割れ鍋


 壇上の幹部が舞台裏へと姿を消し、会場内の空気がほんの僅か弛緩する。リ・デストロによって公にされた改革的な新体制を受けて熱狂していた空気は、天上照明が高度を増すとともに落ち着きをみせ、今やその余韻を残すだけとなった。やがて騒めきだす会場内で参加者の動きがその場に残る者と会場を後にする者とに二分され始めた頃、ある人物に張り付かせた一枚の剛翼に神経を集中させる。
 てっきり壇上に姿を見せるものと思っていた、敵連合の古株。幹部として名を冠する事の無かった彼女はしかし、会場内でしっかりと高説に耳を傾けていた。舞台以外の照明が落とされた会場で周りに他人を寄せ付けず一人佇むその姿を見た時、探るなら今だという直感に従って剛翼を飛ばしたのだ。
 どうやら彼女は集会の幕が下りて早い段階で会場を立ち去っていたらしく、少し離れた場所を歩いているのが感じられる。表向きの業務へと戻るためそそくさと会場を後にするヒーローたち。その節操のない"もどき"共と同じく、俺も仕事に勤しむかと足を動かし始めた。

 戸籍上は無個性。中学三年時に両親と離別。その後は母方の親戚に引き取られ、地元の高校へと進学。そして彼女が高校二年の春、その親戚一家は彼女を含めてまるごと行方不明となっている。これら一連の出来事の関係性、事件性は一切不明。なんなら彼女の同居人が全員失踪しているという事実は、敵連合の中に在った彼女の素性を公安が後追いで調査してから浮上したものだった。
 その失踪に彼女はどこまで関与しているのか。両親との離別は果たして本当に只の強盗によるものだったのか。疑う為の余白は有り余るほど。しかし決定的な証拠や裏付けるものは一切合財見つからない。
 かくして、火はなく煙のみで漂っているかのような存在感の少女。それが田中眞喜だった。

「すみませーん」

 軽薄さを意識した声音で、その後ろ姿に話しかける。無防備に振り返る少女に駆け寄って、ほとほと困り果てたという表情を見せつけた。

「すみません、道に迷ってしまいまして。出口ってどっちでしたっけ」

 後頭部を掻きながら、無能を演出。田中眞喜はさして警戒する素振りも迷惑気な様子もなく

「こっちです。ちょっと遠いので、案内しましょうか」

と、もともと自分が向かっていた方向へと人差し指を立てた。

「ホントですか! 助かります」

 まさか案内役を買って出てくれるとは。渡りに船とはこの事らしい。顔の前で合わせて同行を懇願するよう準備していた両手は行き場を無くして、まごつきながらもポケットの中へと落ち着かせた。振り返って歩き出す彼女と一歩距離を詰める。死角から彼女へと張り付かせた剛翼を回収して、彼女と横並びに立った。
 口数は多い方ではないが、敵連合の中では比較的良心的で常識的。厭世的な態度こそあれど、普段の物腰や物言いは決して攻撃的ではない。これまで幾度か彼女と接してきた俺個人の印象としては、彼女はそんな人間だった。正直なところ、彼女が何故敵連合に籍を置いているのか、何故彼らと共に破壊活動に勤しむのか。その生い立ちの余白に何が描いてあるのか未だ判然としない事を含めて考えても、釈然としない。余白の色は白か黒か。それによっては、彼女の立ち位置を変え得るのではないかと、俺は考えていた。
 チャンスはここだ。邪魔者のいない今この場所で、その可能性の有無を暴きたい。我ながら少々強引、性急だとも思うが。それを懸念だと感じる程勝率の低い賭けだとは思っていなかった。

「何回か来てるんですけどねぇ。こう広いと何処に何があるのか中々覚えられなくって」
「慣れですよ。多分私も普段行かない階層とかだと迷っちゃいます」

 他愛のない会話でも律義に乗っかってくる彼女。実の無い会話を続けながら、どうやって核心に触れようかと思案を巡らせる。
 下手につついて俺が二重スパイだということ、更には田中眞喜をこちらに寝返らせようと目論んでいることが直ぐにバレてしまうのは流石に避けたい。ただ、常に誰かと一緒に居ることの多い彼女と二人きりになる機会は、これを逃してしまうと次がいつになるか分からない。善は急げとも云うだろう。丁度ひとつの話題も終わり、次の会話を切り出すタイミングだ。腹を決めて、いくらでも誤魔化しの効く、しかし最短距離の言葉を発した。

