桜の君
「え?みょうじさん就職なの?」
「うん」
クラスメイトの女子達の会話が耳に入る。
みょうじさん。3年間同じクラスではあったものの特別仲が良いという訳でもなく会話も委員などで最低限交わした程度。けれど図書室で楽しそうに本を選ぶ姿や静かにシャーペンを走らせる横顔がやけに印象に残り、いつの間にか目が追いかけていた様で親友に揶揄われた事がある。
「気になるのか?」
「えっ、いや、別にそんなんじゃ」
「ふぅん?僕は気になるなぁ」
「え?!」
「彼女、いつも10位以内には入ってる。友人がいない訳じゃないだろうが校内で見かける時は基本的に1人だし部活動も免除されているようだ」
「あぁ、そっちか…」
「どっちだと思ったんだ?」
「〜!揶揄うなよゼロ!」
「ははっ、悪い」
この学校では部活動が必須だが本人の体調や家庭の事情等により免除される事もある。体育の授業は問題ない様に見えたし保健室の利用も見た事がない。となると理由は後者だろう。そうであればただのクラスメイトであるオレが詮索するのは憚られる。気にならないと言えば嘘になるが先程の会話から彼女は就職するらしいし、卒業すればもう会う事はないのだろうか。
そう思いながらも高校最後の年はあっという間に過ぎ去りオレとゼロも無事志望大学に合格。遂に卒業式を終え皆一斉に校門へと向かう。
「ヒロ、卒業おめでとう」
「ゼロもね!大学でもよろしくね」
「あぁ。…ところで、声掛けなくていいのか?」
「うん?」
「みょうじさん」
「?!」
「連絡先くらい交換したらどうだ?」
「いやっ、オレは別にそんな、」
「あ。みょうじさん」
「えっ?!」
「降谷くん…と諸伏くん」
皆、校門近くの陽が差す桜の木の下で写真を撮り合ったり級友達との別れに盛り上がっていたが、オレ達は少し離れた場所で木陰にはなるものの負けず劣らずの桜の木の下にいて、たまたま通りかかったのだろう彼女をゼロが呼び止める。
「みょうじさん、卒業おめでとう」
「降谷くんも諸伏くんもおめでとう。2人は本当に仲が良いね」
「まぁ幼馴染だからな」
「そうなんだ。いいなぁ幼馴染って」
「みょうじさんにはそういう友人はいないのか?」
「うーん、引っ越しばかりだったからあんまり」
「そうか…あぁ、そう言えばヒロが君に話があるみたいなんだ」
「?!」
「諸伏くん、話って…?」
「オレは先に行ってるから聞いてやってくれないか?」
「うん」
「じゃあしっかりな、ヒロ」
「ゼロ?!ちょ、」
ちょっと待って、と言い切る前にゼロは去ってしまい、残されたのはじっとこちらを見つめる彼女と見つめられているオレの2人だけ。
「諸伏くん?」
「あ、みょうじさん、引き留めてごめんね…」
「ううん大丈夫」
「あ、その…卒業、おめでとう…!」
「ふふ、ありがとう。諸伏くんも、卒業おめでとう」
「あ、ありがとう…」
「諸伏くん、警察官を目指してる、って本当?」
「えっ、うん、そうだけど何で」
「ごめんね、前に降谷くんと話してるの聞いちゃって」
「あぁ…、みょうじさんは、就職だっけ?ごめん、オレも前に教室で聞いちゃって」
「うん、そうだよ。ついていけるかわからないけど…出来るだけ頑張ろうと思ってる」
お互い盗み聞きだね、なんて小さく笑いながら言う彼女に爽風と共に薄紅色の花弁が舞い踊る。
まるで映画のワンシーンみたいだ…と思い、つい口からこぼれ落ちる。
「綺麗だ…」
「え…?」
「…あ!いや、桜が!……ううん、みょうじさんが、すごく、綺麗だと思って…」
「…ありがとう。諸伏くんも、とっても綺麗…桜が、良く似合う」
「?!」
そっと近付いてきたかと思うと、ついてる、と頭に乗っていたのか花弁を手に取りこの木陰にはない筈の陽光の様に晴れやかで綻んだ彼女は言う。
「諸伏くんならなれるよ、素敵な警察官に」
「…そ、うかな」
「うん。きっと。楽しみにしてるね、未来のお巡りさん?」
「なれる様に、頑張るよ…!」
「うん。…いつかまた、会えるといいね」
「うん…あのっ、」
「ごめん、私そろそろ帰らなきゃ…。あ、ごめん、話って…?」
「…ううん。少し、話したかっただけだから…引き留めてごめんね?気を付けて帰ってね」
「うん、ありがとう。諸伏くんも」
「じゃあ…」
「うん…またね」
鳴り響くバイブレーションを確認し申し訳なさそうな顔でこちらを見る。長さからして電話の着信だったのだろう、耳にスマホを当てながら小走りで去る彼女の後ろ姿が視界から外れるまで見つめる。
折角ゼロがお膳立てしてくれたのに結局連絡先は聞けずじまい。掌には彼女が取ってくれた花弁。折角だから栞にでもしようかな、なんてそれを見つめていると怪訝な顔をしたゼロが戻ってきた。
「ゼロ。ごめん、待っててくれたんだ?帰ろうか」
「みょうじさんの連絡先は?」
「……聞けなかった…」
「はぁ?!」
「折角ゼロが呼び止めてくれたのに…ごめんね…」
「僕は構わないが…いいのか…?」
「うん…。それに、また会える気がするんだ、何となくだけどね」
「ヒロがそれでいいなら…」
「ありがとう、ゼロ」
*
あれから4年。無事に大学を卒業し警察学校へ入校。そこで出会った仲間達と共に短い様な長い様な濃密な時間を過ごし卒業後はすぐに配属先へと移動する。この所轄への配属はオレ1人。最初の挨拶は何度も練習した。
「諸伏景光巡査です!本日警察学校を卒業し、こちらの警察署に配属となりました!」
厳しく、でも温かな眼差しで迎え入れられる。幹部による教養を受けた後、遂に交番勤務が始まり署長に指導員の巡査長を紹介される。
「みょうじ巡査長です…よろしくね、諸伏巡査」
「?!」
「どうした、諸伏」
「署長。彼、私の高校の同級生なんですよ」
「そうなのか?なら丁度良い。仲良くやってくれよ」
「はい」
「みょうじさん…?いや、みょうじ巡査長、か」
「呼びやすい方でいいよ。私も諸伏くん…のままで、いいかな?」
「あぁ、もちろん。けどびっくりしたよ…まさか君も警察官だったなんて…」
「諸伏くんならきっとなれるって思ってた…まさか私の所に配属になるとは思わなかったけどね」
「どうして警察官に…?」
「大した理由じゃないよ…公務員だから、かな」
高卒でも学べる上お給料ももらえるし、と彼女は笑う。給料、いや公務員が目的であれば彼女なら他の公務員職にも就けた筈だ。顔に出ていたのだろうか、彼女が恥ずかしそうにそっと耳打ちする。
「制服が格好良いから…内緒だよ?」
「え…?」
「諸伏くんも格好良いね…やっぱり、桜がよく似合う」
「…!」
あの日と同じ陽光の眩さで笑う彼女に、お守りに…と胸ポケットに忍ばせていた栞の中の薄紅色の花弁がぶわりと音を立てて舞い上がった様な気がした。
end.