クリスマス

 年末最後の登校日。学生にとって終業式とホームルームが終わってしまえば、そこからはもう冬休みだ。年末が近いこともあって浮かれた空気の駅前は誰も彼もが楽しそうに相好を崩している。そんな中、いつもと同じで可愛げのない表情をしているだろう私は浮いて見えたりするんだろうか。
 嫌なことがあれば当然気分は落ち込む。大きく溜息でも吐きたいところだけど、他人がこれだけ居るところではそれも憚られた。結果息を詰まらせて、胸の奥底を満たす泥水はますます嵩を増す。
 いつも通り利用することもなく、通り過ぎるだけの駅前広場。けれど今日は寄り道をしたとして、それを咎める親は夕方まで帰ってこない。受験生といえど、少しぐらいの気分転換は必要だと欲が擡げる。例え勝手なことをしたのがバレて怒られたとしても、叩かれたとしても。結局はあの人の気分次第なんだから、私が何をしてもしなくても意味は無い。
 捨て鉢な考えが頭を占めて、誘われるように足が駅の構内を向く。その時、聞こえるはずのない声が耳を掠めた。
「眞喜」
 かすみ始めていた視界を引き戻して振り返る。
「――圧紘さん」
「よ」
 その声を聞くだけで、姿を見るだけで。強ばっていた心が解れて陽にあたったみたいに安らぎが訪れる。言下に圧紘さんへ駆け寄る私。彼の目には私のお尻に尻尾でも見えているかも。
「平日の昼間っからこんなトコで何してんの」
 咎めるような調子が全くない声音は、彼の価値観がアウトローな証拠だ。
「今日は終業式だったから。お昼でもう終わりなの」
 なるほどなと頷く圧紘さんに促されて、ふたり連れ立って広間の隅に移動する。駅ビルの壁際で立ち止まったところで圧紘さんは何事かを考える仕草をして見せた。私も少し考える。こんなところで圧紘さんに会えるなんて偶然を、どうすれば途切れさせずにいられるか。私が妙案にたどり着く前に、圧紘さんが先に口を開く。
「これから昼飯行こうと思ってたとこなんだけどさ」
 言葉のすべてを聞く前に、期待に胸が弾んだ。
「眞喜も行こうぜ。奢るからさ」
「……いいんですか?」
「勿論。おじさんの寂しい昼食に付き合ってくれよ」
 おどけて肩を竦めてみせる圧紘さん。時々自分のことをおじさんと称する圧紘さんだけど、見た目は全然お兄さんにしか見えない。いつだったかそれを指摘すると、「中学生からしたらおじさんだろ」と木で鼻を括った返しをされたことを思い出す。いつも何故かそこだけは頑ななのがおかしくて、笑みが零れた。そんな私を見て、圧紘さんは柔和な表情で私の返答をじっと待つ。
「お言葉に甘えます」
「じゃあこの辺で適当な店入ろうぜ」
 適当なところ。と言いながら、圧紘さんは私に何が食べたいのかを聞いてくれた。圧紘さんと一緒ならそれこそファストフードでもファミレスでもいいんだけど。けれどそれは圧紘さんが不服らしく。最終的にはオムライスがある全国チェーンの喫茶店に入ろうと決めた。
 圧紘さんの案内で、初めて入る喫茶店のドアを潜る。中学生だけで入れるようなお店ではないけれど店内は明るくて、お客さん同士の会話も気軽にできるみたいで話し声が耳朶に触れる。お好きな席にどうぞとの案内に従って奥のテーブルに向かい合って座り、各々遅めの昼食をオーダーした。
「もうすっかり年末ですね」
 料理を待っている間のなんてことない世間話。圧紘さんと話すときは歳も離れているから、切り口は返事に困らない凡庸な話題に自然となっていた。
「年明けたら眞喜は受験だろ? 進路は決まったか?」
 以前進路に迷っていると話したことを覚えてくれていたらしい。私が今日いじけていたのは、正にそのせいだった。圧紘さんと会う前の気分に引っ張られて、自然と視線が泳いでしまう。
「……まだ、決まってないんだよね……。行きたいところはあるんだけど、親は違うところにしなさいって」
 母親は私を遠いところに行かせたがらない。本当は家を出て寮のある学校に行きたいけど、無個性の私を心配してくれているのは分かっているから、母親の提案も無碍にし辛くて。どちらをとったらいいのかまだ決めかねている私に、担任の先生も困り顔だった。今日行われた今年最後の面談で先生が言った言葉を思い出し、心の中で頭を振った。
「眞喜の親は何というか……過保護だよなあ」
 お水のグラスを置いて、ぼやくように圧紘さんは呟く。
「私が無個性なのがいけないんですよ。何かあっても自分で身を守れませんから」
 この超常社会で無個性は圧倒的マイノリティ。珍しくはないといっても、やっぱり大多数との差はあって当然なんだろう。
 全部事実で仕方のないこと。別に私だってそれを悲観して嘆いているわけじゃない。私の言葉を聞いて肩眉を下げシニカルに口角を上げる圧紘さんは、それが私の強がりだと見透かしているみたいだった。
「お待たせ致しました」
 圧紘さんがなにか喋るかと思ったら、ここで話題の一区切りだというように無遠慮に料理が運ばれてくる。私も、目の前に置かれた美味しそうなオムライスを無視してまで続ける話題じゃないと
「いただきます、圧紘さん」
 手を合わせて黄金色の魅惑に飛びついた。
