花言葉では及ばない


 いつもの昼休み、いつもの食堂。しかしながら、どうしてだか地獄に全く似つかわしくない華やかさが満ちていた。

「なんか今日、やたらキラキラしてないか? ……背景が」
「してるね、キラキラ……っていうか、フローラルって感じ」

 受け取ったばかりの盆を持ったまま、食堂内を見渡す唐瓜と茄子。どこからきているのか解らないが部屋の中で何故だか花びらが無数に舞っている。面子も装飾も普段と変わりは無い。けれど漂ってくる華やかさを目で追うと、その中心には冷徹を代名詞とする鬼神様の姿があった。
 そんな馬鹿な。どす黒いオーラや無言なのに目に見える圧力を纏っている時があるのは高頻度で見かけるが、そんな鬼神様が今は少女漫画の様な風景を背負っている。何かの見間違いかと、文字通り見る角度を変えるべくその席へと近づく二人。そうしてやっと、丁度人影で視認できていなかったもう一人が、鬼灯の正面で食事を摂っていることに気付いた。

「おや、唐瓜さん、茄子さん。お二人とも昼休憩ですか」

 鬼灯の声に振り返る正面の女性は、唐瓜と茄子の姿を見て頬を綻ばせる。

「はい」
「こんにちは、鬼灯様」

 流れのままそれぞれが隣の席へと腰掛ける。
 鬼灯の正面に座る女性。彼女のことは二人もよく知っていた。部署は違えど同じ獄卒仲間で、鬼灯の手伝いをしているところも度々見かけていた。ただ、この一ヶ月は見ていなかったから、共通の知り合いたちとどうしたのだろうと言っていたことを思い出す。
 しかし、そんな世間話をする前に、気になって仕方の無いことが起こっている。
 彼女の隣に座る茄子と、その正面に座る唐瓜。二人を和やかに見つめて微笑む彼女の頭上から、黄色い花弁が生まれてははらはらと床に落下していた。地獄にあるまじきあの華やかな景色の正体は、どうやらこれらしい。

「あの……眞喜さん、どうしたんですか?」

 どうかしたんですか、と言いそうになりなんとか踏みとどまる。お腹は減っているはずなのに箸を持つのもままならない。堪らず突っ込みを入れてしまった唐瓜に、鬼灯は「ああ、この状態の眞喜さんに会ったのは初めてですか」と頷く。

「彼女は呪いが得意なのは知っていましたよね」
「はい」
「よく鬼灯様に相談してたよね。呵責に使えないかって」
「そうです。オリジナル呪術を取り敢えず自分にかけて試験運用するという、何ともいえない悪癖の持ち主なのですが」

 割と直球で貶されているのにも関わらず事実と相違ない評価のために、彼女は照れたようにはにかんだ。揺蕩う花弁の色が、僅かに桃色を装う。
 曰く、現世の某界隈で『声の代わりに口から花が出る』という設定が流行っていたらしく。地獄でそれをするシュールさに彼女は惹かれたらしい。再現するために呪いのあれこれを緻密に組み上げ、いざ実践。呪いのしょうもなさ、実害のなさ故に自身を対象に選び、思惑通り声の代わりに口から花弁がこぼれ落ちる体質と相成った。本来なら言葉に因んだ花が花冠で発言するようにしたかったそうだが、術士本人の花言葉に対する知識の乏しさからそれは叶わなかったらしい。
 実験が見事成功して喜んでいた彼女だが、喋ろうとするたびわさわさと口から花弁が溢れ出す様が何とも間抜けで、更にはそれを顰めっ面の鬼神様に揶揄されて、口からではなく被呪者の頭部付近から花弁が舞い散るよう設計し直した、という訳だ。

