喧嘩人形、出会う/新たな日々の兆候


暗いながらも建物の明かりがその先を照らす道路。アパートの自室が全焼した来良学園の女生徒、一雪乃は巷で噂の実在する都市伝説、首なしライダー――セルティ・ストゥルルソンの腰にしがみついている。雪乃は今、音も無く、時々馬の嘶きのような声≠ェするバイクの後部座席に座って、都市伝説の温度を体感していた。最初こそ少しの畏怖の念を抱いたものの、今はその感覚も消え去り、『非日常』に――自分が待ち望んでいたかもしれない存在に触れていることに、興奮と喜びを感じている。
彼女が言うには、このまま知り合いの医者のところまで乗せて行ってくれるらしい。じゅくじゅくと疼く痛みを、掌に爪を食い込ませることで堪えながら雪乃は歩道に目をやる。すると、少し遠く、斑な人たちの中のバーテン服を着た金髪の男が目に入った。足取りはふらふらと千鳥足で、酷く酔っているみたいだ。
――あの人……誰だろう。今現在眼鏡をかけていない雪乃は、目を眇めようとする。が、それよりも早く、セルティがその男の近くにバイクを寄せ始めた。知り合いなのかな。と、雪乃が思案している間にセルティはバイクを停車させる。バイクから降りると先ほどのPDAに文字を打ち込み、雪乃に提示した。

『御免、ちょっ待っててもらえるかな?』

雪乃がコクンと頷くのを確認して、セルティはバーテン服の男のところまで歩いて行った。酒に酔っていると思しきバーテン男とセルティは、少しの間言葉を交わしていた。もっとも、セルティはPDAで文を提示するのみだったが。その光景をぼんやり眺めていると、セルティが雪乃のほうを指差すのが見えた。その直後、バーテン男がこちらにふらふらと歩み寄ってくる。そしておもむろに雪乃に顔を近寄せてきた。――うわ、酒臭い……。急激に近づいた顔に、雪乃はバイクに跨ったまま、上半身だけ後ずさる。よく見れば……いや、よく見なくてもデキのいい顔をした男にこれだけ顔を寄せられてつい顔を紅潮させてしまう雪乃。

「お前……どっかで見たことが……」

バーテン男が呟いた一言に、上半身を大きく仰け反らせていた雪乃がバランスを崩す。

「ひゃっ――」

次の瞬間、雪乃はバイクごと道路に転がることになった。

「悪ィ、大丈夫か?」

そこまで歩いて来ていたセルティが、その様に慌てた様子で駆け寄ってくる。バーテン服を着た男も、雪乃を起こそうと一歩踏み出すのだが……。
――バキャ。夜の道路に嫌な乾いた音が響く。

「あ……」

足元の違和感に気づき、片足を上げるバーテン男。男の足元には、転んだ衝撃で雪乃の鞄から落ちた眼鏡ケースが転がっていた。歪曲したケースからは、粉々に割れた眼鏡のレンズが覗いている。セルティの手を借りて起き上がった雪乃は、割れた眼鏡の元に駆け寄った。

「眼鏡が……粉々……」


   ♂♀


「静雄には強めの鎮静剤を打っておいたから安心しなよ」

某高級アパートの一室には、室内でヘルメットを脱いだセルティと、室内にもよらず白衣を着用した新羅、そして、深く切裂かれた左腕を新羅に突き出した雪乃の三人が集っていた。

「何か、すみません……。色々と迷惑かけちゃって」

左手を治療されながら、申し訳なさそうに頭を垂れる雪乃。そんな雪乃の目の前に、セルティは文字を打ち込んだPDAを掲げる。

『謝るのは巻き込んでしまった私の方だ』

心なしか、顔の無いセルティも申し訳なさそうにしているように見える。雪乃の腕の傷口を見ながら、新羅がふとその顔に笑みを浮かべた。

「二人ともそんなに謝らなくてもいいんじゃないかな?本来は、セルティの仕事の荷物である封筒を奪った変な男と、眼鏡を粉々に踏みつけた静雄が悪いんだからさ」

あの後、酔っていた静雄は、通行人に危険を及ぼすと判断したセルティの影により拘束され、この新羅と住むアパートに連れてこられたのだ。そして、べろんべろんに泥酔していた静雄は強めの鎮静剤を打たれ、奥の部屋でぐっすり眠っている。

『そうだな』

と、納得した様子のセルティに安心したらしい新羅は、雪乃の腕に包帯を巻きながらセルティに言う。

「セルティ、今日は送ってあげなよ」

セルティはPDAのキーを、影と自前の指を使って素早く打ち、雪乃と新羅の前に掲げた。

『勿論そのつもりだ。家はどの辺り?』

その問いに、雪乃は一瞬迷いを見せたが、素直に答える。

「実は、今日住んでるアパートの部屋が燃えちゃって、近くの漫画喫茶で寝ようかと……」

雪乃が普通に放った『漫画喫茶で寝る』という言葉に、新羅とセルティが互いに視線を合わせた。セルティがPDAを取り出すよりも先に、新羅が変わらぬ笑顔で雪乃に声をかけた。

「それじゃ、今日はウチに泊まっていきなよ。患者用の部屋もまだあるし、女の子に夜の漫画喫茶はちょっと危険なんじゃないかな」

「そんな。治療までしてもらってこれ以上迷惑は……」

「いいんだよ。『袖振り合うも多生の縁』って言うでしょ?ね、セルティ」

雪乃の腕に包帯を巻きながらセルティに同意を求める新羅。新羅が自分以外の女性を進んで泊めようと言い出すなんて珍しいと思いながらも、セルティは肯定の文が打ち込まれたPDAを新羅と雪乃に差し出した。

『そうだな。今日は泊まっていったらいい』

そのメッセージに、ようやく雪乃は頬を綻ばせて頷いた。

「それじゃぁ、ろよしくお願いします」

笑顔になった雪乃に満足したのか、セルティは肩の力を抜き去り、新羅は柔らかい笑顔を浮かべた。いつものセルティならその時点で「やっぱり新羅はロリコンだったんだ」と言っていたかもしれないが、あまりの『自然さ』に、セルティも無意識の内にこの空気に流されていた。雪乃の腕に包帯を巻き終えた新羅は、治療に使った器具を片付けながら患者に言う。

「縫うほどじゃなかったけど、結構傷は深いから左腕はあまり動かさないほうがいいね。セルティ、彼女を部屋に案内してくれるかな」

雪乃は包帯の上から傷をさすりながら、新羅の注意に素直に頷く。セルティも同じように体で頷き、雪乃に手を差し出して雪乃を椅子から立ち上がらせた。部屋を出る間際に、雪乃は礼を兼ねて頭を下げておいた。


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