旱天慈雨


――親しい聖隷の友人がいた。最後にはドラゴンに成ってしまった奴を――奴の魂を、尊厳を守るために戦うべきだったのに、大事な所で躊躇して逆に危うい目に遭い守られ、オレに手をかけさせてしまった。結局は奴の為に何一つ行動を起こせず、自分可愛さに逃げたんだ。

闘いの後に立ち寄った街で、溜め込んでいたものを溢れさせるように彼女はそう口にした。震える拳を握りしめ、涙を浮かべる事すらないその瞳には只々自責と後悔だけが浮かんでいる。

「バカみたいッ――!」

籠る感情を上手く発散する術を見つけられない様子で、唇を震わせて自分への憤りを吐き出した。この世界に遍く聖隷にかけられた呪い。例に漏れず苦しむ眞喜に触れようと手を伸ばす。――が、

「おたくら旅の者だろう?痴話喧嘩は良いが早いとこ屋根の下に入った方がいいぜ」

唐突に、オレと眞喜の側を男がそう声を掛けながら通り過ぎていった。いらん世話だと睨み付ける間もなく男は慌てた様子で走り去っていく。一体何なんだ。そう思ったのも束の間、ぽたりと雫が額に当たる。空を見上げると同時に振り始めた雨は瞬く間に地面の色を変えていった。

「取りあえず宿屋に向かうぞ」

動く気配のない眞喜の腕を掴んで、近くの宿屋を探す。視線を辺りに巡らせると人影はすっかりなりを潜めていて、さっきの男が言っていたのはこの事なのかと納得する。間もなく見つけた宿屋に入ると、ロビーに据えられた暖炉の前は既に旅人や行商人といった風情の人間で溢れていた。受付に向かうと、気の良さそうな店主が

「ここいらは夕方になると必ず雨が降るんでね、この時間は御覧の通りロビーは一杯になるんでさ」

と、帳面を広げながら今まで何度も説明してきたであろう文言を口にする。

「小一時間もすれば雨は止みますが、泊まりますかい?」

続けて笑顔でそう言った店主に、雨のお陰か少しは頭も冷えたらしい眞喜と目を合わせた。


「さっきは八つ当たりしてごめん」

オレに背を向けてベッドに腰かけ、髪から垂れる雫を拭いながら眞喜は呟いた。

「気は済んだか」

先程より幾分かは落ち着いたらしいその様子に軽く息を吐き、二人分のジャケットを吊るして眞喜の隣に腰を下ろす。口にした自分でもそんな筈はないだろうと思ったが、眞喜は無言で俯き少しだけ顎を引いて見せた。眞喜が握るタオルをその手から奪い取り、恐らく、未だ混乱した中で整理を付けようと動かしているであろう頭に被せる。

「今は何も考えるな」

コイツの性分からして、ここで中途半端に外面だけ落ち着かせてしまうと内に燻ったままの悔恨が永久にその心を焼くんだろう。しかし、眞喜の友人を直接手にかけたオレが言うべき言葉など持ち合わせている訳もなく、髪の毛の水分を拭き取ろうと手を動かすと、眞喜は静かにそれを受け入れた。

暫くの間そうして部屋を静寂が満たすが、やがて腕を降ろしてタオルを眞喜の頭から取り去り、眞喜は緩慢な動きでオレを見上げる。その濡れた瞳に吸い寄せられるように顔を寄せると、眞喜も瞼を降ろして唇を合わせてくる。縋るように伸びる眞喜の手を握り、唇を重ねたままベッドに押し倒した。

「……――あ……」

眞喜の声に顔を上げる。眞喜の視線を追って窓の外を見ると、さっきまで振っていた雨は止み雲の晴れ間に虹がかかっていた。仰向けのまま虹を見つめる眞喜は眩しそうに眼を細めて一滴の涙を零した。いつだったか、眞喜は、雨は嫌いだが友人である奴と見る虹は好きだと語った事があった。束の間に輝く虹を目にすると、この世に儚く生きる動物や聖隷、果ては人間の営みさえ愛おしく感じるんだと、いつか嬉し気に話していた眞喜を思い出す。

「アイゼン」

呼ばれて眞喜に視線を戻せば、眞喜は腕で顔を覆い

「ありがとう」

と細いがはっきりとした声でオレに対しての例を述べた。眞喜の頬を流れる大粒の涙に目を閉じて、「ああ」とだけ返す。ここぞとばかりに掌で眞喜の頭を撫でつけて彼女の涙腺を緩ませる。泣ける時には気が済むまで泣いた方がいい。口には出さずに眞喜の身体を抱きしめると、眞喜は喉を震わせて嗚咽を上げる。夕立が呼んだ虹は彼女のその様子を見届けたかのように薄れて、程なくして消えていった。