「でもそれ、呵責には使えませんよね……」

 言い辛そうに眞喜の顔を覗く唐瓜。

「最早趣味の領域ですから、彼女にとってそれはそれで良いみたいです」

 宝の持ち腐れとは正にこういう事ですね、と心底呆れた声音で鬼灯は言う。
「でもこのシュールな絵面見てたら、インスピレーションが刺激されてきちゃうな」
 馬鹿と天才は紙一重。そういう意味で通じ合うものでもあるのか、茄子は降ってくる花弁を無造作にひとつ摘まんだ。

「不便じゃ無いですか? 仕事もプライベートも」

 漸く状況が腑に落ちて食事を始めた唐瓜が眞喜と鬼灯の顔を交互に見る。眞喜は時折ぱくぱくと口を動かしているが、やはり声は発せられず頭の上で花弁が散り乱れていた。亡者の呵責どころか、意思の疎通でさえ難しいのでは。

「まあ、仕事の方は問題ありません。私と彼女の付き合いももう長いので、事務仕事をこなす分には筆談だけで事足りますから」

 事も無げに地獄の鬼神は食後の茶を啜る。プライベートの方も、不便という程のこともない。呪いを自信にかけたといってもあくまで実用前の実験段階。いつもと同じく解呪の準備も万端だろうから、心配なんかも不要だろう。

「じゃあずっとこのままですか?」
「それは流石に困ります」

 定食を食べ終わり箸を置く茄子に思わず即答する鬼灯。

「普段なら長くても一ヶ月で解呪しているのに、どういう訳か今回は中々解呪しないんです」
「もしかして自分では解けない呪いになっちゃったとか……」
「こう見えてその道ではある意味才女ですから、その心配はないと思います」

 じゃあどうして? 不思議というか奇抜というか。顔を顰める二者に対して、当の本人は視線を斜め上に投げてとぼけ面。舞い散る百合色の花弁がこの上なく白々しい。

「……さて、私はそろそろ仕事に戻ります」

 言うが早いか、立ち上がって盆を手に取る鬼灯に、慌てて立ち上がる眞喜。午後の仕事は一緒なのか、速度を合わせることなく立ち去る鬼灯を眞喜はそそくさと追いかけていった。


 午後の裁判も恙なく終わり、常にない程順調に仕事が片付いていく。時刻を確認して、一度使った資料を片付けておこうと鬼灯は席を立った。ふと、視界の端に映る色鮮やかな朱色の花弁。部屋の入り口に目を向けると、眞喜が顔を覗かせたところだった。
 何かお手伝いすることはないですか。恐らく自分の仕事は終わらせ、手持ち無沙汰になって来たのだろう。唇でそう言葉をかたどりながら駆け寄ってくる。

「丁度良い。この資料を片付けに行くのですが、手伝って頂けますか」

 断れるなんてことは無いと確信があって敢えて問いかける鬼灯。嬉しそうに何度も頷く彼女の腕に、荷車に積みきれなかったいくつかの資料を持たせた。向かうは某資料室。室内に踏み入れて扉を閉めてしまえば、余程の物音でもない限り外に音は響かない。更に業務時間をとうに過ぎたこの時間だ。人目に付かない密室の出来上がりである。
 資料室に到着した鬼灯の密かな思惑など知る由もない眞喜は鬼灯を振り返り『これ、片付けて来ますね』と朱色の花弁を纏いながら部屋の奥へと足を進める。如何な飛び上がり者といえど、鬼灯が重宝するだけあって仕事は出来る女である。無駄のない動線で腕の中の資料を定位置へ。早々に両腕を自由にした眞喜は鬼灯の押していた荷車に向かおうと踵を返す。
 が、身体を翻しきる前に、背後から伸びてきた腕が顔の横を掠めた。右肩がその腕の持ち主に当たり、いつの間にか資料棚とその人の身体に挟まれていたのだと知った。所謂ジャパニーズ壁ドン。驚いて口を開く眞喜の頭上からは、小さく黄色い花弁がぱらぱらと飛び跳ねるように舞い散る。
 唐瓜に言った通り、日常生活にさして支障はない。それは本当だ。だがしかし、恋人の声を一ヶ月近く聞いていなくても平気な男などいるのだろうか。それも一日の殆どを傍で過ごしているというのに。少なくとも鬼灯は一ヶ月様子を見て、我慢してきた。だというのに昼間の彼女を見るに、何を目論んでいるのだか知らないが解呪を行う気は無いようで。こうなれば強硬手段をとるのも吝かではないと、鬼灯は行動に出たのである。
 挙動不審に花びらを散らし続ける眞喜の耳に唇を寄せ、息を吹き込んだ。びくりと眞喜の身体が揺れ、赤い花弁が一枚落ちる。何かを言いたげに鬼灯の腕を押す眞喜を丸々無視して、そのまま耳殻に唇を這わせた。この体質になる前の彼女なら、口答えをして抵抗を試みつつも、あっという間に腰砕けになっていた事だろう。少しずつその量を増やす花弁は床に落ちる頃には影も形も無くなって、相変わらずどういう仕組みなのだろうとかすかに思った。
 後ろからでも分かる程耳の先まで赤く染まった頃を見計らい、次は腹に手を回す。あくまで着物は乱さず、生地の上から身体の線をなぞっていく。

