過去の真実と人物、想い



コンクリートでタイヤが擦れる音が耳をつんざく。嫌な音と共に人の声のようなものが聞こえたが、それもすぐにタイヤの音に塗りつぶされた。道路の方へ目をやると、狭い裏路地を無理やりに通っているワゴン車が。無茶なハンドル捌きでビルの入り口に嵌められているガラスを破り、飛び込んで来た。その様と辺りに反響する音は正に『轟音』と呼ぶに相応しく、あれだけの運転で車体に傷ひとつ無いのを見れば運転手のテクニックが如何に優れているかが伺われた。ワゴン車が止まり、タイヤとコンクリートの摩擦で生まれた煙が消える頃には辺りはしんと静まり返る。オレの後ろにいるヤツらも何が起こったのか瞬時には分からなかったようで、誰かが固唾を呑む音が聞こえた。様子見を決め込もうとすると同時に、ワゴン車のドアが、それこそ取れるかと思うくらいの勢いで開かれる。中からは男が飛び出し、何かを叫んだ。

「ユキ!!無事かっ!?」

――そうだ、平和島静雄……。全ての元凶であるヤツがワゴン車から降り、一雪乃に駆け寄った。雪乃は振り返り、静雄の後に降りてきた門田、遊馬崎、狩沢によって解放される。無意識の内に自然と左手が握り拳になり、何故かその状況を傍観する美邦。

「大丈夫か、ユキ?」

おかしな薬を嗅がされた上に拉致されたのだ。大丈夫なわけはないが、それでも静雄の口から出るのはその類の言葉だけだった。雪乃は心なしか安堵の表情を浮かべ、これも無意識だろうが瞳に涙を溜めながらも静雄の自分を案ずる言葉にコクコクと頷いていた。

「護れなかった……。本当に悪い……」

壊さないよう細心の注意を払いながら、静雄は雪乃を抱きしめる。雪乃も「大丈夫、助けに来てくれてありがとう」と言って抱きしめ返すが、それを中断させたのは異様な音だった。それは骨が軋むような、低く鈍く、その場にいる誰の耳にもよく届く音だった。



           ♂♀
  


異様な音により、まるでそこに居たのを思い出すようにその場にいる者の視線が集まる。ひとりの男が、音源に向かって恐る恐る近寄り、顔を覗きこんだ。

「美邦さん……?」

その声を皮切りに、静雄は雪乃を庇うように立ち、京平が雪乃の四肢を縛る縄を切る。赤くなった手首を気にする様子もなく、雪乃も静雄の斜め後ろに立ち上がった。美邦はその様子を見て、無意識の内に更に左手に力を込めた。その行為によって生じる音で、先程の音の正体が判明する。みしみしと、美邦の掌が軋んでいく。……不愉快だナァ。実に本当に至って殊の外甚く能く非常に極めて然許ひどくこの上なく

「――不愉快……イヤ、不快だヨ」

そう言った美邦は雪乃と静雄を捉え、その表情は限りなく白であった。その美邦を見て、雪乃は一瞬表情を曇らせたかに見えたが、すぐに静雄がドスの効いた声で美邦を睨みつけた。

「アァ?手前、何言ってやがる。……ユキ、下がってろ」

話すことは無い、只手前をブチのめす。そう言わんばかりの静雄に雪乃は一瞬躊躇ったが、不承不承、といったように一歩下がって目を伏せた。

「オイオイ、手前ら、今更無事に帰れるとでも思ってンのかァ?」

ようやく掌を開いた美邦は嘲笑うように肩を震わせ、後ろに群がる内のひとりに視線を投げかける。頷いた男はどこからともなく手の平大の筒状の物を取り出し、それを美邦と静雄の間に放り投げた。床に落ちた衝撃でソレは開き、音を立てながら辺りに煙を吐き出し始めた。

「――っ!!」

咄嗟に静雄は身構えるが、煙は見る間に立ち込めて、しっかりと視界を遮られた。全く役に立たない視界の隅から、美邦のやはり嘲るような声が飛び込む。

「アンタらみたいな化け物と真正面からヤりあう気なんてあるわけないだろォ!?」



           ♂♀  



「――静雄っ!!」

見えない、けれど確実に前に居るはずの静雄に、雪乃は手を伸ばした。しかし、その手は静雄に取られることはなく、真横から伸びてきた美邦の手によって掴まれる。雪乃は驚くが、悲鳴を上げることも暴れることもせず、美邦によって数メートル離れた所の壁に押し付けられた。少し離れた所で静雄の声と、美邦の部下であろう人たちの声が聞こえる。どうやら静雄と八咫樗の間で喧嘩が勃発したらしい。もしかしたら門田たちも応戦しているかもしれない。そう思い、雪乃の眼が自然と泳いだ。しかし、その視線は直ぐに目の前の美邦に固定される。

「アンタさぁ、オレたちのトコ戻ってくる気ねェの?」

想像していた通りの言葉に、雪乃ははっきりと首を横に振った。やはりこちらも想像した通りのようで、美邦は苛立つことなく言葉を連ねた。

「何でだよ?アンタはアイツに復讐するために近づいたんじゃなかったのかよ?」

やけにハッキリと耳に届くその声に雪乃は顔を苦渋に顰める。が、雪乃はゆっくりと口を開いた。始めは弁明するようで嫌だったが、やはり美邦には話してほいた方がいいような気がして。

「……最初は、そうだったかもしれない。でも、それは直ぐに好奇心に変わったの。セルティさんと……首なしライダーたちと知り合ってから、いつの間にか楽しくなって、離れたくないとか思っちゃって」

静かに心情を吐露する雪乃に、美邦は今度こそ苛立ったように雪乃の胸倉を掴み上げた。

「手前ェ、自分の所為で起こったこと、忘れてんじゃねェだろうな?」

「分かってる。……知ってる。八咫樗のことは全部わたしの所為で……」

その達観したような物言いに、美邦の怒りはますます増大する。――違うンだよ……。オレが言いたいのは――。

「……アイツが憎くねェのかよ?」

「……あのことは、静雄がしたことでも原因はわたしだから…。それに静雄は……いい人だった」

雪乃が首を横に振ると同時に、ふたりの直ぐ横で鈍い音が鳴った。

バキッ

「――がっ!」

「――ユキ!」


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