いやごめんて

結果から単刀直入に言わせてもらおう。第一理科室や第二理科室と同じように黒いガラス玉が見つかるかと思いきや、そういったものは見つからなかった。それどころかアイテムと言って良いようなものは何一つとして見つからなかった。人体模型や骨格標本も気味の悪さを感じながらも調べたが何も異変はなく、完全に手詰まりの状態になってしまったわけである。

「お花ー、どうすんの?」
「…チッ。一度体育館に戻るか」
「今度はアノコがいなきゃいけないとかそういうことなのかな」

準備室の真ん中に置かれた机に腰をかけた原がつまらなさそうに口を開く。苛立たし気に舌打ちをした花宮の隣で瀬戸が考えるようなそぶりを見せる。がらりと乱暴に扉を開けた花宮を見て他のメンバーも同じように扉に足を向ける。そして、それに私も続こうとした時だった。かたり、と微かに何かが動くような音がした気がして振り返る。何となく、本当に何となくだが、人体模型の位置が変わっているような気がしてじっと、人体模型を見つめる。

「葉月?」
「いや、何でもない」

付いてこない私に気が付いたザキが振り返って私に声をかける。人体模型を横目で見ながら返事をして、準備室を出ようとしたその瞬間だった。ぞわり、と背中に冷たいものが流れて背後に誰かがいる、とそう思った。振り向けない。体が、動かない。恐怖からなのか、この状況を作り上げた犯人によるものなのかはわからないが体が、指先がぴくりとも動かない。

「っ、ぐ…っ!」
「葉月!」
「ん、だよ!これ!」
「ふっざけんな!なんで男五人がかりで動かねえんだよ!」
「ぐ、か…はっ、!」

たった一瞬の出来事のはずなのに、気が付いた時には、仰向けに横たわった私の上に馬乗りになるようにして人体模型がいた。そして、その手は私の首に回っていてギリギリと締め付けてくる。音に気が付いた皆が人体模型を私から引き離そうとするけれど動く気配のない人体模型に原とザキが焦ったような声を上げる。私自身も首にかかる手を外そうと必死にもがくがその行動もまた何の意味もなさない。

ああ、これやばいかもなあ…なんて酸素の足りない頭でぼんやり考える。首に回る手にかけている自分の指先が震えて、目の前がチカチカし始める。苦しさからか、目に生理的な涙が滲んですうっと頬を伝う。人間と言うのは本当に死にそうなときほど冷静になるものなのだろうか。徐々に意識が薄れていくような、水の中にどんどん沈んでいくようなそんな感覚に体を預けようとした瞬間、急に肺に空気が流れ込んでくる。

「げほっ、げほっ…!」
「葉月、生きてる?」
「せ、と…?っ、けほっ、」
「ゆっくり息を吸え」
「ふる、はし…っ、っは、!」

何が起きたのか全く分からない。今の状況を把握しようにも脳に酸素が足りてないせいで頭は回らないし、息をすることすらも苦しい。げほげほと咳き込んでいれば焦ったような瀬戸の声が聞こえてくる。声のする方を見るけど霞んだ視界のせいでぼんやりとしか見えない。後ろからかけられた古橋の声に従ってゆっくりと呼吸をするように努める。

少しずつ頭の中がクリアになってきて呼吸も落ち着いてくる。依然として体や頭が重いことに変わりはない為、動けるかと聞かれれば難しい。後ろから抱えてくれている古橋に甘えて背中を預ける。少し離れた場所では片手にナイフを持った花宮と、片手に椅子を持った原とザキが床に倒れた人体模型に攻撃していた。たった今襲われたばかりだけどあの三人にあんな怖い顔でボコられるなんて、と思って少し可哀想になってしまった。

「葉月!大丈夫か!?」
「大丈夫だから声落として、うるさい」
「わ、悪ィ…」
「マジ心臓止まるかと思ったんだけど」
「私は死ぬかと思った」
「笑えないんだけど。ふざけんなよ」
「いやごめんて。原、顔怖い」
「半分以上見えてねえだろ」

少ししてこちらに向かってきた三人にへらりと笑って見せるとザキが声を荒げる。心配してくれるはありがたいけれど声がうるさい。眉間に皺を寄せてザキの肩を押し返せば申し訳なさそうに離れてくれる。全く表情が見えないけれど心なしか元気のない原が私の前にしゃがみ込む。空気が重くなったような感じがして明るい口調でふざけてみれば低いトーンで返される。久々に聞く原の本気で苛立ってる時の声に、素直に謝る。

目線を上に向ければこの世界に来てから何度も見た、眉間に皺を寄せた花宮の顔が目に入る。何か言おうと口を開いたけれど、この状況でかける言葉を間違えれば花宮の機嫌が悪くなることは必須。ただでさえ悪い機嫌をこれ以上悪くするのは得策ではない。花宮が最も望む返事とはなんだろう、そう考えて一度開いた口を閉じる。言葉に悩む私の前にしゃがみこんだ花宮がすっと手をあげる。反射的に目をつぶるけれど予想していた痛みは襲ってこない。代わりに頭にぽんと手が乗って、離れた。

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