「田中さんは、何でここに参加してるんですか? 後学の為に教えてくださいよ」

 敵連合以外のところからこれだけ人数が増えたんだ。それこそ異能解放戦線のメンバー辺りにきっとこれまでも尋ねられたことはあるだろう。歩きながら俺を見上げる瞳が前髪の隙間からちらりと覗く。

「俺はヒーローをこの社会からなくしたくて……ってとこなんですけど」

 俺への反応が訝しみに変わるその前に、おどけて笑って見せた。隙を見せつつ様子を伺う。彼女は特に怪訝そうな表情を見せる事もなく、視線を進行方向へと戻した。五メートル程無言で歩いた後、普段通りの語気で彼女は語る。

「この社会の価値観を一度まっさらにしたい。それが目的。動機は……私を助けてくれたのが敵だったから。ざっくりだけど、こんなところです」

 間を空けたのは言葉にまとめるためか、言葉を採択していたからか。切り崩していくとしたら、動機の方だろう。彼女の言う"価値観"も気にはなるが、それはさっきまで散々ご高説を頂いていたから食傷気味で掘り下げる気が起きなかった。

「じゃあ、その助けてくれたのが敵じゃなくてヒーローなら、田中さんとは会えてなかったですかねえ」

 前触れなく、彼女の足が歩みを止める。並んで歩いていた俺は必然的に彼女の斜め前で立ち止まり、彼女を振り返る。こちらを見上げる彼女の瞳は、真っ直ぐにこちらを見据えていた。

「その“もしかしたら”が存在する意味、判ってますか」

 俺は間違いなくピンポイントで彼女の地雷を踏み抜いたらしい。楽観視だらけの俺の目論見はこの一瞬で砕け散り、更には俺自身を襲う爆弾へと変貌を遂げる。
 良心的で常識的。俺は何を材料に、この少女を測っていたのだろうか。白か黒か。そんなもの、考えるまでもない。彼女は紛うことなく敵側だ。正面から見た彼女の瞳は、柔らかな光を水面に反射している。しかし、金継ぎされたような虹彩のその奥。水底に沈む彼女の瞳孔には黒々とした炎が確かに灯っていた。
 思わぬ彼女の方寸にたじろいでしまった俺は二の句を継げず、遅れて対応を思案する。状況は非常にまずかった。

「あんまりウチのお嬢を苛めないでくれよ、No.2」

 突然湧いて出た第三者の声と姿に目を瞠る。どこからともなく姿を現したMr.コンプレスは田中眞喜の隣に立ち、その肩を抱き寄せた。飄々とした口調は普段通り道化じみているが、選ばれた二人称には隠す気のない敵愾心を感じる。敵連合の中でも飛び抜けて腹の読めない男だが、その過剰なまでのボディガードっぷりを見てむしろ冷静さが戻ってきた。

「やだなあ、ただの世間話じゃないですか。気を悪くさせちゃったならスミマセン」

 あくまで表面上のやりとりだけを掬って愚直な態度で受け流す。アイロニーは別にアンタの専売特許ってワケじゃないんだぜ。頭を下げての平謝りに田中眞喜は気まずそうに眉尻を下げる。その表情は先ほどとは打って変わって俺の印象通り、少女らしくいたいけにすら感じた。

「私の方こそすみません。これから一緒に活動する仲間なのに、あんな態度をとって」

 しめやかな物言いでMr.コンプレスの腕を振りほどかずに陳謝する彼女は天然なのだろうか。ついさっき敵としての地をこの目で見たばかりだというのに、彼女の本質はどこなのか見失いそうになる。情報は武器だ。そういう意味でも彼女との会話を続けたいところではあったが、それは彼女の隣の男が許してくれそうもない。

