そして訪れた――



その日は朝から天気が良く、また前日にゆっくりと過ごすことが出来たお陰か雪乃はすっきりとした目覚めを迎えた。寝ぼけた頭で上半身を起こすと、熱を持った肩口の傷が一昨日に起こった事は現実であると雪乃に伝える。それと同時に、セルティと出会ってからの出来事を少しの間思い出して自然と笑みが零れた。――ほんとに良い人たちに出会うことが出来た。何一つ偶然じゃないけど、それでも何かひとつでも違うことが起きていたなら自分はこんな風に……この時を大切に思う事ができるようにならなかったかもしれない。そう思いながら、雪乃はベッドを抜け出る。痛む身体を庇いながら時間をかけて布団をできる限り綺麗に整頓して着替えをしようと服へと手を伸ばした。

着替えを済ませてリヴィングへと出ると、そこには静雄の姿だけがあった。ソファに座る静雄も雪乃が起きたことに気付き上半身を捻って振り向く。ばっちりと視線が合い、雪乃ははにかんで口を開いた。

「おはよう、静雄」

以前と変わらない雰囲気の雪乃に静雄も「おう」と返す。それから続けてテーブルの上のメモを雪乃の方へと差し出した。

「新羅とセルティなら朝早くに仕事だっつって出て行った」

静雄から受け取ったメモには『僕とセルティは仕事があるから今日は間に合わないかも。家の合鍵は置いておくから使ったらポストにでも入れておいてね。それじゃ、気を付けて』と、そう書いてあった。目を通しながら「そう……」と雪乃は言葉を零し、そのメモをポケットへと仕舞う。
――今日は仕事はどうしたの。朝のいつからここにいたの。新羅とセルティには会ったの。――……二人から聞いたの。訊きたい事は次々浮かんでくるが、それらを言葉にする前に静雄が自分の隣のソファの空きスペースを叩いた。

「とりあえず座れよ、ユキ」

「うん……」

静雄に促されてソファに座る雪乃。……静雄がここに居るということは、今日は仕事は休みなのだろう。そして『あのこと』は例え新羅やセルティから聞き及んでいたとしても自分の言葉で伝えるべきだ。そう思い、雪乃は意を決して口を開いた。

「静雄に……大切な話があるの。話さなくちゃいけない、話しておきたいことが」

「ああ」

目を見つめて言葉を放つ雪乃に、静雄はしっかりと頷いて見せる。雪乃の中で、自分に対する何かがあることは知っていた。しかしそれは雪乃が言わない限り自分にはどうする事もできない事だと、そして、雪乃が必要だと、自分に話してもいいと思うなら必ず話してくれるだろうと信じていた。……ついにその時が来たのかと心の中で思いながら、静雄はそれを億尾にも出さずに雪乃が次の言葉を紡ぐのを待つ。雪乃は昨日一日かけて纏めた心を一つずつ解いて語ろうと、拳を軽く握った。

「去年の夏ごろ……公園にいたカラーギャングに喧嘩を売られたこと、覚えてる?」

その言葉を聞いて、静雄ははたと考える。去年の夏。雪乃と出会う前の自分の記憶を雪乃は聞いているのか。静雄は少しだけ過去の記憶を探るが、正直なところ全く覚えていなかった。喧嘩を売られることは今でもしょっちゅうあるし、自分の性格からしても下らない喧嘩のことは記憶に残すことはまずない。静雄のその反応は雪乃の想像の範囲内らしく、雪乃は少し間を空けて続けた。

「そのカラーギャングなんだけどね、わたしもその頃所属していたんだ」

その言葉にハッとする静雄。――その時もしかして雪乃はその場に居たのか……その考えが頭を過るが、雪乃は直ぐにその静雄の考えを否定する。

「その場にわたしはいなかったんだけどね」

安心して、と言うように雪乃は両手を左右に振り、そしてまた言葉を続けた。

「その時チームのリーダーを中心に一部の人間が違法な薬に手を出してたらしくて……。たまたま近くを通りかかった静雄にその事を知られるのが怖かったみたい。それで焦って喧嘩をふっかけたんだって。それが、美邦が所属していて、わたしの恋人だった人がリーダーをしていたチーム――八咫樗なの」

『リーダーの恋人』、『復讐』、『憎くないのか』――あの時美邦が雪乃に対して言っていた言葉が理解できた。それでも雪乃はあの時、自分の事を『愛している』と、そう言ってくれたのだ。雪乃の言葉にはまだ続きがあると、そう思った静雄は何も言わずに雪乃の言葉を待つ。

「中学生の頃に東京に出てきて、なんとか一人暮らしをしてきて。そんな中で、八咫樗のリーダーと出会ったの。女の子も何人かいて、身内でバカ騒ぎするだけの少人数のチームで。彼はわたしをチームに入れてくれて、傍に置いてくれた。……それから暫くして、リーダーを含んだ何人かが逮捕されたって聞いたの。数少ない居場所がなくなって……初めは静雄を恨んだこともあったけど、けどそれもすぐに自分のせいだって気付いた。もうずっと何も起きてなかったから油断してたんだね……。前向きに頑張ってきたけど……結果が『わたしのせい』だって、この時初めて思い知ったの」

俯き言葉を紡ぐ雪乃。彼女が何を言いたいのか静雄には想像ができた。美邦に雪乃が連れ去られた時新羅が言っていた『能力』のひとつのことだろう。……話を聞いただけでは、明らかに八咫樗のリーダーがしてきた事のツケが回ってきただけのように感じるが、それでも雪乃は自分のせいだと思っているようで。雪乃にとって八咫樗と言う場所が――リーダーと言う人物が如何に彼女の中の大部分を占めていたのか、彼女の肩にどのような重荷が乗っているのか未だ全てが分からない静雄はこの時点で雪乃に掛ける言葉を選ぶことができない。雪乃は「ごめん、話が脱線しちゃった」と小さく震える声で言うと、「八咫樗が解散して全然間がない頃に」と続けた。

「折原臨也っていう人がわたしの前に現れたの」

「折原……臨也だと……?」

――折原臨也。その名前を聞いた途端、静雄の顔が引き攣る。その様子を見て、雪乃は以前に臨也を目がけて静雄が公園のフェンスを投げつけた事を思い出した。確かにあの人を食ったような臨也の言動は静雄が嫌いそうだ。静雄の前で臨也の話はマズかったか……そう感じた雪乃だが、静雄は臨也が雪乃に何をしたのか、ということを瞬時に理解していた。あのノミ虫のしそうなことと言えば……恐らく先の八咫樗のメンバー逮捕の知らせを受け、雪乃を使ってまた自分をどうにかしようとしたのだろうと、そこまで思い至る静雄。膨大な怒りが込み上げてくるが、雪乃もそれを感じ取っているらしく、雪乃が戸惑っているのを静雄も感じ取る。今は雪乃の話を聞くのが最優先だ――臨也のことは後でどうとでも出来ると、そう考えなんとか静雄はその怒りを抑え込んだ。

「静雄、大丈夫……?」

静雄の額に浮き出ていた血管が薄くなっていくのを見て雪乃は静雄の顔を覗き込む。

「あぁ、大丈夫だ。続けてくれ」

真剣な顔で先を促す静雄に頷き、雪乃も表情を引き締めて続きを語った。


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