お面の少女その2

■ ■ ■

それはある3月の日の事だった。

卒業式シーズンであるこの日も、荒川近くにある
とあるミッション系の中学も卒業式を迎えた。


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眞喜という新たな河川敷の住人を紹介してもらった次の日。

「ニノさん……。何ですかその付属物は」

「ん?」

オレは恋人であるニノさんの腰にくっついているモノを指差した。

ソレは河川敷に暮らす、表情が変わるお面をつけた少女眞喜。

どうやら彼女はニノさんに懐いているらしい。
シスターやマリアさん、それにステラとも仲がいいが、
ニノさんには特別好意を抱いているようで、よくニノさんの腰に付属しているのをよく見かける。

後オレが認知していることは
彼女は教会に住んでいるらしいことと会話は手帳に記入して行うことだ。





川岸に座ってパソコンで仕事をしているリク。
その近くでは素足になった眞喜とニノが水遊びをしている。

「なかなか微笑ましい光景だな」

「うわっ!」

いきなり背後から掛けられた声に危うくパソコンを川に落としそうになるリク。

「いきなり後ろから声をかけないでください!!」

「すまん。つい背後から近づく癖がな…」

以前にもこんなやり取りをした記憶があるが、敢えて突っ込まずに水遊びをする二人の目を向ける。

いつのまにか眞喜とニノさん以外にも鉄人兄弟も混じっていた。

「なんなんですか、あのお面。
星や村長が被ってるのとは仕様が違いますよね・・・」

この河川敷に住んでいる天体と妖怪が被っているような、表情を厳密に再現するのではなく、
子供の落書きのような表情が浮かぶ眞喜の面を指差して言った。

「ふむ…。眞喜のことは話しておいてもよかろう」

何かに納得したような素振りのシスターは眞喜に向けて手を振る。

「眞喜、いいだろう!?」

眞喜はシスターの言いたいことがわかったのか両手で大きく丸を作ってみせた。

「うむ。そうだな…。あれは何年か前の話だったな…」

と、シスターは何やらいきなり語り始めた。




  
「今日も雨だな」

暗い雲で覆われた空を見上げながら、ニノは呟く。

ここ最近雨が続いており、河川敷が水没する程ではないにしろ
多少水位が上がりつつある今日このごろだ。

ニノは視線を空から河川敷に移すと、シスターが
マリアの牧場から戻って来ていた。





近々行われるであろう花見のためのスイーツ作りのための材料を
マリアのところから貰って来たところだ。

いつもと変わりなく、マリアから毒舌を喰らったシスターだが、
彼は平然と頬の古傷から血を滴らせている。

シスターが教会へと戻ると、
教会の前には見知らぬ人影が座り込んでいた。

「この辺りでは見かけない顔だな。
こんなところで何をしているのだ」

雨のおかげですっかり血が流された端正な顔で
シスターは少女の顔を覗きこむ。

少女は体育座りをしているため顔が見えず、
冷たい雨の中、少女は微動だにしない。

「どうしたんだ、シスター」

雨の中教会の前で座り込んでいるシスターの隣に、
ニノがてくてくと歩いてくる。

「うむ。この少女を見たことはないか?」

と、シスターがニノに尋ねるが、ニノは横に首を振った。

「一体な――」

何でこんなところに―…
気を取り直してシスターが少女にもう一度そう問いかけようとしたとき、
少女は大きな水音を纏って倒れこんだ。





……頭が痛い…。
風邪でもひいたのかな…。

前日のことを思い出しながら目を開けると、
天井がやけに近いベッドに横たわっていることに気づいた。

「シスター、目を覚ましたぞ」

声がしたほうに目を向けると、
金髪の可愛い女の子がベッドの隣にいた。

「うむ、そうか」

そして、彼女の隣に現れたのは……、

「具合はどうだ?」

顔に大きな傷を走らせた修道女姿の巨漢だった。

顔立ちは整っているが、なんというか…
違和感しか感じられない。

とりあえずは上半身を起こしてコクリと小さく頷く。
頷いたときに揺れた目を覆う長い前髪は既に乾いていた。

ふと窓の外に目をやると、
昨日までの大雨が嘘のようにそらは青々と輝いていた。

「昨日雨の中で協会の前に座り込んでいたのを覚えているか?」

男の問いにもう一度頷いてみせる。

「一体なぜあんな所にいたんだ?」

答えを求められる質問に、自分が答えに詰まっていると、

「しかしお前、前髪長いな。
邪魔じゃないか?」

金髪少女が自分の前髪を上げようと手を伸ばした。

そのとき自分のからだは、反射的に声を出していた。