「他人に声を聞かれる心配も無いことですし、ここでこのまま……というのもいいかもしれませんね」

 しゃあしゃあと宣う鬼灯を、眞喜は勢いよく振り返り睨み付ける。しかし鬼灯にとって、真っ赤な顔で潤んだ瞳を向けられれば、そんなものは劣情を煽るひとつの要素にしか成り得ない。構わず耳や項に唇を這わせると、止め処なく真っ赤な花弁が零れ落ちる。見計らったように音を立てて耳を吸い上げると、視界を赤が覆い彼女の膝ががくがくと震えた。
 あまり煽りすぎてお互いスイッチが入ってしまっても、こんな場所で本当に眞喜の足腰が立たなくなってしまっても困る。荒い呼吸を整える時間を束の間やろうと、鬼灯は攻める手を止めた。

「口で言わないと、本当にこのまま続けますよ……?」

 低い響きが眞喜の鼓膜を震わせる。眞喜は自身を支える鬼灯の腕に手を添えると、ぐったりしたまま口を動かし始める。花弁の雨は止んでいるのに、密着している鬼灯には確かに言葉を発しているかのような震動が伝わっていた。動きを止めて様子を見ていると、眞喜の頭上にひとつの蕾が。朱色の花は間もなく膨らみ、その花弁が色褪せるとみとつの実を産み落とした。眞喜は静かに落ちるその実を両手で包み込むように両手で受け止め、口に運ぶ。咀嚼することなくその実を飲み下して、一度大きく呼吸をした。
 今のが解呪の儀式なのだろう。地獄の鬼神を模した実を取り込むというのは何とも不遜で――それでいて愛らしい。意図せず熱くなる身体を鎮めようと、鬼灯は喉を上下させる。

「――ほ、」

 そんな鬼灯の情緒など知らない眞喜は両手を目の前の棚に付き、首を捻って再び鬼灯を睨み付けた。

「鬼灯様の意地悪!!――ちょ、」

 真っ赤な顔で童のように憤る眞喜。鬼灯はここぞとばかりにその口を塞ぎ、瞬く間に口内を余さず舐め上げる。仕上げに音を立てて唇を吸い、未練がましく繋がるその糸を断ち切った。

「さっさと片付けを終わらせて、私の部屋に行きましょう。貴女の声をたっぷり聞かせてください」

 至近距離で告げられたのは、死刑宣告の気がしてならない。ただ鬼灯が少しでも焦れてくれればと解呪を先延ばしにしていただけなのに。雉も鳴かずば撃たれまい。啼かなかったが故に、鬼神を焚き付けてしまった女の末路は如何に。

 その後一晩中しっかりと鬼灯に啼かされてしまった眞喜は、暫くの間自身で呪いの実験を行うことは無かったという――。