青春ライスII
これは、とあるマネージャーの懐かしい思い出話。
『あ、また負けちゃいましたね!』
「これは、勝負とちゃうやろ。」
いつもの様に雑巾片手に足早で倉庫へ掛け付け
れば、先にその場には既に座り込んでいる北が
いて、少しだけ悔しそうな顔を見せる名前を見て、
彼はクスリと笑っていた。
『せやけど、もう既に北さんの方が磨いとるから、
北さんの方が磨いたボールが多いやないですか。』
「数も気にせんでええって。」
『マネージャーとしては、主将にお仕事多く
されてしまうんは、ちょっぴり複雑です。』
「そうなんか?名前の仕事奪って悪い事したな。」
せめて同じ数をと、しょんぼりした顔を向ける
名前もすぐに北の向かいペタンと座り込んで、
黙々とボールを磨き初める。
嫌々ではなく、ボールに時折労いの言葉を掛け
ながら磨く彼女の姿は、彼の好きな部分でもあり、
北はわざとボールを残して、彼女の言う通り、
仕事を奪わない様に手を止めた。
「これで、フェアやな。」
『北さんのそういう所、好きです。』
「何やそれ。」
ふふっと笑顔を見せる北を見て、名前も微笑む。
微笑み会う2人の姿は見ていて微笑ましく、倉庫
には、静かに何人か群がっており、その2人の姿
をじっとり羨む人物は3人、呆れて見る人間が2人。
「俺も名前に、侑さん好きって言われたい!」
「名前のボールさんってさん付けするトコ、
可愛ええよな。チュウしてええかな。」
「おい双子、欲望ダダ漏れやで。」
「ほんなら、一緒にボール磨いたらええやん。
ほんま、気持ちええくらい雑用も楽しそうに
する子やな。」
「名前くらいだよね、ああやって北さんの笑顔
見せる子は。」
こそこそと会話をする中、それはもう間もなく
「何を見とんねん。」北には見つかってしまう。
侑、治、角名の疚しい気持ちもお見通しで、彼ら
と一緒にいた銀島、尾白もその場にいて、見事
にとばっちりを食らってしまう。
そして、赤木が「あっち行ってような〜」と彼女
を避難させる所までが、練習終わりのいつもの
一連の流れとなっていた。
柔らかい笑顔を向ける名前の表情が少しだけ
強ばる、その日は遂にやってきた。
東京体育館という名の大きな会場へと到着すれば、
自分達は有名な強豪校であり、密着されているから
とカメラも何度も目にしたが、それはやはり彼女
は慣れず、不意に隣にいた角名の服を掴んでいた。
「名前、皺になっちゃうよ。」
『すみません、無意識でした。』
「何や、緊張しとるん?」
『カメラに映るんは、どうも苦手で。』
困った顔で笑う名前が謝って、角名の服の皺を
気にすれば、治の質問には首を縦に振るので、
角名は大丈夫だから気にしないでと言いながら、
カメラから彼女が隠れる様に壁になってくれて
いた。
「名前の手、めっちゃ冷たいな!」
そして、治もそんな彼女の様子が気になって
彼女を隠し、反対側から彼女の手を握り締める
と、その温度に驚きの声を上げる。
『治さん、それはあかん!!治さんが冷えるし
何よりファンが見てますよ!!?』
もちろん、周りの視線を気にした名前は慌てて
治の手から逃れようとするが、彼は「嫌や。」と
その逃げ道を阻止する。
「名前の手を握っとったら、俺が安心すんねん。」
そして満足そうに笑う治に上手く言いくるめられ、
角名は何か言いたそうにしながら、じっとりと
治に視線を向ける。
名前もそう言われてしまうと何も言い返せず
にいて、そのまましばらく治にされるがままに
なっていたら、それに気がついた侑が今度は
怒った様子で邪魔をした。
「お前ばっかし、ずるいやろ!?」
「あ?この前お前かて繋いどったやん!