「この通路の」

 自前のものではない無機物の腕で、Mr.コンプレスは俺たちが進んでいた方向を指さす。

「突き当たりを右に曲がったら玄関ホールに出る。道案内はここまでで十分だろ」
「お二人ともありがとうございます、助かりました!」

 今度こそ両手を顔の前で合わせて腰を折り、素直にMr.コンプレスの指さした方向へと歩みを定めた。

「またね」
「ヒーロー活動頑張ってくれよ。俺たちのために」

 背後から浴びせられた、再会を受容する言葉と皮肉そのままの台詞。その両方に片手を振って別れを告げた。
 Mr.コンプレスの言葉通り、最短距離で玄関ホールに辿り着き、未練無く出口を潜って陽を浴びる。特段気を張っていたわけでもないのにいつもより余分に疲労を感じるのは、気のせいじゃない。やはり地道に堅実に道を築いていく方が俺には合っているのだろう。
 きっと上手くいく。その希望的観測の材料になったのは彼女の性質か俺の生い立ちか。それを知ったところで、最早毒にも薬にも成り得ないだろう事はよく解った。敵方もそうしたように、俺もこの件は捨て置こう。今まで通り、目立たず抜け目なく、自分の仕事を遂行するだけだ。未来を照らすヒーロー活動に邁進するため、翼を広げいつものようにアジトから飛び立つ。
 そういえば、一体どこから現れたのかと思ったMr.コンプレスだったが、あの二人から視線を外す直前、田中眞喜の胸元にあったネックレスがチェーンだけになってたことに気がついた。初めはただのガラス玉だと気にも留めていなかったが、まさか圧縮されたMr.コンプレス自身だったとは。過保護を通り越して異常な執着を感じるな。脳裏を共依存という言葉が過るが、敵相手の情状を掘り下げたところで無駄な火傷を負うだけ。触らぬ神になんとやら。清々しい青空の中で頭を振って雑念を消し、俺は次の仕事の段取りを思い浮かべた。


 ホークスが廊下の向こうへ姿を消すまで、ミスタは視線を外すことはしなかった。けれど彼の背中が小さくなるにつれて私の肩を抱く腕は徐々に下がっていく。ミスタの手が私の軽く握った手を割って、指の腹全体で私の手のひらを優しく撫でる。全くミスタは心配性だ。ホークスが見えなくなった頃を見計らい、「大丈夫だよ」とミスタを見上げた。

「そうかい」

 肩を竦めながら、ミスタは漸く私と目を合わせる。

「けどやっぱり、ヒーローを相手にすると駄目ね」

 今度は私が彼の手を握り、指先の力を入れたり抜いたり手遊びをする。
 ホークス。彼がここに居るのは私たちの思想に共鳴してか、それとも私たちの足を掬うためか。どちらにせよ駆け引きは荼毘に任せて、今は彼と歩調を合わせる時期だとは解っている。それでも彼の無自覚な台詞を聞いただけで、その言葉を発した彼がヒーローだというだけで、ついカッとなってしまった。ミスタの心配する通りだ。

「まあまあ、そんな落ち込むなよ」

 手を繋いだまま、ミスタは私の正面へと回り込む。私の頭を優しく撫でる手つきは子供をあやすそれのようで、波立っていた心が落ち着いた。

「さ、アイツらの所に戻ろうぜ。今後の打ち合わせがある」

 握ったままの私の手を引いて、ミスタは身を翻した。気障ったらしい動きは鳴りを潜めていて、迫圧紘を思わせる彼を見てふと思う。

「……ミスタ、ちょっと怒ってる?」

 ピクリと反応する肩越しにミスタの仮面を覗き込んだ。肯定も否定もせず歩き出したミスタに、私も置いて行かれまいと足を動かす。

「ちょっとな。――腹は立ってるかもなあ」

 ほんの僅かだけど、険のある声音をアジトで聞くのは凄く珍しい。ミスタは私の手を握る力を強くした。
 私がここに居る理由も、ここに至った経緯も、ミスタは全て知っている。圧紘さんは、私の気持ちも覚悟も全て知っている。その疵だらけの全てを知ったように言われて、苛立っている。それは私の為かも知れないし、彼の個人的な情緒かも知れない。それでもその事実ひとつが嬉しくて、私の手を握るミスタの腕にすり寄った。

「大好き」
「……知ってるよ」

 静かに言葉を交わしながら、私たちは道を進む。

 壊れたものは直らない。どんなに上手に繕ったって、元のそれとは別物だ。それでも私たちには手に入れたいものがあって、失いたくないものがあって、成し遂げたい事がある。どうしようも無くなった私は、それを世界の全ての人に、伝えたかった。