昔、ありがとう

■ ■ ■

「ねぇ、わたし美味しいパン屋さん知ってるんだけど、一緒に行かない?」

眞喜に言われて連れて来られたのは、まだ下町の風景が残る、幽とよく前を通ったパン屋だった。

「ここのお店ね、家庭的な味を極めてるって感じですごく美味しいの」

静雄は眞喜の手に引かれるまま歩いて来たのだったが、パン屋の中に昔と変わらない人物を見つけると、急に立ち止まった。

「……?静雄?」

「悪ぃ、オレこの先の公園行ってるわ。美味そうなの適当に選んどいてくれよ」

静雄は唐突にそう一言残すと、逃げるようにその場を去って行った。


「ちょっ、静雄!?」


   ♂♀


「何か悪いことしたかなぁ……」

思い当たることは無くともそう考えながら店内に入る眞喜に、店の奥さんだと思われる女性が声を掛けてきた。

「いつもありがとね、眞喜ちゃん」

眞喜はこの店の常連であり、一時期はバイトをしていたのだ。人当たりの良い奥さんともすぐに打ち解け、良くしてくれたことも多々ある。

「そんな。唯パンを買いに来ただけです」

そう言いつつ、どのパンを買おうか店内に視線を走らせる。レジの前に座る奥さんは、一度店の外に目をやると、すぐに眞喜に戻して言った。

「あのお連れさんは……もしかして平和島くん……?」

眞喜は奥さんと静雄が知り合いなのかと一瞬だけ思ったが、この町に住んでいる限り彼の噂は嫌でも耳にするだろうと気を取り直して答えた。

「はい、そうですよ」

「そうなの……。彼ももうあんなに立派になったのね……」

遠い目をして店の外に視線をやっている奥さんを見て、眞喜は一歩踏み込んで問いかける。

「静雄のこと昔から知ってるんですか?」

「少しね……。彼には悪いことをしてしまったわ……」


   ♂♀


その後、彼女は眞喜に静雄が小学生の頃の話をして聞かせた。通学時は彼と、彼の弟である幽がよく見せの前を通っていたこと。彼らが通る度に牛乳をあげていたこと。そして、静雄が助けてくれたと同時に彼女自身も大怪我を負ってしまったこと……。


    ♂♀


「……静雄」

小さな子供たちのはしゃぐ声がよく通る公園のベンチに静雄は腰掛けていた。静雄は眞喜が来たのを見て横にズレ、隣にパン屋の紙袋を持った眞喜が腰掛ける。

「静雄の話聞いたよ。あそこの奥さん、昔から優しいひとだったんだね」

唐突に切り出す眞喜に、静雄は驚きの視線を向けると、自嘲気味の笑顔を浮かべて言った。

「オレのこと、怨んでるだろうな……」

悲壮な顔で呟く静雄に、眞喜は小さく静雄の頭を小突いて柔らかな笑みを浮かべた。

「奥さんから静雄に、メッセージと一緒に預かり物してきた」

そう言って眞喜はパンが入った袋から小さな牛乳瓶をふたつ取り出した。

「……!」

「ごめんなさいと、ありがとう……だってさ」

眞喜は笑顔のまま、静雄の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「静雄はあの人を助けたんだし、奥さんも感謝してた。普通の人じゃなかなか出来ないことをやったんだよ」

静雄は眞喜から牛乳を受け取ると、その瓶を割らないように握り締めた。

「……また今度、礼を言いにいかねぇとな……。さんきゅ、#NAME2##」

その笑顔は、憑き物が落ちたような、そんな笑顔。やっぱりまた、眞喜は静雄の頭を撫でるのであった。