暗くて寒い場所をただ浮いている気分だった。

自分が前を向いているのか右を向いてるのか。そもそも前がどっちで右がどっちなのか。それすらも分からなくて、ただ流れるままに身を任せてゆらゆらと揺れている気分だった。

意識が今まで落ちたことがないくらい深い場所まで落ちてる気がして、少し怖かった。今までは頭の中に映像が流れてくるから意識がそっちに向いてたけれど、今はそうじゃない。

体も一緒に意識も深いところに落ちていくような感覚。真っ暗で、冷たくて、寒くて、声も聞こえない。死ぬ時ってこんな感じなのかなあ。もっと綺麗な場所に行くと思ってたけどそんなこともないのかなあ。

こぽ、こぽ。

口から溢れる空気が泡になって上がっていく。ふ、と空気の流れが変わったなと思った瞬間下から何かに押し上げられる。どんどん浮上していく体と意識。さっきまで平気だった腕がじわじわと痛み出して、軽かった体がどんどん重くなる。ざわざわと誰かの話す声が聞こえる。

「ん、っ…」
「葉月?」
「こー、じろ…?」
「大丈夫か?」
「あたま、いたい…」
「他は?」
「うで、もいたい…から、だ、おもい…」
「そうか」

重い瞼をゆっくり開ければ不安そうな顔をした康次郎がいた。声を出そうとしたけれど思いの外声が出なくて咳き込む。私の額に張り付いた前髪を人差し指で撫で付けながら目を細めて微笑む康次郎に思わず息を飲んだ。え、なに…なんで、そんな顔してんの。というか何でこうなってるんだっけ。

「葉月?」
「ざき、」
「はあああ……まじよかった……」
「え、なに…どゆこと…」
「覚えてねえの?」
「頭痛くて、倒れて…」

目を覚ました私を見て安心したように盛大に息を吐いたザキに首を傾げた私を見てザキも首を傾げる。意識を失う前の事を思い出そうにも、ぼんやりしてて思い出せない。全部あの空間に置いてきてしまった感じがして気持ちが悪い。

話を聞けば音楽室で掠ったナイフに毒が塗ってあったらしく、準備室で倒れたらしい。保健室で入手した解毒薬を飲んで今起きた、という状況らしいが全く覚えていない。準備室でザキが私を庇って戦っていたことは何となく覚えていて、そこから先はぷっつりと記憶が途絶えている。ただ、どこかに沈んでいくような不安定な感覚だけがはっきりと残っていて。

「葉月、」
「あ、ごめん。痛かった?」
「いや…平気だ」
「もう少し寝てろよ。花宮には言っとくから」
「ん。ありがと、ザキ」
「おー、気にすんな」

あの時のどこに行くのか分からなかった恐怖がぞわりと背中を這って、堪らず手に力が入る。私の手を握っていたらしい康次郎の手も一緒に思い切り握りしめてしまい咄嗟に謝って力を緩めれば、今度は康次郎の手に力が入って握りしめられる。抱えてくれている康次郎に体重を預けて息を吐けばザキが頭をぽんと叩いて立ち上がる。お礼を言って目を閉じれば、さっきとは違う暖かい暗闇が押し寄せてきた。

少しして目を開ければ、依然として康次郎は私を抱えていてくれた。腕に力を込めて起き上がれば背中に手を当てて支えてくれる。バサリと落ちたのはザキのブレザーで、そう言えば倒れた時に貸してくれたっけ…と思い出す。軽く手で埃をはらってから畳んで腕に抱える。一瞬、腕に刺すような痛みが走るけれどすぐに引いていく。ゆっくり立ち上がれば一気に視線が集まって、久しぶりの感覚に眉間にシワがよる。何度向けられても慣れないなあ…この視線。

「ザキ、これありがと」
「おう。もう起きて平気なのか?」
「うん。だいぶ楽になった」
「お前マジで無茶し過ぎじゃない?」
「ええ…そんなこと言われても」
「別に怪我するのはいいけど死にかけるとか聞いてないし」
「あー、うん。それはごめん」
「何笑ってんだよムカつく」
「ええ、どうしたらいいのよ…」

ザキに畳んだブレザーを返してその隣に座れば後ろから着いてきた康次郎が私の隣に座る。ザキの問いかけにへらりと笑って返すと、真正面に座っていた一哉が至極不満そうな顔で私に話しかける。一哉なりに心配、してるかは分からないけれど私が死ぬかもしれないと思うと気が気じゃなかったのかもしれない。もう大丈夫だから、という意味も込めて笑って謝るけれど一哉は全然納得していないようで。見るからに不機嫌な態度でそっぽを向かれてしまった。これは後でご機嫌取りしなきゃいけないな。

「あー、えっと…お騒がせしました?」
「目が覚めて良かったです。解毒薬が見つかった時点でこういう状況が起きることは予想できたのに対策を立てなかった俺達のミスでもあります。すみません」
「私も、ちょっと油断してたから。ごめん」
「いえ。それより、体は大丈夫ですか?」
「ちょっと腕は痛むけど全然平気」

まこちゃん達がいるステージ付近に足を向けるとまこちゃんも不機嫌な顔をしていて思わず苦笑いが零れた。今吉さんはそんなまこちゃんを見て楽しそうに笑ってるし、これはまこちやんの表情を指摘したら後で二重に怒られるだろうから触れないでおこう。じっとこっちを見てくる三人になんて言ったらいいのか分からなくてヘラリと笑って口を開けば赤司に座るよう促される。赤司の隣に腰を下ろせば少しだけ眉を下げて謝られる。

私も何とかなるだろうとちょっと油断していた部分はある。赤司も言ってた通り、解毒薬が見つかった時点で私たちの中の誰かが毒を食らう可能性は十分に考えられたし、それ相応の対策を立てることだって出来たはずだった。それなのにそれをしなかったのは赤司だけじゃなくて皆のミスだ。ナイフに毒が仕込まれてる可能性だってちょっと考えれば分かることなのに気づけなかった自分に腹が立つ。赤司の問いに腕を軽く振って答えれば安心したように赤司が頬を緩めた。


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