ようやく訪れた結末



平和島静雄が池袋に生きる人間の中で最も恐れられ、『絶対に喧嘩を売ってはいけない』、『バーテン服を見かけたら逃げろ』と云われる理由を、美邦は今ようやく理解していた。あれだけ大勢いた八咫樗のメンバー。20人あまりも居た筈のメンバーは今や見る影もなく、全員床に倒れ臥している。残っているのは美邦を含めて3人。美邦以外の2人は既に恐怖に気圧されてしまっているようで、ナイフを握る手が定まっていない。

「こっ、この化けモンがァ!!」

1人が叫びながらスタンガンを手に静雄に突っ込むがあっさりとかわされ、すれ違いざまに腹部を殴打される。続けてもう1人もナイフを構えて飛び掛るが、静雄が先の1人をそのまま投げつけ、呆気なく床に打ちつけられた。

「――っ、」

最後となった美邦はバタフライナイフを静雄に向け、仲間の轍は踏まないとばかりに慎重に様子を伺う。雪乃がここを離れてから無言で八咫樗のメンバーたちを薙ぎ払った静雄が発する気は『怒気』というには生温く、それは正に『殺気』というに相応しい空気。静雄は小さく息を吐き、ゆっくりと美邦と対峙した。相対する美邦の顔には今まで宿っていた嘲笑は無く、それほどまでに余裕がないことが伺える。しかし美邦は攻撃を仕掛けることはなく、放ったのはナイフではなく言葉だった。

「アンタさァ、アイツの何なワケ?」

「ア゛ァ?」

美邦が何を言っているのか咄嗟に理解できなかった静雄は怒りと苛立ちに任せ、ドスの効いた声で応答する。美邦は指先の力だけでバタフライナイフをくるくると回しながら、ねめつける様に静雄を見た。

「だからさァ、アンタはなんでアイツの為にここまでするワケ?何、化け物の好とか?」

「…………」

美邦に問われた行動原理。静雄はソレに答えるのに言葉に詰まる。自分は考えてから行動する性質ではない。それは新羅や門田からも言われるし、自分でも自覚している事。今回の事であっても、静雄自身、考える前に勝手に体が動いていた事だった。改めて自分の行動源について問われると、静雄は首を傾げる他ない。やがて静雄は考える事を止め、バキバキと指の骨を鳴らす。

「……テメェには関係ねぇ!」

これもやはり何時もの事で、静雄は自分の本能のまま、自分の望むままに行動した。拳を振り上げ、眼の前の人物に、雪乃に危害を加えた輩に力いっぱい自分の怒りをぶつけるように。しかし美邦はそれを紙一重でかわし、極僅かな動きで静雄の腕にナイフの刃を走らせた。互いの位置が入れ替わった頃、静雄のシャツは破れ、皮一枚だけ切れていた。美邦はそれを目にして呆れたように肩を落とす。

「オイオイ、マジかよ。アンタ何すれば死んでくれンの?」

そう言いながらナイフを構え、美邦は静雄の襲撃に備えるが、見据えた先にはもう、静雄はいなかった。

「テメェの為に落とす命なんざなェよ!」

当人の声によって振り返れば、静雄は既に美邦の横側で、拳を構えていた。

「!!!」

美邦が反応しきる前に静雄の拳は美邦の横脇腹を捉え、クリーンヒットする。

「ゲッ、」

短く呻き声を上げた美邦は床に倒れ、直ぐに気を失った。

「ッ、フー……」

それを確認した静雄は手首を鳴らし、踵を返す。呆気なく、メンバー全員が蹴散らされた八咫樗。そしてまた八咫樗のリーダー東屋美邦も、かの『自動喧嘩人形』の前では只の人の子に過ぎなかった。



           ♂♀



静雄は深夜の池袋を走る。新羅の家へと向かうため。そして、雪乃の無事を確認するために。美邦に問われた『雪乃は静雄にとって何なのか』。その答えは今になって、静雄の頭の中に浮かんでいた。
雪乃とはつい10日程前に、それもほんの些細なことがきっかけで出逢っただけ。それでも、彼女と過ごした、たった数日の記憶は静雄の中に重く圧し掛かる。雪乃と会えば自然と、ありのままで過ごせるし、何より、心が穏やかでいられた気がした。彼女といる間は苛立つ事もなく、暴力を振るうことも無く。『人間』として接してくれる数少ない人物。そんな彼女の隣が心地よく、彼女が姿を眩ませた時はそれこそ気が気じゃなかったし心ここに在らず、という感じだと周りの人間は言う。逆に、雪乃の姿を久しぶりに見たときは心底安堵したし、攫われた時は全身の血液が沸騰するかと思うほどの怒りに苛まれた。そして新羅から彼女の正体を聞いた時は、何故オレには話してくれなかったのかという考えも浮かんだが、それと同時にそれがどうしたという思いもあった。
最早オレにとって雪乃は雪乃。偶然夜の池袋で出会い、不運にもこの喧嘩人形を用心棒に付けられ、怖くないのかと問われれば笑顔でそれを否定した只の変わった女子高生だ。オレにとってはそれ以下でもそれ以上でもない。オレは只、彼女の隣に居たくて、無理の無い、彼女の心からの笑顔をまた見たいだけだ――。


