後2cm

「聞いてるの!?」
「聞いてませんでした」
「あんたふざけてんの!?」
「いや、そんなつもりは」
「ほんっとその余裕な態度がムカつくのよ!」

彩の目の前で顔を真っ赤にして怒る女子生徒と口々に文句を言う後ろの4人に彩は呼び出されていた。場所は定番の体育館裏で、怖がるどころか彩は少しワクワクしながら体育館裏に向かったのだが、バッチリメイクできつい香水の匂いを振り撒く彼女達の口から発せられる言葉に彩は興ざめした。

「黄瀬くんにこれ以上近づかないで!」
「黄瀬くんはみんなのものなの!」
「そうよ!貴女みたいなブスといたら黄瀬くんの品位に関わるわ!」
「…はぁ」

黄瀬くん黄瀬くん、と口を開けば黄瀬の名前ばかりで最初の方こそ呼び出しだ、リンチだ、漫画でよくあるやつだ、とワクワクしていた彩のテンションはだんだん落ちていった。何を言っても気のない返事をする彩にムカついたのか、真ん中の女子生徒が右手を振り上げた。あ、殴られる、と思った瞬間バチンと言う音が耳に響き、じわじわと頬が熱を持ち始めた。

「いっ、たあ…」
「黄瀬くんにもう関わらないって今、ここで誓って!」

彩だって、一応人間だ。思いっきり殴られて痛くないはずがない。殴られた左頬を手で抑えて、目の前で声を荒らげる女子生徒に目を向ける。どうしようか、と思考を巡らせた時、今ではもう聞きなれた男子にしては少し高い黄瀬の声が聞こえた。

「何してるんスか?」

たったそれだけの言葉でさっきまで怒りで真っ赤だった女子生徒の顔が一気に青くなる。ポケットに手を入れて、ニコニコ笑って歩いてくる黄瀬を見て、女子生徒が後ずさる。笑っているはずの黄瀬は笑っていなくて、女子生徒の目には涙が浮かんでいた。

「ち、違うの!黄瀬くん!」
「何が違うんスか?」
「ちょっと藍川さんとお話してただけなの!」
「へぇ…そうなんスか?彩」
「は?え、あ、いや、まぁ…お話はお話だけど…」
「彩、こっち」

必死に弁解する彼女達の言葉にすぅっと目を細めた黄瀬が彩に問う。急に名前で呼ばれたことと、急に話を振られたことで吃りまくる彩の痛々しく腫れた左頬を見て、眉を顰めた黄瀬は彩に自身の方に来るよう促した。どうしようか、と戸惑っていると催促するように再び名前を呼ばれ、彩は渋々黄瀬の方へと足を進めた。

「何してたかは知らないっスけど、これ以上彩を傷つけるなら許さねぇっスよ」

自身の隣に立った彩の肩を抱いて、黄瀬はキッと女子生徒を睨みつけた。すると、今まで涙を浮かべていた女子生徒はボロボロと涙を零しながら走っていなくなる。そんな彼女達の後ろ姿を見送って彩は小さくため息をついた。そして、頼んではいないけれど一応助けてくれた黄瀬にお礼でも言おうと黄瀬に向き直り、口を開いた瞬間だった。

「大丈夫っスか!?」
「…あ、うん」
「ああああ!ほっぺ真っ赤じゃないっスか!」
「まあ、殴られたし」

彩の肩に手を置き、さっきまでのかっこいい黄瀬はどこに行ったんだと首を傾げるレベルで取り乱す黄瀬に彩は呆気に取られた。冷やそう!と彩の手を引いて黄瀬が歩き出す。運動部が使用する水道で黄瀬はハンカチを濡らし彩の頬に当てた。

「いっ、」
「い、痛いっスか!?」
「大丈夫」
「ほんとにごめん…俺のせいで…」
「何て顔してんの」

冷たさと痛みで跳ねた肩に大袈裟に反応する黄瀬を宥めるとさっきまで騒いでいたのが嘘のように静かになり、泣きそうな顔をする黄瀬に彩はふっと笑った。

「確かに全部黄瀬のせいなんだけど」
「うう…」
「でも、助けに来てくれたのは嬉しかった。後、名前呼んでくれたのも。ありがとう、黄瀬」
「彩っち…」
「え、最後のいらなくない?」
「尊敬した人には『っち』って付けるんスよ!」
「へぇ…そう…」

自然と彩の口から零れたありがとうの言葉と、ゆるりと上がった口角。完全に雰囲気は完璧だと思ったが、この二人に良い雰囲気なんてものはどうでもいいのだろう。初めて呼ばれる呼び方に違和感しか無い彩に対し、黄瀬は胸を張って答えた。案の定、彩から返ってきた返事は冷たいもので。

「ねえ、彩っち」
「ん?なに?」
「好きっス」
「あ、うん…?」
「うんって…それ以外にリアクションないんスか」

お互い何を喋るわけでもなく柔らかい空気が流れる中、さらりと黄瀬が告白する。表情には出ないものの、彩も頭の中はプチパニック状態で固まっていた。予想の斜め上を行く彩の返事に黄瀬が項垂れる。

「私も、黄瀬のこと好きかも」
「!ほんとっスか!?」
「でも、まだ分かんない」
「分からない?」
「ほんとに好きかどうか」
「そう、っスか…」
「だから、私と付き合ってくれない?」
「…は!?」

再度、彩の口から発せられた言葉は黄瀬にとって最も望んでいたセリフだったが、彩の続けたセリフでキラキラと目を輝かせていた黄瀬の目が一瞬で悲しみの色に染まった。だからこそ、笑って、彩は黄瀬に手を出した。

2017/1/10 執筆

ALICE+