「やっ…!」





『あの時は少し驚いたな。
一体誰が声を上げたのかと思ってしまった』

『そうなんですか?』

『あぁ』

『シスターでも驚くことですか…』

『話を戻すぞ』





その時少女の口から発せられた声は、
とても女の子がだしたものとは思えないほど
低く掠れたものだった。

あまりにも予想外だった出来事にシスターは一瞬硬直するが、
ニノはむぅ、と呻って頷いた。

「そうか。すまない」

そのニノの反応も意外だったのか、
少女は顔を覆っていた腕をのけると、
ニノに手招きをして耳を貸してくれるようジェスチャーした。

ふむふむと頷いたニノは、
シスターにその言葉を伝える。

「シスター。紙をペンはないか?」

「あぁ、ちょっと待っててくれ」

と、部屋を出て行ったシスターを見送ると
ニノは手近な椅子に座って少女を向く。

「別に気にすることはないと思うがな」

ニノの言葉に少女は少し驚いたように目を瞠ったが、
すぐに悲しげな笑みを浮かべた。

間もなくシスターがメモ用紙とペンを持ってきて
ベッドに座る少女に手渡す。

そこで少女は、
なぜ雨の中あのような河川敷にいたのか、
ニノが自分の前髪を上げようとしたとき
拒絶したのか――……そして、
その掠れた声の理由を紙に綴って語った。





『彼女はあの日、中学の卒業式だったらしい』

『卒業式ですか?
一体何の関係が…』

『黙って最後まで聞かんか』





少女の名前は××× ××。
ミッション系の中学校に通う一般人だ。

彼女は祖母がイギリス人で、
彼女自身には4分の1イギリス人の血が混ざっている。





『それであんなに髪が赤いんですね』

『あぁ。その所為で随分と陰湿な虐めに遭ってきたらしい』



  

彼女のその赤毛は、
日本での虐めの対象としては十分すぎるほどの『異常』だった。

そして、髪の一件から飛び火して、
目つきが悪いと言われ始める。

加えて、彼女は先天的な
掠れた声が出る体質の持ち主だった。

喉の調子が良いとき意外は
それこそ老婆のような声だった。

お母さんもお父さんも最初は庇ってくれたけど
学校でも近所でも色々言われてて。
段々かまってくれなくなって。
そのうちお酒で酔って暴力も振るうようになって

そして義務教育が終わったこの日、
彼女がアパートに帰ったときには家の中は
もぬけのからになっていたのだ。

多分、『異常』な私は捨てられたんです

自嘲気味に俯く少女は、続いてメモ用紙に書いた文を
シスターとニノに見せた。

誰かに聞いてもらったら少しすっきりしました。
ありがとうございます

  



「……と、こういう経緯で眞喜は
ここの住人になったのだ」

「ちょっと待て!!!
何か間がずっぽり抜けてますよ!?
どういう経緯ですか一体!?」

シスターが話し終わると同時に、
リクはバシャリと水を迸らせながら立ち上がる。

リクの突っ込みに舌打ちしたシスターは、
腕を組みなおして、後は簡単な説明で締めくくった。

「眞喜が教会の前に座っていたのは
ミッション系の学校卒で教会に愛着があるからで、
河川敷の状況を話したら自分も家が無いから
ここに住みたいと自分から言い出したのだ。
ちなみに、今は教会に住んでいるぞ。
眞喜の中では自分の声を出すのがトラウマになって
いるから手帳で話しているのだ。
面を被っているのは目つきを気にしているからだろう。
あの日ニノが『気にする必要はない』と叱咤したのだがな。
精神的ショックというのは中々克服が難しい」

「本当に一気に言い切りましたね……」

――にしても、
この河川敷の中で今のところ
一番ディープな話なんじゃないか…?

と、リクはもう一度ニノたちと水遊びする眞喜に目をやる。

「ここに居ることで、
彼女も色々と変わったのかも知れませんね」

「お前と同じように……か?」

「え?」

心の中で呟いたはずの言葉が
どうやら口に出ていたらしいが、
リクはシスターの言った言葉の真意を測りかねて
間抜けな声を出してしまう。

シスターを振り返ったが、途端、
横っ面に大量の水が浴びせられる。

『リクさんも一緒に遊びましょう!!』

と、リクにも見えるように大きな文字で書いた手帳を
掲示した眞喜が主犯らしかった。

「まったく……防水手帳かよっ!!」

と、膝の上に置いていたパソコンを土の上に置き、
バシャバシャとニノたちのほうへ歩き出すリクだった。

「本当に変わったな……。
お前もニノも、眞喜も…」


リクに浴びせられた水が、
パソコンにもかかっていたことがわかるのは
その日の空が夕焼けに染まる頃だった。