の体調を気にしていた。
「いや、どうでもいい事を思い出した。」
『今からそんなため息吐いたら、幸せが逃げ
ちゃうよ?』
気持ちを切り替えて身を引き締めた名前は、
眉間に皺を寄せる岩泉を心配するとそう声を
掛け、どの口がと岩泉が指で彼女の額を弾け
ば、楽しそうに笑う。
「やっぱり、譲れねーわ。」
名前の笑顔を見ていると彼はそう確信をして、
及川のあの時の言葉に言い返すようにそう呟く
と、彼女の掌に自分の掌を置く。
ぎゅっと彼女の方から握り締めて、決してその
手を離してなるものかと彼は心に誓った。
『ハジメ、忘れ物無いよね?』
「…おう。」
名前のその表情と言葉は、及川を見送ったあの
時と全く同じで、それを不服に思う岩泉の返事
は、ついぶっきらぼうになってしまった。
しかし、そんな岩泉の態度もいつも通りだと
彼女は安心して笑って、もう今朝の不安そうな
表情を彼に見せることは無かった。
『ハジメにいっぱい大切にしてもらったから、
もう大丈夫だよ!』
心配をかけまいと、岩泉に向けた満面の笑顔。
恋人の不安に敏感なのは彼女もまた同じで、
そっと腕に触れた感覚は、岩泉の緊張を落ち
付かせていた。
「…するぞ。」
『ん、今何て言った?』
俯いてボソッと呟く彼を名前は不思議そうに
見上げ、突然ガッシリと両肩を掴む彼に驚いて
彼女は目を丸くさせる。
「帰った時は、結婚するぞ!」
真っ直ぐな瞳でそうはっきりと彼女に告げた彼
はハッと我に返ったのか、顔を真っ赤にさせ、
しまったと勢いで言い切った事に動揺が隠せ
ないのか、背中に冷や汗が流れた。
しまった、指輪も何も準備して無い癖に。
そして、それは何年か彼女を待たせてしまう
為、まだ先の話だというのに。
一生に一度のその言葉をまさかのあの男と同じ
場で彼女に伝えてしまったのかと、その行動に
自分でも驚き、彼の動きや喋り方ははぎこち
なくなる。
「すまん、こんな大事な話。こんな場所は嫌
だったか?」
そして何よりも相手の反応が気になったのか、
しばらく何も返事がない彼女の顔色を伺えば、
パチパチとゆっくり瞬きしたその大きな瞳から
は大粒の涙が溢れ出て、岩泉のその言葉を彼女
は必死に否定をした。
『違う…、いくらでも待つから。』
震える声の彼女の顔はくしゃりと感極まって
歪み、彼もそれに愛しさが込み上がったのか、名前を思い切り抱き締め、「ありがとう」と
言葉を繰り返した。
『ずっとずっと、応援してるから。』
「おう。」
『会えないのがしんどくなったら、ちゃんと
ハジメの顔見に行くから。』
「ああ、待ってる。」
『ハジメが大好きだから、やっぱり寂しい。』
岩泉のシャツを握り締め、最後に吐いた名前の
本心に岩泉は目を細め、「それでいい」と肯定を
する彼も同じだと答えた。
「絶対に我慢すんな、辛くなる事があったら
遠慮せずに言え。」
『うん。』
「俺も会いたくなったら連絡するから。」
『わかった。』
「ちゃんと選ぶから、楽しみにしとけ。」
そっと彼に撫でられた左手の薬指に熱を感じ、
しっかりと頷いて名前が顔を上げると、岩泉
はそれに満足をして「行ってきます」と笑顔を
見せた。
『行ってらっしゃい。』
名前もそう言うと彼の背中を押して見届け、
しとしとと降っていた雨は、幸運な事にも岩泉
の出発を祝うように止み、日差しも見え始め、
気持ち良く彼を送る事が出来た。
恋人の無事を祈って、彼女は彼が触れた薬指を
ぎゅっと握り締め、空を見上げる。
『ハジメらしい出発だね。』
そのメッセージが届いたのは、名前が眠りに
付いた頃。
「俺らしい、出発だったな。」
目覚めた時の彼らしい言葉に、名前は思わず
吹き出し、彼にいつもと変わらぬ返信を送り
返した。
『さすがは、エース。』
その返事を見た時の恋人のリアクションを頭に
浮かべながら彼女も新生活に向けて、身支度を
整え始める。
彼に負けてなるものかと、自信に充ちた姿で、
彼女は玄関の扉を勢い良く開けた。