その男、帰国
貴重な連休にこの男を目にしてしまったのは、
以前、その人物が頭の中に浮かんできてしまった
せいだろう。
目の前で満面の笑みでひらひらと手を振るその男
は突然自分の前に現れて、美月は彼の事を考えて
しまった自分を少し責める。
「やっほー、牧野ちゃん久しぶり。キャンバス
ライフ、楽しんでるー?」
『あ、その…人違いです』
相変わらずの飄々とした態度に冷静に言葉を返す
美月はそのまま立ち去ろうとしたが、運動能力の
高い彼に簡単に捕まってしまい、あからさまに
嫌そうな顔を向けると、男は嘆いた。
「そんな顔するのは絶対に牧野ちゃんだって!
及川さんと牧野ちゃんの仲なのに酷いー!」
『いや、高校時代に強引に連絡先交換してきた
のはそっちでしょ!?しかもクラスだって違った
のに!ここは連絡するとしたら岩泉君とか花巻
とかじゃないの!?』
「せっかく帰国したのに二人とも既読スルーして
一向に返事が来ないんだってば!」
『え…、なんかごめん』
「その哀れみの目ヤメテ。余計に傷付く」
高校時代はもう少し落ち着いて見えたはずなのに
今は必死に美月の腕にしがみつく男、及川徹は
海外の大学に留学中で、久しぶりの帰国だった。
せっかくなので東京在住の友人に連絡を入れたが
どうやらこの男はいきなりの帰国らしく、遠慮の
無い彼はそのまま泊まり込むと考えたのか、岩泉
も花巻も彼に来られたら面倒なのか、彼のメール
は完全無視。
確実にあえてのスルーだと美月も察した。
『とりあえずウチに来る…?』
「いいの!?」
『いいも何も…、困ってるからわざわざ私に
連絡してきたんでしょ?』
「牧野ちゃん、優しい!もちろん、岩ちゃん達
から連絡が来たらすぐ帰るからね」
少し彼を哀れに思う美月がそう切り出すと、
今までのは演技では?と疑うほどに表情が晴れ、 彼女はため息を吐いた。
『とりあえず泊まるにしても来るだけにしても
聞かないといけないから、ちょっと待って』
「ん…?聞くって誰に?」
とりあえず黒尾に連絡を入れるとしばらくして
返事が届き、及川をシェアハウスに招く許可を
得る。
一人暮らしでは無くシェアハウスに住んでいると
美月がここ最近の事情を聞いた及川は意外だと
目を丸くさせ、そのメンバーに出会うと彼は更に
驚きの声を上げた。
「牧野ちゃん!女の子一人こんな所に住むなんて
及川さんちょっと心配」
「一人暮らしの女性の家に行こうとしていた人に
言われたくありません」
「ツッキー、正論」
「あ、確かに言われてみるとツムツムっぽい!」
「眼鏡君は初対面の人達の印象下げないでよ。
一応手土産だって持ってきてるんだからさ!
ところでツムツムって誰?」
『海外のお菓子は紅茶の方がいいよね?』
「美月さん、手伝います」
それぞれ用事があったルームメイト達も美月が
家に戻る頃には揃っていて、及川を見た反応も
温かく歓迎する人もいれば昔の彼を知っていて
眉間に皺を寄せる人もいてと反応はそれぞれ。
「へえ、向こうでもバレーしてるんだ」
「牧野ちゃん以外の人達は皆バレー経験者
なんだね。こっちもビックリ!」
同い年組は共通の話題があったからか、一時間も
経たずと会話は盛り上がり、及川はすっかりその
場に馴染んで夕飯も一緒に食べようと誘われて
いた。
「オイカー君どっかで会ったりしてない?」
「クロちゃんこそ、絶対会った事あるでしょ」
「盛り上がってますね」
『皆様のご迷惑になってないなら良かった』
「及川さん、身内になると話しやすい人なん
ですね」
『うん、輪の中に溶け込むのが上手いよね』
苦手意識が強かった月島がそこだけは褒めたく
なると言うと美月は笑って、高校時代の
彼とのやり取りを少しだけ思い出す。
及川とは同じ部活にもクラスにもならなかった
はずなのに、何故か自分に話しかけようとする
不思議な人物。
及川にその理由を聞けば、色々な反応が面白い
からと言われ、気がつけば卒業後も連絡を取る
仲だった。
「なになに、俺の事褒めてくれてた?」
『及川君は色々なスキルは高いはずなのに、
何故かちょっと残念なんだよって』
「それって褒められた気がしないんだけど!
