きっかけというものは何処に転がっているのか分からないものです

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「君には興味が尽きないし。
どうせ行くところ無いんでしょ?
俺の所に来たら、不自由はさせないよ」


そう言った彼の隣で、今も私は四苦八苦している。


    ♂♀


事の始まりは今から約3ヶ月前だった。些細な事でお母さんと喧嘩をした私は、財布と着替えを持って家出をした。公園まで来た私は、8月という気候もあって何も考えずベンチに横になっていた。
朝、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた私は眩しい朝日に目を覚ました。夏休みだから気が抜けていたようで、時刻はすっかり9時を過ぎている。女子高生が無用心にも公園で一晩を明かしてしまった。今だぼうっとする頭で辺りを見回すと、いつもの景色が違う気がする。景色自体は同じだけど、何処か色合いが……。――いや、多分気のせいだろう。そう決め込んで、荷物を持って立ち上がった。
今日は特にすることも無いから何処かでシャワーでも浴びて池袋の街をぶらぶらしよう。近くのコインランドリーにでも行こうと当たりをつけ、公園の出口まで歩いた。公園の前の歩道へ一歩踏み出すと、突然私の目の前を何かが物凄い勢いで通り過ぎた。派手な音を立てて突き当たりの塀にぶつかったそれは、道路に刺さっている消火栓の標識だった。

「……はい?」

イマイチ状況が理解できずに、標識が飛んできた方向に視線を向けると

「いぃぃぃざぁぁやぁぁぁぁ!!」

轟音と共に、ファー付きの黒いジャケットを来た男がコンビニのごみ箱を担いだバーテンダーに追いかけられていた。

「……ちょっと待て。何かおかしい」

あまりにも非現実的な出来事に、私の脳は思考停止する。バーテンさんが投げたごみ箱を軽々と避けたジャケット男。……あれ?何かこっちに来てないか?あの人。バーテンさんが道路にある標識を引っこ抜いた。それをジャケット男に投げつけようとしたその時、ふたりの間に黒人の巨漢が割って入った。
………。これは何かのショーなのでしょうか。私は生まれも育ちも池袋だけど、こんな人達見たことない。私がひとり唖然としてその光景を眺めていると、バーテンさんを巨漢の人が引き止めている間にジャケット男が飄々とこちらに駆けてくる。

「……――あっ、ちょっと待って!」

彼が私の目の前を通り過ぎようとしたとき、私は思わずその腕を掴んでしまっていた。


    ♂♀


おそらく私は、あまりにも非常識な事が目の前に起こった為に混乱していたのだろう。いつの間にか当事者の人と喫茶店にいた。公園で起きてからの池袋はどこか別の世界な感じがする。少なくとも、私の知る池袋じゃない。試しにウチに電話してみたら、現在使われていない番号だと告げられてしまった。お母さんの携帯も知り合いの電話も同じだった。あまりにも混乱していて縋るものが欲しかったのか、私は家出をしたことも含めて目の前の男に全て話してしまった。
頭の残念な女だと思われただろうか。暫くの沈黙の後、ジャケット男は青空から降ってきたような声でこう言った。

「君は自分が正気だと思っているかい?」

……うわ、やっぱりこんな話誰も信じないよねぇ。私は頷きつつも肩をガックリと落とすと、彼は肩を震わせながら笑った。

「くくく……。それが本当なら実に興味深い現象だよ。君、名前は?金さえ払ってくれるなら本当に君が住む池袋と今居る池袋が違うのか調べてあげるよ」

「……え?」

信じたの?私の話を?私の間の抜けた表情を読み取ってか、ジャケット男は懐から名刺を取り出した。

「俺は新宿主体の情報屋なんだよ。情報屋たる者、常に広い視野を持ってなくちゃね」

名刺を受け取った私だが、今の話に大きな穴があるのを見逃しはしない。

「でも私お金が無いです」

この一言にジャケット男――名刺には折原臨也と書いてあった。きちんとルビ付きで――は一瞬考えたような仕種を見せると、直ぐに怪しい笑顔で答えた。

「それなら俺が雇ってあげるよ。君には興味が尽きないし。どうせ行くところ無いんでしょ?俺の所に来たら、不自由はさせないよ」

「それって臨也さんの所で住めってこと?」

「実に図々しい解釈だね。そのつもりだけど」

この池袋には家が無いんだ。何処で暮らそうとも大した差はないだろう――そう考えて、私はこの臨也の宅に上がり込むこととなった。


    ♂♀


臨也のマンションで暮らし初めて約3ヶ月が経過した。やはりここには私の家族も知り合いもおらず、私が住んでいた池袋ではないことが分かった。今ではこの生活にもすっかり慣れて、臨也の仕事のハードな手伝いで暮らしている。
『君には興味が尽きないし。どうせ行くところ無いんでしょ?俺の所に来たら、不自由はさせないよ』そう言った彼の隣で、私は今も四苦八苦している。――でも今では、こんな生活も好ましいと思っているという人間の不思議。