20191122

「え、今日、誕生日なんですか?」

遠くの空に譜石帯が青く霞むこの善き日に、全く似つかわしくない頓狂な声を上げて驚いた。"今日が誕生日である"ということにも勿論驚いたけれど、それよりも、"彼にも誕生日というものがある"という当たり前の事実に、私は何故だか吃驚してしまっていた。そんな失礼かつ薄情な感想が顔に出ていたのか情報元であるガイラルディアは

「旦那だって人間なんだ。そりゃ誕生日だってあるさ」

と苦笑いを浮かべた。それから、

「それにしても、眞喜が知らなかったとは、思いもよらなかったな」

と言って腕を組む。うーん。言われてみれば、私ととももうそんなに短い付き合いじゃないのに、今の今まで誕生日を知らなかったというのも、おかしな話だ。今だって、偶々こうしてガイラルディアと会わなければ彼の誕生日を知ること無く普段と変わらない一日を過ごしていただろうし。――まあ、今の今までその話題に触れさえしなかった私もどうなのか、という気持ちもなくはないけれど。――とにもかくにも。

「教えてくれてありがとう、ガイ」

恐らく仕事中であろうに私を見かけて声を掛けてくれたガイラルディアに、お礼を言う。

「いえいえ。じゃあ、オレは仕事に戻るよ」

ガイラルディアは爽やかな笑顔を浮かべながら、体の向きを進行方向へと定める。そして別れ際、

「祝われて喜ぶかは……分からないが、眞喜が何かしたら、それはそれで旦那は喜ぶと思うぜ」

と、天然たらしの片鱗を見せるアドバイスを残していった。

丁度仕事の昼休憩で、仕事場から出てきた甲斐があったなあ。午後の仕事始めまで時間はあることだし、帰りに何か……プレゼント的なものを見繕うのもいいかもしれない。なんて、浮かれ始めたアタマで彼の誕生祝いについて考え出して、そうやってようやく"ジェイドが私に誕生日を教えなかった理由"のようなものに、思い当たった。景気よく道を進んでいた足が徐々に重くなる。そっか、だからさっきガイラルディアは"祝われて喜ぶか分からない"なんて微妙な言い方をしたわけか。それに気づいて少しだけ逡巡する。その結果、私はおしゃれな雑貨屋でも鮮麗な店先の花屋でもなく、今しがた別れたガイラルディアの後を追っていた。



「遅かったですね」

日も暮れて通行人の影もまばらな頃、開かれた玄関から現れたジェイドはすでに私服姿だった。私にとっては驚く程珍しいものでもないけれど未だにちょっと新鮮で、不安定な心拍数が少しだけ上昇する。

「甘いもの買ってきた」

そう言って、少しいいお値段のする焼き菓子店の紙袋をジェイドの目の前に差し出すと、

「おや。ありがとうございます」

と言いながら笑みを浮かべた。よしよし。懸案事項ひとつ目はクリアだ。

「どうぞ」
「おじゃましまーす……」

ジェイドが抑える扉を潜り、ジェイドの自宅へと足を踏み入れる。私が訪ねてきた事に対して疑問を口にしないということは、昼間ガイラルディアに託した『今日の仕事が終わったらジェイドの自宅に行く』といった旨の伝言は問題無く届けられたということかな。よしよし。順調順調。そのまま私は迷うことなくキッチンへと移動して、ひとまずお菓子をテーブルに置く。

「お湯なら沸いてますよ」

言いながらティーポットと私のカップを食器棚から取り出すジェイド。それを受け取って、数種類ある茶葉から今日のお菓子に合いそうなものを選びティーポットに入れる。ジェイドがお菓子のための食器を用意している間にケトルのお湯をゆっくり茶葉へと落とした。

以前は無かったこの茶葉たち。ジェイドの自宅に少しだけど存在する私のためのスペース。それが許されているという事は、ジェイドにとって私はそれなりに価値のある人間だという事。その上で誕生日を明かされていなかった、という事実に気付いていながらもこうして押しかけてしまった訳だけれど。どうか最悪の事態にだけはならないでと心の底で願いながら、キッチンから移動する。ジェイドと並んでソファに腰かける頃には、ティーポットから優しい香りが届いてきていた。