「どーぞ」
 小さく笑いを零しながら圧紘さんも続けて運ばれてきた自分の料理に箸をつける。
 最近主流のふわとろオムライスもいいけど、しっかり焼かれた卵もいいものだと思う。チキンライスを卵で巻いただけなのに、このりょうりはどうしてこんなに美味しいんだろう。スプーンで掬って口に運ぶたび、卵とチキンライスが素晴らしいマリアージュを奏でる。全部食べてしまうのが勿体ない。そんなことを言うと、圧紘さんはまた可笑しそうに肩を揺らした。
 食事中の会話はささやかなものだった。年末年始の予定はどうだとか最近急に寒くなってきただとか。そんな何気ない圧紘さんとの会話が私を穏やかにする。
「今日圧紘さんに会えてよかったです。……ちょっとへこんでたから」
 最後の一口を食べ終わってスプーンを置く。私の方が先に食べ始めたのにいつの間にか食事を終えていた圧紘さんはお冷やのグラスを置いて「そうだな」と頷いた。
「眞喜。両手出してくれる?」
 先の言葉を不思議に思う間に問われる。言われるがまま両手を揃えて差し出すと、圧紘さんはどこからともなく小さな紙袋を取り出した。別にタネも仕掛けもないんだろうけど、手つきは手品の時と同じそれでつい視線を奪われる。そっと私の両てのひらに収まった紙袋には『MERRY CHRISTMAS!』とプリントされた可愛らしいシールが貼られていて。無意識に「え」と声が漏れた。
「ちょっと遅くなっちまったけど」
 ――私はいつも圧紘さんにもらってばかりだ。何も返せるモノなんて無いのに、受け取ってもいいのだろうか。そんな考えが過るけど、圧紘さんに「開けてみ」と笑みを向けられれば突き返すのも違う気がした。言われるがまま丁寧にシールを剥がして、中身を取り出す。透明の内袋に入ったそれは、大ぶりのバレッタだった。シルエットは大人びているけれど連なる装飾は可愛らしい。高校生になっても使えそうなデザインだ。それに何より。
「アクセサリーとかよりそっちのが眞喜はいいだろ?」
 私は、ブレスレットやネックレスみたいに、肌に直接触れるようなアクセサリーは着けられない。それを圧紘さんは知っていて、他人なら避けて然るべき私の不細工を、圧紘さんは当たり前のことのように受け入れてくれている。改めてその事実に涙腺が緩んで、瞬く間に視界が滲んだ。
「――ありがとうございます」
 プレゼントを胸に押し当てて圧紘さんを向く。けれど、圧紘さんからのプレゼントはこれだけでは終わらなかった。
「それ着けてさ、行こうぜ。初詣」
 私の胸の中心を――手の中のバレッタを圧紘さんは人差し指で指し示す。
 ――受験勉強をしないといけない。――初詣の人混みでインフルエンザにでも貰ってしまうかも。――そもそも、あの母親が外出なんて許してくれるわけがない。色々な隘路が具体的な形を伴って頭を過るけれど、それらすべてを差し置いて私の口はひとりでに言葉を絞り出した。
「――はい」
「じゃあ決定だな」
 私が言うなり、圧紘さんは言質を取ったとでもいうように満足げに口角を上げて指を鳴らす。
「どこ行く? あそこの神社なら出店もたくさん出るぜ」
「あ、いいですね。そこなら朝からでも」
「オッケ。じゃああの辺に集合で」
 お参りする神社。集合場所。集合時間。一瀉千里に元日の予定が組み立てられていく。もう取り消しは受け付けないとばかりに、圧紘さんはトントン拍子に話を進めていった。私もその流れに置いて行かれないようにしようと、空になった食器を挟んで相づちを打ったり自分なりの案を出したり。まるで友達とするように言葉のキャッチボールを続ける。
 気がつけば圧紘さんとの約束は地に足がついたものになっていて、あとはもう、当日を迎えるだけという具合にまで煮詰まっていた。
「ありがとうございます、圧紘さん」
 喫茶店を出て帰路の途中。別れ際の四つ辻で、圧紘さんを見上げた。
「どういたしまして」
 今日、私を見かけて声をかけてくれたこと。ご飯に誘ってくれたこと。バレッタをくれたこと。来年の私に約束をとりつけてくれたこと。そのどれもに私の心は震えたけれど、何より。強引にでも約束の話を進めてくれたことが嬉しかった。
 諦めることが普遍となって、それでも今の自分を放り投げることができない私に、圧紘さんはこうやって追い手を吹かせてくれる。そして圧紘さんの表情を見て、それは私の恣意的な解釈じゃないんだと理解する。私は圧紘さんの手のひらで上手く転がされていて、圧紘さんもそれを隠そうとしていなくて。
 私と圧紘さんの関係は非常識なものかもしれないけれど。常並みには生きられない私には、何にも代えがたいものだった。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
 無造作に持ち上げられた圧紘さんの手が私の頭をひと撫でする。髪を直す必要もないくらい未練無く離れた手はそのまま横に二往復。私も圧紘さんに小さく手を振って、すっかり日の傾いた往来に戻る。
 暖まった心がかじかむ前に。圧紘さんにもらった小さな灯りをそっとしまって、私は家路をひとり辿った。