ふたりの時間の口実≒紅葉

■ ■ ■

江戸に停泊する巨大な戦艦。そのとある一室で重く垂れ籠め涙を流す雲を見上げ、溜め息をつく女子がひとり。前日から雲がかかっていたため今日の天気を案じてはいたが、まさか本当に降りやがるとは。先日晋助と交わした約束事が水の泡ではないか。全く雨ってヤツは、こっちまで憂鬱にさせる。

「ハァ……」

今日は晋助と紅葉を見に行こうと約束してたのに。こんな雨じゃもう全部散ってるよ。畜生、お天道様、あたしゃあんたを怨むよ。晋助も眞喜も指名手配の身故、日中に外に出掛けるのは難しい。まぁ、あたしは顔はばれてないけど、でも……。どの道先程までの土砂降りでは紅葉は散ってしまっているだろう。今では大分落ち着いたとは言え、先刻まではかなりの量、雨が降っていたのだ。

「……ハァ」

「あんま溜め息つくんじゃねェよ。こっちまで陰鬱にならァ」

「……え?」

もう一度深い溜め息をついた途端、部屋の入口から声をかけられた。そこには番傘を手に持つ晋助がいた。……晋、助?

「なんつー間の抜けた面ァしてやがる」

「何であたしの部屋に?」

あの約束は雨でおじゃんになったんじゃ……。余程間抜けな顔をしていたのだろう。晋助は喉の奥でクツクツと笑うと、眞喜を手招きした。素直にそれに従い、晋助の元まで歩き行く。

「紅葉見に行くんじゃなかったのかァ?」

「え?でも……」

「俺に付いて来い」

付いて来いと言うにも関わらず、晋助は眞喜の手を掴み通路を進んだ。





「ほら、入れよ」

船を出て番傘を広げた晋助は眞喜を招き入れる。

「うん、でも……」

番傘に入ったものの、何処か嬉しそうではない眞喜に苛立ちを感じた晋助は途端に不機嫌になる。

「何だァ?」

「あの雨なら紅葉全部散ってるんじゃ…」

昼にも関わらず暗い空を見上げつつ、眞喜は不安げに晋助の番傘を持つ腕に手を掛ける。

「あァ、これでいいんだよ、今日はなァ……」

眞喜の言わんとすることを理解し、晋助は口許に笑みを湛えながら歩き出した。まぁ、この暗い中だったら顔もばれにくいとは思うけど……。地面に堕ち、薄汚れた紅葉を想像しながら眞喜は晋助に付いて行く。晋助と共にふたりで外を歩くということ自体が喜ばしい事ではあるが、もっと大きい喜びを想定していたため、中々その埋め合わせはできるものではなかった。無言で歩くふたり。暫くすると、晋助が自分の腕を持つ眞喜の手を取り、顔を覗き込んだ。

「こっからは目ェ瞑ってなァ」

「え?うん……」

訳のわからないままの眞喜を引き連れ、晋助は再び歩き始める。数分もしないうちに立ち止まった晋助に釣られ、足を止める眞喜。

「目ェ開けな」

頬に触れる晋助の手に促され、眞喜は固く閉じていた目を開いた。

「――わぁ……」

眞喜は目の前に広がる景色に息を呑んだ。驚く眞喜の顔を見て、満足げに笑う晋助。――綺麗……。
そこは街中にも関わらず人影がなく、空は紅葉で覆われていた。雨に打たれて落ちた紅葉は地面に薄い絨毯を敷いていて、人に踏まれた形跡もなく。一体江戸の何処にこのような場所があったのか、道の途中目を閉じていた田中には知る由もない。雨の中視界は紅葉に包まれて、時折雫に押された葉がハラリと舞い落ちる。実に優美な光景に、眞喜は見入っていたのだ。そんな眞喜の肩を抱き寄せ晋助は笑う。

「雨の中の紅葉も情緒があっていいモンだろォ?」

想像していた、人々に踏まれた紅葉。それとは正反対だ。眞喜は晋助に凭れ掛かり、感嘆の溜め息をついた。

「美しいって、正にこのことかな……」

こんなの、もう綺麗と美しいしか口から出てこない……。ホントは茶菓子とお茶でゆっくり眺める事ができるといいんだけど……。

「花より団子かァ?」

「えっ?声に出てた?」

「全部だだ漏れだ」

「うはぁ……」

「ククッ、」

……でも。やっぱり綺麗……。暫くそうして紅葉を眺めていた両人だったが、やがて晋助が言葉を発した。

「もう帰るぞ」

「――……あ。もうこんな時間になってたんだ」

雨の程度も変わらず人も通らなかったため、ふたりして紅葉に見入ってしまっていたようだ。秋という季節に雨空も手伝って、辺りはすっかり暗くなっていた。

「ホラ」

傘の中で差し出された晋助の手を確と握り、帰りを行く。夜道の途中、眞喜は握る晋助の体温を感じながらその口許に笑みを湛えた。

「今日はありがとう、晋助。とても楽しかったわ」

薄闇に溶ける晋助の横顔は、微かに笑っているように見えた。