お茶をカップに注いで、包みから取り出したお菓子をお皿の上に取り分ける。一応好みはジェイドに合わせたもので、

「どう? 美味しそうでしょ」

と得意げに言えば

「そうですね。有り難く頂きます」

とジェイドもお菓子に手を伸ばした。

誕生日とはいえ盛大な祝い方はしないと決めて、結果辿り着いたのは同僚から情報を仕入れて選んだ少し値の張る焼き菓子。お味はどんなものかと口に含むと、上品な甘さが時間差なく口の中に広がった。うーん、このお店を選んで正解だったかも。一口でそう思える程のものを入手できた自分の幸運と審美眼を喜んだ。けど、そればっかりに思考を奪われるわけにはいかない。本題を口にしなくちゃ、今日は意味がないんだから。

丁度良い温度になったお茶を一口飲んで、一呼吸。緊張の空気を肺から追い出して、お菓子を咀嚼するジェイドに言う。

「今日、誕生日なんだよね?」

私の唐突な言葉にジェイドは驚くことなく口内のものを飲み下し、

「ガイですね。まったく、余計な事をしてくれます。……まあ、ガイからの伝言を聞いた時から予想はついていましたが」

やれやれと言わんばかりの声音で溜息交じりに言った。

「私には教えたくなかった?」

触れたくない核心に、意を決して自分から言及していく。そもそもガイラルディアに伝言を頼んだ時に退路は断たれているんだ。後はもう、なるようにしかならない。どきどきと煩く脈打つ心音を気にしないよう努めながらジェイドの言葉を待つ。

「……理由の方まで見当がついていそうですね」

言葉にして確かめるまでもなく、正解を貰ってしまったみたいだ。

ガイラルディアの言葉を受けて、私が思い当たった"ジェイドが私に誕生日を教えなかった理由"のようなもの。それは、イベントが好き、更にはジェイドの事が大好きな私が彼の誕生日を知ったら、必ず誕生祝いというものをしたがると、ジェイドが思ったから。私はそう推察した。

過去を遡れるなら自分は何をしたいか。そんなもしもの話が仲間内で話題になった時。ジェイドは"生まれたばかりの自分を殺す"と、何の躊躇いもなく言い切った。だからこそ"誕生日"という、この世界に生まれ落ちた事――生まれて、今生きている事を祝うなんて日をジェイドは受け入れないんじゃないかって。

「でもやっぱり、私はジェイドに会えて嬉しいよ。一緒に居てしあわせ。それを伝えさせて」

例えそれがジェイドを苦しめるひとつの因子になるとしても。膝の上に佇むジェイドの手の甲に、私の掌を重ねる。それでも私は、私の気持ちを伝える事でジェイドの中にずっと居座る重いものが少しでも解けてくれるように。そして、それをジェイドも受け入れてくれると、賭けてみたわけだけど。

手に力が籠りそうになるのを堪えながら、ジェイドの反応を静かに待つ。ゆっくりとした一呼吸の後、ジェイドはゆるやかに視線を上げて私の顔を見た。

「参りましたね」

垂れた前髪の隙間から赤い瞳が覗く。少し上がった口角は自嘲の表情にも見えるけど、多分違う。とても、本当に珍しい事だけど。多分彼は戸惑っている。言葉通りにどうすべきか、どうしたいか気持ちが彷徨っている様に感じた。だから私は、ジェイドの手を少しだけ握る。――いいんだよ。そう心の中で呟けば、翻ったジェイドの手が私の手を握り返して、そのまま引き寄せられた。

「――眞喜」

吐息と一緒に絞り出されるようにしてジェイドの口から零れた私の名前。その響きと、私の身体を抱きしめる温度だけで、彼の気持ちは余すことなく伝わってくる。

幸せになる事なんて許されない。まして幸福を喜ぶなんて。今存在している事自体が罪であるかのように思う時は少なくない。それでも。せめて人並みの幸福くらい彼にもあっていいんじゃないか。そう思っている人間だっているんだと。それが彼の赦しになってくれればと。

ジェイドの背中に手を回す。あやすように背中を撫でれば、きつく私を抱きしめた腕の力が少しだけ緩まった。

「すき」

つい口を突いて出た言葉はジェイドの耳に届いたらしく、身体を離した彼は少しだけ目を細める。いつも通り……よりは柔らかい、私専用の笑みに戻ったその表情を見て安堵する。何が壊れるか分からない賭けをしてはみたけれど、ジェイドとの間にあるものだったら、何が壊れても私は耐えられなかったかもしれない。

「私もです」

言葉の後に、唇を寄せる。触れただけですぐ離れると、自然と笑みが零れた。

「何がおかしいんですか」

私が笑う理由なんて、絶対に彼は理解してる。言いながら私につられたように笑う彼に

「ないしょ」

と幼稚に返せば、彼も笑ってもう一度私に口づけた。