   ♂♀


「新羅!!」

大きな音を立てて開かれた玄関の扉。幾度と無く静雄の手によって壊されたことのあるソレが、今回壊れなかった事が奇跡であるかの様に新羅は感じた。

「静雄、静謐にしなよ。彼女は今寝てるんだから」

リヴィングのソファに、寛ぐようにセルティと腰掛ける新羅を見て、静雄は激しく上下する肩を鎮めるように努める。そして部屋を見回し、門田たちが居ないことを確認し、首を傾げた。それを見た新羅はいち早く静雄の疑問に辿り着き、口を開く。

「彼らはもう帰ったよ。仕事もあるらしいし、それに彼らが居たところで何もできないだろうからね」

そうか、と納得した様子の静雄に、セルティがPDAを翳した。

『……雪乃ちゃんが傍に居てほしいのはお前だろうしな、静雄』

それを見て静雄は数回だけ目を瞬かせ、新羅に向き直る。

「ユキはどこだ?」

聞きたい事は色々とあった。しかし、新羅だけでなくセルティまでも落ち着いているという事は、雪乃の容態も落ち着いたという事だろう。そして、セルティが言ったように、雪乃が傍に居て欲しいと願っているのが自分なら、静雄にとってそれはこの上なく嬉しいことで。また静雄も、自分が同じように彼女の傍に居たいと願っている事を雪乃自身に知ってもらいたいと思う。
――この感情が何なのか。その名前はずっと長い間、自分にとって関わりのないと思っていたモノの名前。静雄はそれを確かめるように新羅に案内された部屋に入る。新羅は部屋を出て行き、静雄は静かに扉を閉めた。電気は点けずカーテンの隙間から漏れる街の明かりだけが部屋の中の唯一の導。ゆっくりとベッドの側まで歩き、近くの椅子を手繰り寄せて腰掛ける。ベッドの上の雪乃は微かな寝息を立てて健やかに眠っていた。その穏やかさに胸を撫で下ろし、雪乃の顔をじっと見つめる静雄。顔にかかっている髪の毛をそっと梳くように寄せてやる。すると小さく身じろいだ後、雪乃が細く目を開いた。

「……ん……」

「っと、悪ィ、目ぇ覚ましちまったか?」

苦笑いを零し、ぱっと手を離す。雪乃は状況を理解していなかったがやがて目を大きく開き、弾かれるように飛び起きた。

「静雄!……ッ、」

しかし傷が痛むのか麻酔が効いているのか途中でバランスを崩し、ベッドに倒れこみそうになる。が、すんでの所で静雄が受け止め再び雪乃をベッドへ寝かしつけた。

「ムリすんなよ、ユキ。……キズ、痛むか?」

「ううん、大分楽になったよ。……ありがとう、静雄」

そう言って微笑む雪乃だが、麻酔が効いているにせよ実際のところ傷は熱を持ち未だ完全に痛みは去っていない。しかし彼女は無理に笑っているのではなく、再び静雄と会えた事には本当に喜びを感じている。言いたい事、伝えたいことは互いに沢山ある。だが今は、雪乃を耐え難い眠気が襲ってきていた。八咫樗との争いの時に力を使ったからか、怪我をした時に血を流しすぎたのか、はたまた静雄の顔を目にして緊張の糸が解けたのか。いずれにせよそれには到底抗えそうになく、雪乃は布団の下から静雄の前に手を差し出した。静雄はすかさず、その華奢な手を壊してしまわないようそっと握り締める。

「ありがとう、静雄……。……好き、だよ……」

それだけ一言残し、雪乃は瞼を閉じた。そして静雄はやはり、雪乃と出会って感じたこの気持ちの名前を自覚する。この感情は恐らく、恋情というものだと――。


           ♂♀


翌日、雪乃は一日をベッドの上で過ごした。朝目覚めて静雄が出勤するまでの間二人で他愛のない会話をし、新羅が作った食事をとり、セルティとPDA越しにこれまた他愛のない会話をして夜には眠りにつく。怪我のことを除けば、前日に行われた喧嘩などなかったかのような平穏な一日。その時間を雪乃はじっくりと噛みしめた。何も聞いてこない皆の優しさを、必要なことであれば自分から話すだろうと信用してのことであると素直に受け入れられる。セルティと、静雄と出会った事によって変われたことを雪乃は嬉しく思い、また愛おしく思い、そしてゆっくりと瞼を閉じた。








           第13話end...
TOP