たまにはこっちに譲れや。」
『周りに誤解されたらあかんから、お二人共
お静かにお願いします。 』
会場でも賑やかに喧嘩を始める2人に名前は半泣き
で注意をして、その後は侑達のファンに呼ばれて
冷や汗を流せばお咎めはなく、荷物を言付けられ
ているうちに彼女は迷子になってしまう。
「なんか、大変そうだったね。」
それは初対面の黒尾にも同情されて、慣れない
場所での慣れない体験から、ついポトリと涙も
流れそうになり、慌てる様子の黒尾の後ろから
顔見知りの赤葦の姿が見えて、思わず顔が緩ん
でしまっていた。
「苗字さんに何かしたんですか?」
「誤解だ、誤解!突然迷子で涙見たんだってば。」
「名前ちゃん、この人危ないからあっち行こうね。」
『すみません、私突然…。』
「小狐ちゃん、誤解が生まれるからヤメテ!」
それ以降、稲荷崎の仲間達の名前に対する
ガードはより一層固くなっていた。
物販で自分の記念に何も買わなかった事を後悔
していると、さりげなく、彼女が喜びそうな柄
を角名が代わりに買っていてくれたのだが。
『わざわざ、すみません、すみません!』
「名前が変な奴に絡まれるよりはマシだし。」
『せっかく先輩が買ってくれとるし、大切に
使わせてもらいますね。』
一日目を終えた夜に、角名は名前にそれを渡し、
彼にお金を払ってそのTシャツを目にしたら、
目をキラキラと輝かせ、彼女はそのまま嬉しそう
にTシャツを抱きしめたので、与えたその人物は
何故かその場で石になり固まる。
「おい、角名!息せえ!!!」
「名前、試合前夜に止め刺したらあかん!」
「湯上りの名前と目を合わせたんは奇跡やけどな。」
その異変に気が付いたのは尾白と大耳で、角名
の名前を呼んで意識を取り戻させ、尾白は慌てて、名前に注意を始める。
しょんぼりと落ち込む彼女を見て、大耳はいたた
まれなくなったのか、お前は本当は悪くないけど
とさりげなく、彼女にフォローを入れたのだった。
そこから一夜明け、自分達のファンにも声をかけ
させまいと彼等は意識して、試合前のピリピリ感
にも取れるその彼らの空気から上手く誤魔化せて
いて、その間、侑は丁寧に 名前をしっかりと注意
していた。
「な、名前。東京の男はアブナイ生き物やねん。
名前みたいに可愛いと、いつ攫われてしまうか、
分からんからな。」
『でも、赤葦さん達は優しかったです。
インターハイの時も、今回もお世話になって
しもうたし、井闥山の佐久早さんも怖い人かと
思うたら、優しい人でした。』
「待って、待って、いつの間に会うたん?」
『さっき、困ってたみたいやから除菌ティッシュ
おすそ分けして。』
「あー、もう突っ込みが追いつかん。」
頭を抱える侑を心配して、名前が不安そうな顔
で侑の体調を伺えば、彼は誰のせいやねん!と
彼女の両頬をびよんと伸ばす。
「侑、嫁入り前の娘に傷入れるような事すな。」
「はい、すんません!」
その行為は見事北に止められて、彼はそそくさ
と試合前のアップを始める。
「人に優しいんも程々にな。」
北はポンと彼女の頭を優しく叩き、それだけを
彼女に言い残すと、自分も続きを再開する。
『侑さん、そろそろお時間が。』
そして、途中で侑が同じ会場でアップをしていた
烏野の影山に挨拶に言っている際、時間になった
からと侑を呼びに来た名前が影山にお世話になり
ますと挨拶をする姿を見て、彼は再び嘆き声を
上げるのだった。
「名前、いまさっき言うたやん!」
『烏野は宮城の人やから、大丈夫ですよね!』
「…いや、ちゃうねん。そういう意味やないねんて。」
「俺は、宮さんの方が怖いっす。」
「飛雄君は黙っとって。」
『ほら、トビオさんもそう言うてますし。』
「名前、トビオさんは苗字とちゃうからな?」
一礼をしてその場から去った影山が、彼女を目で
追っていたことに何となく気がついて、彼は悩み
の種がまた1つ増えた事に、ため息を吐く。
しかし、名前はそんな事にはお構い無しで、
これから楽しみですね!と侑に呑気に笑顔を
向けて、彼はまたツンと彼女の頬を突っつくの
だった。
緩んだ空気はここから先は一変し、その響き渡る
応援の音を耳にしたら、気持ちは引き締まり、
周りが自分の先輩達へ送るその声援を耳にしたら、
それは一気に誇らしい気持ちへと変わる。
ここに立たせてもらっているのは貴重なことだ。
自分の出来る限りの事を発揮させて貰う。
いざ試合となると、自分が想像よりも落ち着いて
いることに気がついて、ぱちりとそこで北と目が
合うと、彼はせやろな。と一言彼女の様子は想像
通りなのか、優しく目を細めていた。
「名前のそういう普段とリズムが変わらん所、
俺は好きやで。」
彼の言葉に自信を持って、皆にいつもの笑顔を
向ける。
『先輩達、よろしくお願いします。』
それぞれがその言葉に返事をする様に、彼女の頭
をポンと叩き、コートに向かって歩き出す。
その大きな背中を改めてかっこいいと思う彼女は、
ボールカゴを押しながら、一緒にコートに向かい
歩き出した。
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