風邪

やっと寝た。多少強引だったのは否めないがこうでもしないとこの人は寝ないだろう。

上司ではあるが密かに恋焦がれている人。

下の名前で呼んでも顔色ひとつ変えないままで、否定もされないのでそのまま呼び続けているが、一向に部下の枠から外れない。そんな彼女は内偵はなくと身を粉にして働いており、部内では舐められまいと強めの語尾で話す姿勢はこんな時でも変わらないがそんな所も魅力的だと思う。でも俺は彼女が警察庁の公安という重圧に耐え寝食を犠牲にし俺を含む部下達をとても大切に思っているのを知っている。他の部下や警視庁の公安部達は鬼大尉…などと恐れているが、半分正解、半分不正解だ。

確かに彼女は役職上、正に大尉の様な位置付けではあるが鬼ではない。勿論彼女の言葉遣いも相まっての事だとは思うが鬼だなんてとんでもない。むしろ女神か何かじゃないかと思う。部下の体調面や精神面を気に掛け、プライベートな用事でも余程の事がない限りには連休を付与する。余程、の時には彼女自身が全力でバックアップし事なきを得ている。

いつからだろう、そんな彼女に惹かれたのは。

きっとあの日。安室のままこっそりと旧友の墓参りを終え登庁しようとした時。

「オニーサン、良かったらこのココア飲んでかない?」
「は…?」
「顔、青白いし何か温かいものでも飲んだ方がいいんじゃない?」
「…僕の顔を見て青白いなんて言う人、初めてですよ」
「そう?まぁ間違えてコレ買っちゃってさ。良かったらもらってくれない?」
「…いただきます」
「ありがと」
「温かい…角で買ったばかりですね?あの自販機は珈琲とココアは一番上段と下段に分かれている。あなたが買い間違える筈がありません」
「人間だから間違う事もあるよ」
「あなたに限ってそれはあり得ないでしょう」
「本当に?」
「え…?」
「…絶対に、間違えない…?本当に…?」

笑いながらも目線を合わせなかった先程とは違い、スッと真剣な眼差しで問い掛けてくる。

「…っ、」
「間違えるよ、私は。いつも間違ってばかりだ。でも後悔したくないから全力で最善を見出して進む。進むしかないんだよ、降谷」

彼女は俺の事情をある程度は知っていたとしても詳細までは知らない筈だ。なのに何故かこの時の彼女の言葉が重く、深く、突き刺さった。
沈黙に耐え切れずふと見た彼女の横顔は鬼なんて形容詞とは真逆の菩薩の様な、聖母の様な、そしてその奥に悲しさを閉じ込めた笑顔で、とても美しく、啜ったココアがやけに甘く感じた。

それ以来何故か上司の1人、以上に気に掛かり、今に至る。

やっと寝たか。寝返りを打ち、こちら側を向いた事により鼻に掛かった髪をそっとずらすと肩を掴まれる。

「んぅ…」
「…ッ!」

同意もない、何より相手は病人だ。心を無にして掴まれた肩は外さない様にそのまま彼女を抱き締めて眠る。

翌朝、ベッドから蹴落とされるという手荒なモーニングコールを受けるが、彼女の寝顔を抱き締められたのでプラマイゼロだろう。病み上がりの彼女には珈琲ではなく甘いココアを淹れよう。

ああ、寝癖の彼女も美しい。



end.

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