…ちょっと、メガネ君は笑い過ぎ!」
「美月さん、容赦ないから…」
自然と美月の視線は及川へ向いていると、目が
合う及川にウインクされ、しばらく間を明けた
彼女の返事が不服だった彼は口を尖らせる。
『もう、ごめんってば。よし、今日は私が突然
人を呼んじゃったし、木兎君と夕飯係は交代って
事で買い物行こうかな?』
「え、マジ!?サンキュー美月!」
『及川君、リクエストある?』
「嘘、牧野ちゃんがご飯作ってくれるの!?」
先程まで不貞腐れていた顔は直ぐにキラキラと目を輝かせて、少し幼さを見せる所は今も変わら
ない部分を可笑しく思う美月はクスッと笑う。
「和食なら何でもアリ!」
「出来れば魚、安ければ秋刀魚」
「それ、黒尾さんの好物じゃないですか」
「そこにデザートは付きますか?」
「ツッキーは飯も食いなさいよ?」
そこに黒尾や月島も乗っかって、ご馳走になる
ならと及川も買い出しに付き合おうとすると、
彼女に当番を変わって貰った木兎も買い出しに
参加すると言い出した。
「及川ともっと話してえし、今日は飲むぞ〜!」
「木兎、ずっと暇だっつって家で転がってたから
活き活きしてるな」
「そうだよ!やること無くて暇だったから俺も
人を…やべ、言い忘れてた」
『ん?木兎君もお客さん呼んでたの?』
「俺達も初耳ですね」
「大丈夫、みんなよく知ってるヤツだから。
とは言っても、言い忘れてたのはマジごめん!」
木兎の言い方で招いた客が誰なのかが大体分かる
と美月と赤葦が心の中で思っていると、
タイミング良く玄関のチャイムは鳴り、美月が
扉を開けると満面の笑顔で手を振る金髪の男が
待っていた。
「ツムツムいらっしゃい」
「お邪魔します」
「美月ちゃーん!侑君が会いに来たで」
『ふふっ、宮君いらっしゃい』
「美月ちゃんの笑顔見たら元気でたわ」
『私も宮君のその笑顔は好きだな』
「美月ちゃんに褒め返された!」
木兎と一緒に美月が出迎えると、以前の
営業スマイルとは全く違って本心から笑う侑は、 はにかむ彼女にさらっと褒め言葉を返されると
何故か「負けた!」悔しそうし、悔しがる理由が
分からない彼女は不思議だと首を傾げる。
「美月ちゃんにはやっぱり適わへんのかな」
『宮君は何と闘ってるの?相変わらず宮君は
面白いね』
「美月ちゃんだけやで?そう言ってくれるの」
面白いと言われるのが彼にとっては一番の褒め
言葉で、更に上機嫌になる侑はリビングへと案内
され、美月は自分の客人がいることを伝え忘れて
ハッとする。
『宮君、そういえば私の知り合いも来てて…』
そう告げる前に侑の視線の先には及川がいて、
及川も美月達の会話が聞こえて挨拶をしようと
笑顔を向けようとすれば、自然とその表情は引き
攣る。
「ん?美月ちゃん…この人誰?」
「牧野ちゃん、この子って確かぼっくんの
知り合いなんだよね?」
和気藹々とする空間の予定が、何故かその場では
互いに火花が散る視線がぶつかって、想定外だと
戸惑う美月と彼らの様子を黒尾一人だけが
面白がる。
「木兎さん、僕と赤葦さんで買い出し代わりに
行きます」
「ちょっ、二人とも逃げようとしないで!?」
その空気を読み取ってその場から去ろうとした
月島と赤葦は木兎にシャツを掴まれ、 美月は
犬猿の仲を初めて見たと冷静に観察しながらも
動じずにそのまま及川と侑の二人を買い出しへと
連れていった。